第90話 町人Aは北に向かう
ラムズレット王国は遂に冬を迎えた。あのまま学園に通い続けていれば俺たちも卒業をしていた頃だ。
今のところラムズレット王国は平和そのものだが、セントラーレンでは大きな動きがあった。
エスト帝国が西進し、ゲームの通りにセントラーレン王国の王都ルールデンへと進軍を開始した。
ゲーム同様、途中の町は瞬く間に蹂躙されてルールデンへと軍が迫ったそうだが、ゲームとは違いルールデンは陥落せずに持ちこたえている。
報告によると、ルールデンの兵士は死兵と化して必死の抵抗をしているらしい。
死ぬときも聖女様万歳、と叫んで死んでいくそうなのでやはり危惧していたことが起きたのだろう。
どうやら予想通り男性から順に篭絡されて行っているようで、我々もあの女に会う可能性のある男性の密偵は全員下がらせたそうだ。
しかし、全てが上手く行っているかといえばそうでもないようだ。
そうやって篭絡した男たちを足がかりにその家族や恋人も篭絡できる場合もあるが、逆に反感を持つ者も出てくる。
今や王都ではエイミーを慈愛の聖女とする新興カルト宗教が出現したかのような状態で、それは王太子から王宮内を中心に貴族、兵士へと広がり、そして少しずつ市井にも広がりつつあるというのが現状だ。
ただ、教会はエイミーを聖女としては認めていない。
なんでも証拠の提出を求めているそうなのだが、何故ステータスを調べればすぐわかるはずの事をしていないのか意味が分からない。
だがあの時の口ぶりからは、自分がゲームのヒロインと同じ慈愛の聖女の加護を授かったと確信している様に見えた。
エイミーはそんな単純な事に気付けていないのか、それとも知った上で蓋をして無視しているのかは分からない。
だが、もうどちらにせよエイミーは狂っているし、放っておいたらあいつに人生を狂わされる人がどれだけ出るか分からない。
最悪の場合、アナを氷の聖女として教会に認定させる必要も出てくるかもしれない。
ただ、そうなればアナを教会の庇護下に置かせろ、なんて話にもなりかねない。もちろんそうはならないかもしれないが、聖女ともなれば教会としても権威の象徴的な部分があるので話がややこしくなることは間違いないだろう。
そんなわけなので俺はさっさとエイミーを始末しておきたいのだが、残念ながらそう簡単に話は進まないのが何とももどかしい。
まず、今のラムズレット王国の国力を考えるとエスト帝国と事を構えるわけにはいかない。俺が爆撃すれば局地的な戦闘には勝てるかもしれないが、兵士も官僚もとにかく人手が足りないのだ。
そんな状態で戦争に突入すればいたずらに民を疲弊させる結果になってしまい、お互いに得るものがない結果になるだろう。
だからと言ってエスト帝国の味方をしてセントラーレンが落とされてしまうと俺たちはエスト帝国と国境を接することになってしまうのでそれはそれで困る。
そもそも敵国と仮想敵国が争っている状態なのに片方に手を貸して余計なちょっかいを出すのは下策だ。
じゃあ、どうするのか?
それは敵の敵は味方理論である。
俺たちが動けないなら俺たちと当面の利害が一致する誰かに動いてもらえばいいだけだ。
というわけで俺はブイトール改でセントラーレン王国の北部最大の都市キールブルグにやってきた。この一帯はシュレースタイン公爵の治める第二王子派の拠点があり、第二王子自身もここにいるとのことだ。
要するに、この第二王子派に話をつけ、王太子とエイミーを排除してもらおうということだ。
俺は何の問題もなく【隠密】を使って町の中へと侵入し、ざっと町中の噂話を確認してから公爵邸へと侵入した。
「あいつか……」
王太子とよく似た感じの少し幼い少年が恰幅の良い初老の男性と一緒に邸内を歩いている。おそらくアレが第二王子のルートヴィッヒとシュレースタイン公爵だろう。確か、第二王子は王太子の 3 つ下だったはずだから、今 13 か 14 才のはずだ。
そう考えた俺はもっと近づいて話を聞いてみる。
「グレゴーア殿、私は直ちにあの毒婦を討ち、あれに狂わされた兄上を止めるべきだと考えます! オスカー殿の話もあながち嘘とは思えません!」
グレゴーアというのはシュレースタイン公爵の名前だ。たしか、グレゴーア・ユリウス・フォン・シュレースタインというのが本名だったと思う。
「殿下、お気持ちはよく分かります。ですが、今は彼らに争わせておけばよいのです。それにオスカー殿の話はいささか誇張が過ぎるように思います。確かにあの毒婦は他人を狂わせる力があるようですが、オスカー殿とて今更になって自分のしでかした事の重大さに気付いて責任逃れをしている可能性もありますからな」
セントラーレンに返品してからどこに行ったか分からなくなっていたが、どうやらオスカーはこんなところにいたようだ。
「ですがグレゴーア殿、このままルールデンがやつらの手に落ちれば」
「そこは、自称慈愛の聖女様とその信徒どもに頑張ってもらえばよいでしょう。それに、もしルールデンが落とされたとなると、動かなければならなくなるのはラムズレットも同じです。その時、彼らは例の英雄を出してくるでしょう。そうして奪わせたところでもう一度奪い返せばよいのです」
「だが、そんなことをしてはルールデンは壊滅してしまう! そのせいで被害を受けるのは民なのだぞ! 王族は民を守るために戦うべきではないのか!?」
第二王子の口調はヒートアップしていく。
それにしても意外だ。あのバカな父親と兄がいるのにどうしてこんなにまっすぐに育ったのだろうか? やはり反面教師というやつなのか?
「殿下、落ち着いてください。仰ることはまさにその通りです。ですが、加護の無い殿下には兄君や例の英雄のような戦う力はございません。殿下が出たところで大きく戦況を変えることは難しいでしょう」
なるほど。第二王子の加護について聞いたことが無かったが、秘密にされているのではなくそもそも持っていなかったのか。
それで【英雄】の加護を持った王太子があれほど優遇されていたということか。
そんな第二王子は納得の行かない様子でシュレースタイン公爵になおも食って掛かる。
「ぐっ。だが! しかし! 一体どれだけの民が犠牲になると思っているのだ!」
「殿下、民草とは数字なのです。個人がどうなろうと関係ありません。殿下のお立場のお方が民草の個人に心を砕いては
「だが……」
「殿下、もし殿下が一人の困った者に施しを与えたなら、他の者にも同様に与える必要があります。ですが、それをすることは不可能です。よろしいですね? 個人ではなく全体を見て国を統治する王とおなり下さい」
「わかっている。わかっているが……」
なるほど。言っていることは分からんでもないが、ちょっと論点をすり替えているな。
政敵や敵国を民の犠牲の上で潰すことと、王族が特定の個人を特別扱いしてはいけないという話は全く違う。
しかしそこにきちんと反論できないあたり、第二王子はまだまだという事なのだろう。
「殿下、民を思う殿下の気持ちは大変ご立派です。ですが、今は耐える時なのです」
「くっ、わかっている……」
第二王子は悔しそうにそう言ったのだった。
もしかしたら、第二王子がトップに立っている国ならば折り合いをつけることはできるかもしれない。そしてシュレースタイン公爵も多分上手くやれば取引できそうだ。
うーん、さてどうしたものか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます