第81話 町人Aは悪役令嬢を想う
俺たちは無事に領都へと戻ることに成功した。
どうやら下水道からの脱出はノーマークだったようで、公爵様たちは何の問題もなく待機させていた部隊と合流し、一気に公爵領へと戻ることに成功した。
俺の帰りの足はルールデン北東の森の空港に隠しておいた初代ブイトールだが、やはり改良型に慣れてしまうと旧型は少し飛ばしにくいと感じてしまった。
やはりきちんと改良されていることに満足を覚えるとともに、もっと改良してやりたいというエンジニア魂が揺さぶられた出来事でもあった。
いつになるかは分からないが、複座式で椅子のついた前世で乗ったようなグライダーやもう少し座席数の多い軽飛行機も作ってみたいものだ。
さて、あれから王都の情勢はあまりよろしくないらしい。
今回の王の判断を聞いた諸侯は反応が割れた。
まず、ラムズレット公爵家を中心にがっちりとまとまっている南部の貴族たちは一人の離反者を出すこともなくラムズレット公爵家を支持した。
これは、事前の根回しがかなりしっかりとできていた結果と言えるだろう。
そして東でエスト帝国の脅威にさらされている諸侯は態度を明確にはしていないものの、どちらかといえばラムズレット公爵寄りの立場を取る者が多いようだ。
それには理由が二つあり、まず一つ目はラムズレット公爵領からの食糧が供給されなくなると飢える領地が出てくるのだ。
いくら肥沃なブルゼーニの大地を手に入れたとはいえ、帝国軍がちょっかいを出してくることは明白だ。
しかもかなりの人数の住民を追い出しているので生産が回復するまでには相当の時間がかかるだろう。
やはり積年の恨みというやつだろうか? どうして住民を追い出したのかは俺にはわからないが、少しは征服先の住民を上手く扱った古代ローマ帝国を見習ってほしいものだ。
まあ、この世界では古代ローマなんて知りようがないし、俺の習った歴史においてあれほどの巨大帝国は存在していないが。
さて、話を戻そう。もう一つの理由はラムズレット公爵家の冒険者である俺の存在だ。
エスト帝国を一方的に爆撃して蹂躙した俺の存在は既に知れ渡っており、特に東部でブルゼーニ戦線に参加していた兵士たちはその力を肌で感じている。
そんな俺が味方にいる間は心強いが、敵に回った瞬間にそれは悪夢へと変わる。
何しろ、離着陸の時に攻撃する以外に撃墜する手段が無く、ほぼ無制限に上空から爆弾や焼夷弾が降ってくるのだ。
こんなのが相手にいるとなると、最早士気を維持するどころの話ではない。
実際、エスト帝国軍は途中から明らかに戦意を喪失していた。
さて、一方で西と北の貴族たちはラムズレット公爵を排すべしとの立場を取って王家を支持している。
ただ、その貴族たちも西は現王と王太子を、北は第二王子を支持する貴族が多いため、表向きはラムズレット公爵家を非難しつつも内輪揉めも同時にしている状況だ。
そして王はというと、逆賊ラムズレット公爵の討伐を声高に命じている。
しかし王がそう命じているにもかかわらず、実際に軍を差し向けるとなると自分や自分の派閥の兵士は失いたくないという諸侯たちが二の足を踏んでいるそうだ。
世界史なんかで聞き覚えのあるグダグダな状況だが、実際に相手がこんな状況でスタックしてくれるのであればこちらとしてはありがたい。
それに対して公爵様は容赦なく手を打っていった。
まず、領外への小麦の輸出を停止した。
表向きの理由はザウス王国による侵略によって略奪が行われたため、ということになっているが実際は違う。
そもそも、小麦の種をこれから蒔く時期だったのだから言うほど甚大な被害がもたらされたわけではないし、ザウス王国からは略奪された以上の賠償をもぎ取っているのでラムズレット公爵家としては痛くも痒くもない。
その証拠にマーガレットのアルトムントやイザベラのリュインベルグのようなラムズレット公爵家を支持する領地への流通は今まで通り認められている。
だが、この小麦の禁輸は非ラムズレット公爵派の領地に暮らす庶民の暮らしに大きな影を落とした。
小麦の値段が日に日に上がっていき、禁輸措置の開始から一週間で既にパンの値段が倍になっている町もあるそうだ。
さすがに可哀想だとも思うが、王の横暴にこのまま泣き寝入りするわけにもいかないのだ。ここは心を鬼にするしかない。
その次に起きたのは冒険者たちの大移動だ。
冒険者たちは魔物を狩ったり迷宮を攻略して宝を得ることで生計を立てているのだが、その仕事の性質から別の都市への移動が認められている。
その冒険者たちが小麦価格が高騰したあおりを受けてラムズレット公爵派の都市や小麦を自給できている都市へ続々と移動したのだ。中には戦争需要を当て込んでラムズレット公爵領に移動した者もいると聞いている。
そんな中でもマーガレットのアルトムントは特に大人気だそうで、オークの大迷宮で獲れる
俺としてはこの中に師匠たちも含まれていることを願うばかりだ。
さて、今のところは公爵様と議論したプランの通りに進んでいる。
この先もいくつか想定していることはあるが、まだ不確定な部分も多い。
特に重鎮二人を失ったエスト帝国、そして隣国の政変に未だ動きを見せていないノルサーヌ連合王国がどのように出てくるのかは注視する必要がある。
そして時間が経てば経つほど食糧事情が悪化する非ラムズレット公爵派はどう出てくるのか、事態は予断を許さない状況だ。
****
俺は今日の仕事を終えるとアナの部屋へとやってきた。
ちなみに仕事というのは公爵様の政務のお手伝いをしている。こんな状況なので公爵領は猫の手も借りたい状況で、ダラダラと遊んでいる余裕などないのだ。
「こんばんは、アナ。今日も星が綺麗に輝いているよ」
俺はそう呼びかけるが、アナはピクリとも反応を示さない。
毎日側仕えをしてくれているメイドさんたちによって身だしなみは綺麗に整えられたアナはとても幻想的で、まるで精巧に作られた彫刻のように美しい。
俺はアナの体をそっと持ち上げ、床ずれ防止のためにその体勢を変えてやると俺のほうを向かせる。
軽くなり、そして痩せてしまったその体を抱き上げる度に胸が締めつけられる。
「ね、アナ? 公爵様が俺とアナの結婚を認めてくれたんだ。そろそろ、目を覚ましてくれないかなぁ?」
もちろん、そうならない事は分かっている。俺はアナを起き上がらせると関節が固まらない様にほぐしてあげながら語りかける。
「そうだ。明後日はアナの誕生日だったよね? 久しぶりに領都邸でアナの誕生日を祝えるって、領都邸のみんなも張り切っているよ? だから、さ。目を、覚まして、くれよ」
いけない。笑顔で話しかけるって決めていたのに。
少し涙声になってしまった。
こんな状態でアナが目を覚ましたら心配させてしまうだろう。
「アナ、おやすみ」
俺は再びアナをベッドに寝かせるとアナの額に軽く口付けを落として部屋を後にする。
月明かりに照らされたアナの姿はやはりとても幻想的な美しさで、そして今にも消えてしまうのではないかという不安に駆られるほどに儚げだった。
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