第3話 雪の街で

 家を離れて数10メートルほどで、俺はある事実に気づく。


 ……行き場がない。

 どこ行きゃいいの。


 そういやスマホも財布も家に置きっぱなしだ。

 おまけに、シベリアから遥々いらっしゃりやがった寒気団が図々しくも居座っていて、すごく寒い。

 どうしよう。帰ろうかな。

 いや、あんな狂暴女と同じ空気なんて吸いたかないぞ!

 なんて思っていたら、凍り付いてつるつるな路面で滑った。

 そして今さっき蹴られまくって痛めた尻を盛大に地面に打ちつけた。

 俺が苦悶の表情で痛みに耐えていると、近くを歩いていた中学生女子二人組にくすくす笑われる。


「何あれ」

「ダッサ」


 …………。


 あと2時間もすれば親も帰ってきて夕食の時間だ。

 それまでどこかで時間をつぶして、そしたら帰ろ。

 俺は何度か滑って転びそうになりながら、歩いていく。

 心なしか、寒さもひとしおだ。


『――――』


 ……寒すぎるのか何か変な声まで聞こえてくるが、たぶん気のせいだろう。



 ほどなくして近所のコンビニにやってきた。

 とりあえず、漫画でも立ち読みしてよう。

 そういえば今日は愛読している週刊青年漫画誌の発売日だった。

 最近買ってなかったけど、読んでみるか。

 俺は店内に入ると窓際の本売り場に行って、目当ての雑誌を手に取り巻末の目次を開く。

 しかしお気に入りの作品を探すも見当たらない。どうやら今週は休載のようだ。

 マジか。がっかりだ。


「でさぁ、そんときあいつさぁ……」

「うわ、マジかよ草生える……」


 店の外から若い男の話声が聞こえてくる。

 俺はなんとなく嫌な予感がして、そちらの方へ眼を向ける。


「…………!」


 高校生男子3人組が店内に入ってこようとしているところが見えた。

 悪い予感が的中した。そいつらは会いたくもないクラスメイト。

 俺は手に取っていた雑誌を手早く棚に戻すと、すぐさまトイレへとかけこむ。

 おそらく向こうは、こっちには気づいてはいまい。なにせ帽子にマスク姿だ。

 ……大丈夫だ。気付かれるわけがない。絶対ありえない。

 俺は自分にそう言い聞かせながら、しばらくトイレで息を殺して身を隠すのだった。


『――――!』


 何だろう。また、頭の中で妙な声が響いてくる。

 緊張のあまり、俺はどうかしてしまったのだろうか。



 ……おそらく30分は経っただろうか。

 さすがにそろそろ、あいつらもいなくなったんじゃないだろうか。

 俺は恐る恐るトイレのドアを開け、外の様子をうかがう。

 見る限り、客は中年くらいの女性がひとり。

 どうやらあいつらはもう帰ったようだ。

 俺はそそくさとコンビニを出て行った。またあいつらが来ないとも限らないからだ。

 それに他の奴も来るかもしれない。あいつらと比べれば多少はマシだが、それでもできるなら会いたくはない。

 どこか人気のないところに行こう。

 そうしよう。



 俺は歩いて数分のところにある公園にやってきた。

 夜の公園。人っ子ひとりいない。

 街灯の灯りが頼りなく周囲を照らしているだけで、なんとも薄暗い。

 おまけに除雪されていないので、雪が積もり放題積もっている。

 仕方がない。あと1時間くらいだし、ここで時間をつぶそう。

 俺は積もった雪をかき分けながら、ベンチのある場所に歩いていく。当然のごとく、ベンチの上には大量の雪が積もっていた。

 俺はそれを払いのけると、どかっと腰を下ろす。

 なんだか、すごく疲れた。歩き回ったのはほんの数十分のはずだけど、ありえないくらい疲労困憊している。

 たぶん、毎日の不摂生が祟っただけではあるまい。

 それにしても冷える。何か暖かい飲み物が欲しい。

 でも今の俺は一文無しだ。


『――――!』


 ……まただ。

 また、誰かに呼ばれているような声が聞こえる。

 俺は周囲を見てみる。もちろん人っ子ひとりいない。目に映るのは、雪深くて誰もいない公園だけだ。

 なんだろう、どうやら本格的に俺は変になってしまったのかもしれない。

 このまま病院送りにされてしまうのだろうか。

 ベンチで俯きながらそんなことを考えていると、サクッサクッと雪を踏みしめてこちらのほうに歩いてくる足音がひとつ。

 まさか、こんな雪だらけの公園を歩きたがるような物好きがいたのか。

 俺は力なく顔を上げそちらを見やる。


「やっぱり、美作君」


 そこにいたのは、よく知った顔だった。


「香川、さん……?」


 上ヶ崎高校1年1組のクラス委員長。香川結菜。

 ウェーブがかったショートの茶髪に落ち着いた雰囲気の笑顔。

 記憶の中の彼女より、少し大人びて見える。

 中学が一緒で家が近いこともあり、たまにプリントを届けに来てくれていた。

 俺にとっては比較的関わりやすい奴だった。比較的、だけど。

 と言うか、なんで俺だってわかったの。


「似てるなーって思ったんだ。久しぶり。元気だった?」

「あ、ああ。……ぼちぼち」

「そう。ならよかった」


 そうあっさりと返答すると香川さんはカバンの中をまさぐって、数枚のプリントを取り出し俺に差し出してきた。


「これ、美作君のプリント。今から君の家に届けに行く途中だったんだけど、ちょうどよかった」

「あ、ああ」


 俺はそれをおずおずと受け取る。


「それじゃあね。こんなところでボーっとしてたら風邪ひくよ? 早く帰ったほうがいいよ」

 

 そう言って香川さんは立ち去って行った。

 なんと言うかまあ、中学の時からそうだったけど、相変わらずさばさばしているな……。

 しかし、わざわざ俺にプリント渡すためだけに雪深い公園の中に入ってきたのか?

 …………。



 しばらくして俺は家に帰ってきた。

 なんとなく中の様子をうかがいつつ玄関のドアを開けると、


「…………あんた、どこ行ってたんだよ」


 姉ちゃんが仁王立ちして立っていた。

 どこ行ってたんだよって、お前が追い出したんだろ……。

 本来ならそんな悪態のひとつやふたつくらいついてやりたいところだが、

 

「公園で雪遊びしてきたんだよ……」


 どうにも反抗する元気もわかなかったので、そう言っておいた。


「……早く上がんなさいよ……って、その顔色どうしたのよ真っ青じゃない!」


 言われてみれば、どうにも悪寒する。

 結局、俺はその後は食事もとらず、すぐに床に入ることにした。

 風邪をひいたのか、明らかに発熱しているようだったので体温計で測ってみると、案の定38度を超えていた。

 この分だと、まだまだ夜中に上がりそうだ。

 全く、災難な一日だった。


『――――!』


 …………。

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