第6話 昼休み

 図書室を後にした俺たちは、学食へとやってきた。

 今は正午を少し回ったくらいで、本来なら四限の真っ最中だ。

 とはいえそれを抜きにしても、もちろん生徒なんて誰もいない。それどころか、購買のパン屋のおっちゃんも調理場のおばちゃんもいない。

 つまり学食に来たはいいけど、食べるものなんてひとつも用意されていないというわけだ。


「昼飯って言ったって、何も売ってないぞ。どうするんだ?」

「もちろん、自分で作るのよ」


 そう言って倉敷さんは右手をガッツポーズしてウインクする。


「えっ? 自分で作んの? 食材とかはどうするんだ?」

「一応、冷蔵庫に業務用のカレーとか置いてあるから、それ使うつもりだけど」


 なるほど。その手があったか。


「お金とかは……まあ、誰か学食関係の人が来たら材料費だけ払えばいいよね」

「……図書室でも思ったけど倉敷さんって、風紀がどうたら言う割にはけっこう自由だよな……」

「この状況じゃあね。ケースバイケースだって!」


 そう言って、倉敷さんは厨房の棚の下にあった米を取り出し、鼻歌を歌いながら計量カップで測って鍋に入れていく。

 なんだか倉敷さん、学食に来てからやけに上機嫌だな


「美作君もカレーでいいよね?」

「あ、うん」


 感激極まりないことに、どうやら俺の分も作ってくれるらしい。

 倉敷さんは水道の水をジャーっと流してきぱきと米を研いでいく。かなり手慣れた様子だ。たぶん家庭でいつもやっているのだろう。

 それを端から見ている俺だったが、しかし見てるだけというのもなんだか居心地が悪い。


「なあ、俺だけ何もしないってのもアレだし、何か手伝うこととかあるか?」


 俺がたまらずそう問いかけると、


「うーん、特にないかなぁ。ご飯炊いてレトルトのカレー温めればそれで終わりだし……。それにご飯炊けるまでにだいぶ時間もかかるしね」


 と、シャカシャカと米を研ぐ手を休めることなく答える倉敷さんを見て俺は気づく。そうか、自習を三限で切り上げた理由は飯を炊くためだったのか。


「美作君はテーブルで休んでていいよ。用意は私がやっておくから」

「お、おう……」


 結局、俺はその言葉に甘えることにした。

 よくよく考えてみれば、家事なんててんでしない俺が手を出してもいろいろ仕事増やすだけになるかもしれない。

 ぶっちゃけ、冷凍食品をレンジでチンするくらいしかできないし……。

 そんなことを考えつつ、俺は調理場から一番近いテーブルの席に腰を下ろした。

 しかしここで食事か……。入学したての頃、ちょっと興味本位に来てみたはいいけど、友達数人連れな陽キャどもの空気に当てられて、そそくさと退散したのはいい思い出だ。

 それにしても、なんでわざわざ学食で炊飯なんだろう。普通に家で弁当作るのとかじゃダメなのかな。

 ちょっと聞いてみよう。

 

「なあ、いつもこうやって学食で飯を作ってるのか?」

「最初はね、普通に家でお弁当を作って持ってきてたんだけど、そのうちなんか飽きてきちゃって……。それに学食なら、ほら、誰かいたらその人の分までご飯作ったりできるでしょ?」


 ははあ、だからさっきから上機嫌だったってわけだ。

 つまり倉敷さんは誰かと一緒に昼食を取りたかったのだ。で、その久しぶりの相手が俺。……いやあ、こりゃまたまいったなあ。


「本当はもっと腕によりをかけたいところなんだけど……、冷蔵庫の中の食材がちょっとばかり古くなってきてて……」


 レトルトカレーでも十分すぎるほど感動ものだが、倉敷さんの手料理なんて食べた暁には軽く感涙しすぎて、グルメ漫画よろしくなリアクションを取ってしまうことだろう。

 そんな俺のことなど想像もしていないだろう倉敷さんは、炊飯器に研いだ米を注いでボタンをポチポチし、一通り作業を終えると調理場を離れ俺の向かいの席に座った。


「できるまであと40分はかかるけど、どうする? 自習の続きでもする?」

「あー、いや。ここまで来たらもう休憩にしたい……」

「そう。まあ、そうだよね。じゃあ私とちょっとお話しない? 私、まだ美作君のこと全然知らないし、君のこといろいろ教えてくれないかな」


 えっ、俺のこと?


「俺のことって言っても、何を話せば……」

「美作君のことなら何でもいいよ」


 なんでもいいって言われてもなあ……。


「名前は美作智也」

「知ってる」


 まあ、そりゃそうか。さっき言ったし。


「学年とクラスは1年1組」

「それも知ってる」


 ですよねえ……。さっき言ったもんね。


「あとは……あー……」


 ……なんかあるか?

 悲しいくらい何も思い浮かばない。俺どんだけ空虚なの。


「ホントに何でもいいよ。好きなこととか……。あ、じゃあ、まずは私から自己紹介でいいかな。倉敷|碧(あおい)。1年10組。東中出身。部活は合唱部でパートはソプラノ。もともとは3歳の時からピアノをやっていて、コンクールで入賞したこともあるんだよ。好きなものは当然音楽。高校卒業したら音大に進んで、プロの声楽家になるのが夢なんだ」


 キラキラと目を輝かせながら倉敷さんは語る。


 やべえ、なんでこんなペラペラ出てくんのこの娘。

 これがコミュ力強者とコミュ障の超えられない壁か……。

 それになんだか……、住んでる世界も向いてる先も、俺とはまるで次元が違う……。

 違い過ぎる……。


 なんとなく、倉敷さんとの心理的な距離感を感じていると、


「はい、じゃあ、次はまた美作君の番」

「え!? あ、ああ」


 どうしよう。あんなちゃんとした自己紹介の後で何言えばいいんだよ……。

 ええい、ままよ。


「……えー、美作智也。1年1組。一中出身。今をときめく帰宅部のエースとは俺のことよ!」

「…………」

 

 倉敷さんの沈黙と視線が口ほどにものを言う「……それで?」な空気が…………。

 も、もちょっと言った方がいいアレかこれは。だよな?


「……と言いつつ、しばらく不登校だったから帰宅部エースの実力は封印中だ!」

「…………」

「…………今日は久しぶりに腕がなるなー!」

「…………」

「あー放課後が待ち遠しいなー!!」

「…………」

「すんませんもう勘弁してください」

「……………………ぷっ!!」


 俺の渾身の自己紹介は、倉敷さんに遠慮も何もへったくれもなく笑い飛ばされた。

 ちょ、それ、微妙に傷つくですけど……。

 ちょっとしょんぼりしたわ。俺はがっくりと項垂れる。


「はははっ……いや、ごめ、ごめん! お、おかしくって、つい……。ホントそんなつもりじゃないの……ぷっ、ふふふ」

「めっちゃ笑いこらえとるやん」

「ははっ、ごめんごめん。その、よくわかった! 美作君がどういう人なのかよくわかった!」

「ほんとかよ……」


 そんなこんなでふたりだけの昼休みが過ぎていく……。

 

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