第4話 あおい

 気が付くと、俺は白い天井を見上げていた。


 周囲を見ると、カーテンで区切られているベッドの上であることがわかる。

 ……ここはどこだ。

 見たことがない風景に、俺は戸惑う。

 俺は確か、自室で寝ていたはずだ。それなのにいつの間にこんなところに移動させられたのか。

 そういえば、昨晩は高熱を出してぶっ倒れたんだった。もしかして救急車で運ばれて、ここは病院とか?

 確かに消毒液のようなにおいがする。しかしそれなら点滴のひとつやふたつくらいしているはず。それにベッドにはナースコールも付いていない。

 何より、随分と体が軽い。ふわふわするくらいに。

 ……わけはわからないが、とりあえず起きよう。

 俺はベッドから起き上がり、カーテンを開け放つ。


 ……………………。


 目に入ってきたのはもうひとつのベッドに、薬品の入った戸棚。それに引き戸がふたつと、反対側には窓が並んでいる。

 俺は今さっき、ここを見たことがない場所と思ってしまったが訂正しよう。

 ここは、上ヶ崎高校の保健室だ。

 まさか。こんなのありえない。

 ……そうか。そうかわかったぞ。

 これは夢だ。そうに違いない。と言うかそう考えないとおかしい。

 全くなんて悪夢を見せてくれるんだ、俺のポンコツ脳は。

 早く起きろ、と頬をつねってみる。


 ……痛い。普通に痛い。


 いやなんでだよ。なんで夢なのに普通に痛覚が働いてるんだ。無駄にリアルすぎる。もっとデフォルメしとけよ。

 まさか、本当に現実なのか?

 ……まあ、なんにせよここで騒いでいても仕方がない。ちょっと歩いてみるか……。

 


 保健室を出て、しんと静まり返った廊下を歩いてみる。

 悪夢らしく怪物でも出るんじゃないだろうなと思ったが、それは杞憂だったようだ。

 踏みしめるリノリウムの床の感触は久しぶりなはずなのに、あんまりそんな感じがしない。

 まるで、つい最近もここに来たことがあるような。

 誰もいないこの風景にも、なぜだか見覚えがある。

 そんなことを考えている俺の脳裏に、うっすらと記憶がよみがえってくる。


 白い天井、誰もいない街、学校。


 そうか、これは昨日見た夢と同じだ。

 確か俺は、教室に行ったんだっけ。

 行ってみるか。

 そう思い、一年一組の教室に向書い始めたときのことだった。


 どこからともなく、歌声が響いてきた。


 凄く澄んでいて綺麗な歌声。まるで歌声が、体の奥底にまで浸透してくるようだ。

 俺はつい立ち止まって、その歌声に耳を傾ける。聞いていると、凄く懐かしく、そして切ない想いが胸の奥からこみ上がってくる。


 何だろう。この感じ……。


 俺は無意識のうちに、声がする方に向かう。するとそこは一年十組の教室だ。

 中を覗いてみる。

 ラノベなんかでよくある窓際最後尾の席に、誰かが座っているのが目に留まった。


「…………」


 女子生徒だった。

 開いた窓から吹くそよ風に長い黒髪をはためかせつつ、外を眺めながら歌っていた。

 どこか、憂鬱な影を落としつつ。

 その彼女がこちらに気づき、


「――あ、君。体、大丈夫? いきなり倒れて気絶しちゃったからびっくりしたよ」

 

 俺に声をかけ、席を立って歩み寄ってきた。

 その姿を見て、俺は思い出す。


 あの時の少女だ。


 昨日の夢が終わる直前に出てきた謎の少女。

 何で今まで忘れてたんだろう。

 しかし、俺がいきなり倒れたって何のことだ?


「は君、この高校の生徒でしょ? パジャマ姿だから、変な人だなーと思っちゃったけど」

 

 俺はなんとも答えに窮してしまう。

 何せ、目の前で起きていることに頭の整理が追い付いていない。

 あー、つまり、だ。これは昨日の夢の続きってことでいいのか?

 昨日の夢では俺はパジャマで学校に来て、それから黒板に落書きしたり机を窓から投げ捨てたりして、そのときにこの女の子に出会った。

 で、その直後に現実では目が覚めたんだけど、その間はこの世界では気を失っていたことになっている、と。

 なるほど。それならつじつまが合う。夢のくせによくできてるなあ。


「ねえ、ちょっと、聞いてる?」

 

 彼女が少し苛立たし気に俺の顔を下から覗きこんでくる。

 ちょ、顔近っ……あ、いいにおい。


「い、いや、もう大丈夫。君が助けてくれたの?」

「保健室まで運ぶの、重かったんだよ? でも他に誰もいないし」

「君が運んでくれたのか。ありがとう。助かったよ。おかげでもう平気だ」

「ふふっ、どういたしまして」


 そう答える彼女の笑顔が眩しい。

 眩しすぎる。

 何これ夢みたい。百万ドルの笑顔が俺だけに向けられ……あ、夢か。

 そうですよね、はい。


「あー、えー……あ、そうそう。他に人がいないって、やっぱり俺ら以外には誰もいないの?」

「私が気づいた時には、既に世界はこうなっていたの。なんでこんなことになっちゃったんだろう……」


 照れ隠しに適当に聞いて見ると、彼女は思い詰めたような表情で、顔を伏せてしまった。

 しまった。あんまり聞いちゃいけないことだったかな。

 でも、この世界にたったひとりきり。それは彼女にとってはとても耐えがたいことなのだろうか。

 俺にとっては「ふぅん……」程度にしか思わなかった。もちろん俺の場合は、夢だってことがわかっているってこともあるからだけど。

 ……はっ。そういやこれは夢だった。なんかすげえリアルすぎてあと可愛いからつい感情移入しちゃう……。


「だから、君は皆が消えてから初めて会った人。よかった……私ひとりじゃなくて……」


 俺をまっすぐに見据えて語りかけてくる彼女の目元には、心なしか光るものが見える。

 何この甘酸っぱこそばゆい展開。

 思わずときめいちゃいそう。


「倉敷あおい

「えっ?」

「私の名前。君は?」

「あ、ああ。俺は美作智也。よろしく」

「よろしくね、美作君」


 これはもしや、もしやついに来たか。人生に三回しか来ないという伝説のアレが俺にもついに来たか。

 伝説のアレ、それすなわちモテ期。

 この瞬間、俺は決意した。この際もう夢でもなんでもいいや。俺はこの娘のために生きる。

 いやむしろ、もう現実とかいらんでしょ。

 よし、俺は現実を捨てて夢に生きるぞ!!

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