第2話 ある日のこと

 気が付くと、俺は暗い天井を見上げていた。


 時計を見ると、十二時ちょっと前だ。カーテンを閉めているので、部屋の中はこの時間でも薄暗い。

 頭がどうにもぼんやりとしている。夢を見ていたことは覚えているんだけど、どんな内容だったっけ。

 白い天井、誰もいない街、教室……。

 それから…………。


『————』


 誰かに何か言われたような気がするんだけど、なんだったっけ。よく思い出せない。


『————』


 ……まあ、いいか。


 とりあえず俺は気だるい体を起こすと、自分が空腹であったことに気づく。

 昨日、夕食を食べてから十六時間は何も食べていないのだ。

 キッチンに行けば何かあるかな。



 俺は自室を出た。

 廊下の窓の外を見れば、車やら通行人やらが忙しなく行き交っているのが見える。

 昨日からこの地方にしては珍しく、二十センチくらいの大雪が降っていて、除雪しきれていない雪が大量に道路に積もっている。

 皆なれていないこともあって、車を走らせるのも歩くのも一苦労と言った感じだ。

 そしてそんな路面状況においても、自転車を走らせるチャレンジャーは一定数いるようで、家の前を大学生くらいの若い兄ちゃんが、えっちらおっちらフラフラしながら自転車のペダルを漕いでいる。

 そして盛大にこけるのが見えた。

 俺は可笑しくて思わず噴き出す。

 ご苦労だなあ。


 俺はそんな彼を後目に階段を下りて、キッチンに来た。

 すると、テーブルの上に書置きがあった。


〈ご飯は冷凍のチャーハンがあるからチンして食べてください〉


 母が書いたものだろう。冷凍庫を開けてみると、スーパーで買ってきたよくある冷凍食品のチャーハンがあった。

 俺は袋を開けて適当に皿に盛りつけてラップをかけ、電子レンジに入れてスイッチを入れる。

 外から遠く聞こえる車の走行音以外には、ブゥゥンと言う電子レンジの起動音だけが響き渡る、すごく静かな空間。

 俺はこんな時間をひとりで過ごすことを、とても好ましく思っている。

 

 ――チン――


 椅子に座って待つこと五分。電子レンジが止まったことを告げるベルが鳴る。

 俺は皿を取り出そうとするが、すごく熱くて手で持てない。なんとかそれをお盆の上に移してテーブルへと運んだ。

 ラップをとると、ふわっと香ばしい湯気が立つ。

 なかなかうまそうだ。早速レンゲですくって口に入れてみる。


 ……まあ、普通に冷凍食品の味だ。


 でも、ひとりで食べる食事なので何割増しかくらいでうまく感じる。学食や教室で食べるのとは比べ物にならない。

 同い年の奴らは、今頃学校で監禁生活を送っていることだろう。

 たぶんあいつらはマゾなんだろうな。

 俺はそんなことを考えながら、一口二口と食事を進めていった。



 食事の後。

 俺は居間のソファーに寝転んで読書タイムに興じていた。

 読んでいるのはアニメの続きが待ちきれなくて、今さらながら通販で全巻セット買いした今話題の少年漫画『デーモンバスター』だ。


 …………。

 うぉぉぉぉ、シズクぅ……なぜ死んだ!


 推しが死んだ。ありえんくらい悲しい。

 先に漫画投稿サイトで同人漫画を読んでいたので、こいつは主人公といちゃいちゃラブラブな展開になると思ってたのに……。

 それなのに最期あっけなさすぎんだろ!

 原作でも、もうちょっとくらいいちゃラブ展開やってもいいだろ!

 でも、俺もあの笑顔で罵倒されたいハァハァ。

 いやホント、このキャラ包容力あるお姉さんなのに時々ドS入ってる感がたまんないのよ。

 ……これはお年玉の残りをはたいた価値はあった。

 俺的神作認定しておこう。


 ――チャーチャチャチャチャチャチャ……――


 遠くから「夕焼け小焼け」のメロディーが聞こえてくる。

 俺が通っていた小学校から流れてくる、午後五時の下校時刻を知らせるチャイム。


 ……もうそんな時間か。


 学校に行かなくなってから気付いたが、一日とは実にあっという間だ。

 それどころか一週間も一カ月も半年でさえもびっくりするくらい時間が経つのが早い。

 登校していたときは一日がめちゃくちゃ長くて、いつも放課後が待ち遠しくて仕方がなかったけど。

 一体、何がそんなに違うのだろうか。

 などと思っていると、ガタンと玄関のドアが開く音がする。

 この、母以上父未満くらいの勢いの開け方からして、帰ってきたのは姉ちゃんか。

 ずっと家にいると、玄関を開け閉めする音を何度となく耳にすることになるので、人によって癖があることがわかってくるのだ。

 しかし、うるさいのが帰って来たなあ。

 なんだかいつもより早いような……ああ、そういや今日は部活が休みなんだっけ。


「…………」


 姉ちゃんは居間のドアから顔を出し、漫画を読んでいる俺を一瞥すると、ポニーテールを揺らしつつ無言で自室のある二階に上がっていく。

 全く不愛想なことだ。できればそのまま降りてこないでほしい。

 なにせ、髪型だの服装だの趣味嗜好だの友達いないだのなんだのかんだの、どうでもいいことにばかりうるさい、人を馬鹿にすることを楽しんでいるような最低女だ。

 でもまあ、考えてみればかわいそうな奴だ。

 きっと学校に毒されているんだろう。

 ここはもっと、あったかい目で見守って差し上げようではないか。

 

 しばらくして、どたどたと階段を降りてくる音がしてくる。

 部屋着に着替えた姉ちゃんは、キッチンに来て冷蔵庫の扉を開けると、中からペットボトルのジュースを取り出す。

 そして、


「あんた、そんなことやってて人生楽しい?」


 居間に来るなり、横目で俺を煽ってくる。


 ……出た出た出たよ。早速出ましたよ。

 お前に煽られてもうれしくもなんともないっての。どんだけかまってほしいの?

 てか何だよ、今度は人生かよ。こりゃまた随分と大きく出たな。

 それにどうでもいいけどそんなことってなんだ。俺の華麗なる高等遊民ライフのことだろうか。

 ははん、つまりやっかみか。


「超楽しい!」


 笑顔で言ってやると、


「あっそ。邪魔だからどいてくれる?」


 俺が座っているソファーを指さして姉ちゃんは言いやがった。


「はぁ? 向こうにも椅子あんだろ。そっち座れよ」

「そもそもさ、あんたごときにソファーとか椅子とか座る権利あると思ってんの? 床でも座ってなよ」


 微妙に話が噛み合わないうえにゴミくずを見るような目で見下してくる。

 うん、やっぱりこいつは救いようがない。


「そうですね、お姉さまは確かに正義でありおっしゃる通りかもしれません。……でもやなこった」

「あんっ!?」

「お姉さまもご存じのようにこの美作(みまさか)智也が身上とするところによれば、正義とは往々にして争いの火種にしなからず……」

 

 一分後。

 必死の抵抗もむなしく、結局追い出された。

 ……家の外に。

 なんなのあれ。空手部部長で有段者とか反則だろ。

 しかもご丁寧に跡が残らないように殴るわ蹴るわ。

 武道家の恥さらしめ。

 くそぅ、いつか絶対仕返ししてやる。覚悟しとけよ!


 こうして俺は、陽の落ちた雪の街をひとりとぼとぼ歩きだしたのだった。

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