第18話 記憶Ⅱ
俺たちは今、1組の教室にいる。
俺が座っている席は半年前の時点で俺の席だった場所で、その机に加えてその席の前と右隣と右斜め前の机を4つくっつけてテーブル代わりにしている。
なんでわざわざこんなことをするのかといえば、倉敷さんが重箱を机に並べている最中だからだ。
そう、重箱だ。弁当箱が3つ重なってるやつだ。
弁当と聞いて俺はてっきり遠足なんかで持っていく小さい弁当箱みたいなの想像していたが、実際にはめちゃくちゃ豪華だった。正月のお節料理以外でこんなの見たの、俺生まれて初めて。
ていうか、ジュースのお返しのがこれだとちょっと、いやかなり釣り合わないけどいいのかな……。
「ほら、美作君このあいだ倒れたじゃない?」
「え?……ああ、学食で倒れたって言うあれか?」
金曜日に学食で倒れた。倉敷さんからそう聞いてはいるものの、残念ながら俺に心当たりはない。この世界では俺は記憶喪失ということになっているのだ。
「あー、そうか。えっとね、そのとき私、学食の厨房使ってお昼ごはん作ろうとしてて、美作君も手伝ってくれてたんだけど、その時に美作君倒れちゃったの。だからまた倒れちゃったら嫌だなーって思ったから、今日はお弁当作ってきたってわけ」
そうなのか。
なんだか知らない間に気を使わせてしまったらしい。ここは倉敷さんに感謝しないといけないな。
記憶喪失のことやこの世界のことも気になることはたくさんあるが、今は目の前の重箱に集中するとしよう。
「美作君のお口に合うのかはわからないけど……」
「いや合う。絶対合う。死んでも合う」
「なにそれ反応に困るよー」
苦笑する倉敷さんをよそに、俺は今か今かと待ちくたびれるかのように重箱が並び終えるのを、凝視しつつ待っている。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
「おお……」
机を並べて作った簡易テーブルの上に並べられた重箱には、いろんな種類のおかずが色とりどりにぎっしりと入っていて、見た目にも豪華だ。ものすごく手間暇かけていることが一目でわかる。
俺のためにこんな料理を作ってくれる女子がいたなんて……。生きててよかった。
「いただきます」
さて、何から食べようか。俺はついつい迷い箸してしまう。そんな俺の姿を見た倉敷さんは、ちょっと可笑しそうに笑った。
「もう美作君、お行儀悪いよ? なんなら、私が食べさせてあげよっか?」
なんて言ってくる。
はいもちろん食べさせてください。あーん。
「うそうそ、本気にしないでよー」
俺が口を開けて待っていると、倉敷さんは悪戯っぽく笑う。ちょっと残念。
しかたがないので俺は、自分の箸で重箱隅に鎮座している卵焼きを箸でつまみ、口に入れる。
……こ、これは!
「な、なんといううまさだ!!」
俺はあまりのうまさに、ついつい謎の力を発揮しで校舎全体を宙に浮かせてしまいそうになる。
嘘だ。でもそれくらい感動した。
「ほんのりと甘い味付けの中にも出汁がよく絡み、そしてふわトロの触感になるよう丁寧に焼き上げた、絶品の関東風だし巻き卵だ!!
これは、箸が止まらん!!」
「ふふっ、ならよかった。じゃあ、私も食べようかな」
倉敷さんは「いただきます」と手を合わせ、卵焼きを口にして「ん、おいしい」と呟く。
さて、次は何を食べようかな……。じゃあこのウインナーで……。
…………。
なんだこの青春ど真ん中なひとときは……と、俺はふと我に返って思った。
倉敷さんとふたりでランチタイム。
これはガチで今、俺モテ期来てんだろ。
やばい、なんか嬉しすぎて本気で泣けてきた。
「うっ……うっ……」
「……どしたの美作君。もしかしてちょっとわさび強すぎた?」
俺が天を仰ぎ必死に涙をこらえていると、倉敷さんにちょっと心配そうな顔をされた。
「あ、い、いや、そんなことないよそんなことない。ピリッとわさびが効いていてすごくおいしいねこのウインナー。なんていうのこれ」
「あ、うん。それはね、わさび醤油で味付けした和風ウインナーだよ。ほら、まだ暑いから痛まないように」
「へ、へー、さすが倉敷さん細かいところまで気が回るというかなんというか」
「ははっ、美作君なりの誉め言葉として受け取っておくよ」
……なんだか、本当にこれは夢のようだ。
もしかしたら俺が学校という場所に求めてやまず、そして手に入れられなかったのはこれだったのかもしれない。
現実世界でもこんな毎日が遅れていたのなら、俺はもっと違った学校生活を送れていたのかもしれない。
そんなことを思いつつ、次の一品に箸を伸ばそうとしたその時だった。
終わりの時は、いつだって不意に訪れるものだ。夢も希望も関係なく。
目の前が、白く染まっていく。
「…………!!」
まずい。あれが来る。
覚醒だ。
「……いいところで終わるなよ。続きはまた今度ってか?……――」
「え? なに?――」
倉敷さんの声がだんだん遠くなっていく。仕方がない、また出直すとしよう……。
そんなことを思いつつ意識が薄らいでいく中、なぜか唐突に俺の頭の中にある記憶が、脳裏をよぎった。
そういえば俺が覚えている限り、この夢の最後で俺が見た記憶は自宅のそれ。
そして倒れたのは自宅においてでしかなく、それ以外の場所で倒れた記憶はない。
そこから、俺は瞬間的に一つの仮説を導き出す。いや、導き出してしまった。
もしかしたら、俺は自分が覚えているよりもこの世界にもっと来ていたのかもしれない。倉敷さんとも彼女の言う通り、何度も会っていたのかもしれない。
そして、自宅以外の場所で倒れると記憶が失われてしまうとしたら。……教室とか、学食とか……。
だとしたらこのままでは、この記憶もなくしてしまうということになる。長らく思い焦がれ、ついに手に入れたこの記憶を。
たとえ夢だとしてもなくしたくない。絶対になくしたくなどない。
でも、俺のそんな思いとは裏腹に体の力はどんどん抜けていき、意識は光の中へと吸い込まれていく。
「――――!!」
倉敷さんが何かを言っているのか、声らしきものが聞こえる。でも、聞き取ることができない。
その間にもどんどんと俺の意識は光に包まれていく。
そして夢が、俺が夢にまで見た日々が、終わっていく。
……忘れたくない。
………………。
…………。
……。
気が付くと、薄暗い天井を見上げていた。
頬に何かが伝う感触がある。手で拭いてみると、涙だった。
なぜだろうか。俺は泣いていたようだ。
もしかして、何か悲しい夢でも見ていたのだろうか。
…………。
思い出せない。何かを見ていたような気はするんだけど、どうにも内容が思い出せない。
……そういえば、今日は倉敷さんの夢は見なかったな……。
昨日一昨日見れなくて、もしかしたら平日なら見ることができるんじゃないかと思ったけど、平日だから見ることができるとは限らなかったようだ。
……もしかしたら、もう見ることはないんじゃないか。
そんなことを思ってしまうくらいには、俺は気落ちしてしまった。
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