第72話 町人Aは悪役令嬢を医者に診せる

「なっ? まさかアレンか? これは一体!?」

「公爵様、お願いします。早く医者を、飛び切り腕のいい医者をお願いします。それからアナを安静にできるベッドを準備してください」


俺は挨拶もせずにいきなり用件を伝える。失礼だとは頭では分かっているが、とにかく早くアナを医者に診せたいのだ。


「医者? アナだと? いや待て! アナはどうした?」

「こちらに。お願いします! どうか早く! お願いします!」


俺はブイトール改の上で眠るアナを指し示しながら公爵様に懇願する。


「アナ! ……わかった。おい、早く馬車の準備を」

「必要ありません。俺がこのまま公爵様のお屋敷の庭まで運びます。なのでベッドと医者を!」

「え、ええい。わかった。もう何も言わん。おい、聞いたな。早く準備しろ。アレンも行け。私の屋敷は町の中心にある一番大きな建物だ。行けばわかる」

「はい! ありがとうございます」


俺はブイトール改を離陸させるとそのまま領都上空へと飛び、そして公爵様の屋敷の庭にメリッサちゃんとジェローム君の助けを借りて強行着陸した。


「ひっ、ド、ドラゴン」

「うわぁぁぁぁぁぁぁ」


メリッサちゃんとジェローム君を見て腰を抜かして驚く使用人たちと、震えながらも剣を、そして槍を構える衛兵たちの姿がそこにある。


「がおっ♪」


メリッサちゃんがおどけたように口を開いて威嚇すると、使用人たちの一部は失神してしまい、中には失禁してしまった人もいる。


「メリッサちゃん、あんまりからかっちゃ……」

「そうね。ごめんなさい。こちらは何もする気が無いのにあんな反応されるとついおかしくなっちゃって」


俺は立ち上がるとアナを横抱きにして立ち上がる。矢傷がじんじんと痛むし熱を持っているような気もする。


だが、そんなことはどうでもいい。


俺はアナを横抱きにすると大きな声で叫んだ。


「帝国よりアナスタシア様を救出した! 戦に勝利された公爵様には既にお知らせしてある! 医者がすぐに来るので早く安静にできる場所を準備してくれ!」

「何の騒ぎ……お、お嬢様! 何という格好を!」


騒ぎを聞きつけたのか建物の中から貫禄のあるメイドさんが出てきた。


彼女はメリッサちゃんとジェローム君の姿を見て絶句したが、次の瞬間俺の腕の中にいるアナに気付いて慌てて駆け寄ってきた。


だがすぐに眉を顰める。


アナの格好もあるだろうが、多分俺もアナも酷い臭いを放っているのだろう。


「早く安静にできる場所を!」

「わ、わかりました! どなたかは存じませんが感謝します。こちらへ」


俺はそのままアナを抱えて建物の中に案内され、そしてとても豪華な女性の部屋に備え付けられた大きなふかふかのベッドにアナを横たえた。


その瞬間、アナの表情が少し揺れたような気がしたのは俺の気のせいだろうか?


「アレン様、でしたね。お嬢様のお召し物を替えさせて頂きます。部屋をご用意いたしますのでそちらでお待ち頂けますか?」

「……はい」


俺はそう答えると、別の若いメイドさんに案内されてはす向かいの部屋へと案内された。調度品も質素で落ち着いているかなり大きな部屋だ。


「お客様、どうぞこちらのお部屋をお使いください。それから、軍服は随分と汚れてらっしゃいますのでお着替えをご用意いたします。しばらくお待ちください」

「……はい」


そうしてメイドさんが出ていき、そしてすぐに着替えを抱えて戻ってきた。どうやら用意された服はラムズレット公爵軍の軍服のようで、幾つかのサイズを持ってきてくれていた。


「お手伝いいたします」

「え? あ、いや」

「いえ、これがメイドの仕事ですので。それと、お怪我もなさっていますよね? 簡単な手当くらいでしたら私でもできますので」


そう言われた俺は半ば押し切られるようにして矢傷の手当てを受け、着替えを手伝ってもらった。


「それとアレン様、お嬢様をお救い頂きありがとうございました。失礼いたします」


そう言い残してメイドさんは俺の部屋から退出していった。


正直、昨日からの徹夜でかなり眠い。だが矢傷が燃えるように痛んで無理矢理起こされている感じだ。


それにやはりアナがどうにも心配だ。


居ても立っても居られなくなった俺は部屋を抜け出すとアナの部屋へと向かう。


すると丁度メイドさんたちがぞろぞろと出てきた。どうやら着替えは終わったのだろう。


俺はノックをしてから中に入ろうとするが、メイドさんに止められてしまう。


「お嬢様はお休み中でらっしゃいます。どうかご遠慮ください」

「え?」


止められたことに一瞬憤りを覚えるが、よく考えたらメイドさんとしては当然のことだった。


だが、こちらとしても心配で仕方がない。わがままとは分かっていても食い下がってみる。


「あの、心配なので顔を見たいんですが……」

「お嬢様はお休みになられております。お目覚めになられてから改めてお呼びしますのでどうかご遠慮ください」


いや、だからそれが心配なのだが。


どうしたものかと思案していると、後ろから公爵様の声がした。


「構わん。それにアレンも必要だ。一緒に来なさい」

「はい」

「かしこまりました」


メイドさんは何も言わずに引き下がり、公爵様がエリザヴェータさん、医師と思われる白衣の老人を連れてやってきた。


そして俺たちはアナの寝かされている部屋へと入る。体を清められ、髪を整えられたアナは瞼を閉じて穏やかに眠っている。


穏やかに眠ってくれている事に安堵あんどしたが、同時にもう目を覚まさないのではないかという不安にも駆られてしまう。


そんな俺に公爵様が話を切り出してきた。


「さて、アレン。何があったか教えてくれるか?」

「はい。軍事的、政治的な話が非常に深く絡みますが、この場でお話してもよろしいでしょうか?」


俺は医師のほうをちらりと見ながら公爵様に確認を取る。


「構わん。彼も我が公爵家に仕える者だ。勝手に吹聴するような愚か者ではない」

「わかりました。ええと、まず、アナ……スタシア様を攫った主犯はエスト帝国の皇太子とその側近と思われる魔術師の男です」


それを聞いた瞬間に公爵様の顔が一気に険しくなり、その医師にも動揺が走る。


「そして、皇太子とその男はアナスタシア様の心を壊して魔剣に支配させる、と言っていました。盗み聞きした話から想像するに、暗闇の中に一人で監禁して、ありもしない嘘を教えて心を揺さぶり、そして心が弱ったところで魔剣を持たせたようです」

「その魔剣、とは何だ?」

「わかりません。ですが、俺が救出したときにアナスタシア様が握らされていた剣がこれです。恐らく、持った者の精神に影響するのだと思いますので、このようにして持ち出しました」


俺は腰に下げている牢屋の壁で作った包みのようなものに納められた魔剣を床に置いて見せた。


ちなみに、帝国では鑑定するということまで頭が回らなかったし、魔剣が完全に見えないこの状態では鑑定することもできない。


この魔剣の詳細は一切謎なままだ。


「それが魔剣か……」

「今すぐに取り出すこともできますが、どうしますか?」

「いや、やめておこう。何か起きた時に対処ができん」


公爵様の判断に俺は頷いて説明を再開する。


「わかりました。では話を戻します。俺はその二人の後を尾行してアナスタシア様の監禁されていた宮殿の地下牢に行きました。そして皇太子ではないほうの男が何かの魔法を使い、アナスタシア様をさらに苦しめ始めたところで我慢できずに介入し、その二人を俺が殺して救出しました。そして友であるスカイドラゴン夫婦の助けを借りて帝都を脱出して、夜通し飛んでここまで辿りつきました」


俺がそこまで一気に伝えると公爵様が頭を抱えている。


「ま、待て、待て、待て。今帝都と言ったか? そして皇太子を殺した? 一晩で帝都からここまで来た? しかもあのスカイドラゴンは夫婦でそれが友、だと?」


公爵様がふーっと大きなため息をついた。


「口からでまかせを言っているのではない、のだよな?」

「はい。アナスタシア様を見つけてくれたのもその二匹のスカイドラゴンです。皇太子ともう一人の男の首は魔法のバッグに入れて持ち帰っています」


それを聞いた公爵様は天を仰いだ。


「ええと、俺の知っている状況は以上です。あ、あとは、飛んでいる間はずっと見守っていましたが、アナスタシア様は眠ったままで、その、目を覚ますことはありませんでした」

「そうか、わかった。おい……治せる、か?」


公爵様が口調とは裏腹に縋るような表情で医師の老人を見るが、彼は首を横に振った。


「申し訳ございません。魔剣などというものが関わっている以上、これは医者ではどうにもなりません。神の慈悲に縋るくらいしかないでしょう。あと人の身で治癒できる可能性がある方がいるとしたら、それは大賢者様くらいではないでしょうか。ですがあの方はもう……」

「そうか……」


なるほど。昔は凄い人がいたんだな。しかし故人とは……残念だ。


「ロリンガス先生……」


エリザヴェータさんの呟きに俺はハッとなる。


「ロリン……ガス? それなら! 公爵様! 今からアナを!」


そう言ったところで俺の目の前がぐらりと揺れる。


矢傷がまるで炎に焼かれたかのように激しく痛み、そして急に動悸が激しくなる。


あれ? これは……なんだ?


うまく……息が……。


「アレン!」「アレン君?」「君っ!」


遠ざかる意識の中、誰かが俺の名前を呼ぶ声がした気がしたのだった。

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