第20話 誓い
翌日火曜日の昼過ぎ。
俺は昨日姉ちゃんに送られてきた住所を頼りに、香川さんの家に歩いて向かっていた。
中学が同じなだけに、比較的家も近い。歩いて10分ほどで、目的の場所にたどり着いた。
コーポ井田……。ここかな。
建築されてから数年もたっていないような綺麗な2階建てのアパート。
俺は202号室の扉の前に立ち、インターフォンを押そうと右手人差し指をボタンに当てる。
うーん、やっぱやめようかな。緊張してなかなか指が動かない。
いいや、ここまで来たんだ。ええい、ままよ。俺は意を決してボタンを押す。
ピンポーンという音のあと、しばらくして、
「はい」
と、たぶん香川さんだろうか。ちょっと風邪でガラガラした感じの少女の声で応答があった。
「あー、美作だけど……」
「え!? 美作君!? ……ちょっと待ってて」
と、少し慌てたような声が聞こえてきた。
あれ? もしかして俺が来るってこと聞いてなかったりするか?
どういうことだ姉ちゃん。
「お待たせ……」
しばらくしてガチャっとドアが開くと、そこにはパジャマにガウンにマスク姿の香川さんがいたので、俺は挨拶がてら途中で買った果物を香川さんに渡した。
「おう……、なんか悪いないきなり……あ、これお土産」
「ううん、わざわざありがとう。入って」
「ああ。おじゃまします」
俺は香川さんに連れられ、家の中に上がった。
「あ、適当に座って。あとお茶でいい?」
「あ、いや、香川さん具合悪いんだから、あまり気を使わないでくれ」
「大丈夫だよ。昨日から休んでだいぶ良くなったし、それにこれくらいなら」
そう言って、香川さんは急須にお茶をサラサラ入れて、ポットのお湯をこぽこぽと注いだ。
俺は無理に止めるのも悪いかと思い、お言葉に甘えて居間の真ん中にあった炬燵に入ることにする。
それにしても、他に人の気配がない。どうやら香川さんひとりのようだった。
「今日は香川さんひとりなのか?」
「うん。お母さんは仕事。あとお姉ちゃんもいるんだけど、今は病院に入院してるの」
そうなのか。体調崩してるのに大変だな……。それにしてもお姉さんがいたのか。初めて聞いたかも。
そんなことを考えていると、香川さんはお茶を差し出してくれた。
「どうぞ」
「あ、お構いなく……」
俺はなんとなく恐縮しつつ会釈する。
「それにしてもどうしたの美作君。お見舞いに来てくれるなんて」
「いや、昨日姉ちゃんから聞いてたんじゃないのか? 俺がお見舞い行くって」
「聞いてないよー。私てっきり美作君じゃなくて楓先輩が来るのかと思ってた」
そういうことか。姉ちゃんも口足らずなんだよなあ。
「あー、なんか悪かったな、いきなり来ちゃって」
「ううん全然。気にかけてくれてうれしい」
そう言って香川さんは微笑んだ。マスクだから表情わかりにくいけど。
そして、香川さんは俺の向かいに入った。
「…………」
「…………」
それから少しの間だけしんとした沈黙が続く。
……なんかこう、香川さんもあんまり自分からしゃべるほうじゃないからか、こんな感じに微妙に会話が途切れることがよくあるんだよな……。向こうはあんまり気にしてなさそうだけど。
「美作君、小説の進捗はどう?」
俺がお茶に手を伸ばそうとすると、いきなり香川さんが話しかけてきた。
小説……あー。
「あー、えっとだな。その……」
「さては、全然進んでないでしょ?」
ぎくっ。
「ははっ、顔に出てるよ美作君。……まあでも、そんなものだよ。私も漫画描くときはそんなだし」
「そうなのか?」
「うん。最初はね、子供だったこともあって自由に好き勝手描けてたんだけど、ある程度まで目が肥えちゃうといろいろ気になっちゃって、どうしても最後まで、ね」
そういうものなのか。香川さんの漫画を読む限り、そんな風にはまるで感じなかったけど。
……一応自分も創作を志す者として、俺はちょっと気になったことを香川さんに尋ねてみた。
「なあ」
「ん? なに?」
「香川さんは、なんで漫画を描き始めたんだ?」
「あー、えっと……」
香川さんはちょっと視線を外して口ごもる。もしかして聞かないほうがよかった話題なのだろうか。
でもそれもほんの少しの間だけだった。香川さんは俺のほうを見て口を開く。
「ほら私、中学から美作君と一緒じゃない?」
「ああ」
なんだかんだで3年間クラスが一緒だったし、俺から見るにその時から彼女は優等生という印象だった。特に今みたいには話したりしてなかったけど。
でも、それと漫画に何の関係があるんだろう。
「小学校の時、学校行ってなかったの私。5年生と6年生の時は一度も行ってない」
「え?」
俺が知らない小学生時代に、香川さんも不登校だった。その事実に俺はちょっとびっくりした。
「同じ小学校から一中に行った子いなかったから、中学では誰にも言ってなかったんだけど」
「…………」
「毎日ひとりで家にいて、お姉ちゃんはそんな私のことを特に心配してくれたんだけど……。でね、学校行ってなかった時の私の心の支えが、漫画だったってわけ。まあ、中学に入ってからは真面目にやっていこうと思って、大っぴらには封印してたんだけどね……」
……そうだったのか。
「えっと、そのことって誰かに話したりは……」
「うん。話したのは美作君が最初」
なんでそんな大事なことを、俺なんかに。
「私が美作君に小説を書くことを進めたのも、それが何かのきっかけになればなって思ったからなの。もちろん学校行くとか行かないとか関係なくね。そこは、美作君が決めればいいと思う」
そうまっすぐ語ってくれる香川さんが、俺は不思議でならなかった。
「どうして……」
「え?」
「どうして俺のためにそこまでしてくれるんだ?」
「……だって美作君、中学の時からちょっと危うい感じというか、自分とどこか似てる感じがしていたんだもの。ほっとけなかったんだよ……」
香川さんは目を伏せつつ、淡々と語った。
「……あ、ごめん。これは私が勝手に思ってただけだね」
「いや、そんなことは……香川さんが謝るようなことはない」
でも、なんだろう。俺にいろいろ進めてきてくれたのも、香川さんなりの考えあってのことだったんだな……。
「……あのさ、小説、書くからさ、そしたら読んでくれ。……あ、あと、よければ挿絵なんて描いてほしいなーって……。ダメかな?」
自分の口からこんなに自然と言葉が出てくるもんなんだなー、と俺は自分で自分に感心しつつそんな言葉を発していた。
「……うん、わかった」
そんな俺の言葉に対して香川さんは、笑ってそう答えてくれた。
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