第59話 町人Aは飛竜の谷を再訪する

俺はアナを連れてフライトを楽しんでいる。夏休みもあと二日で終わるという今日、俺にとっては久しぶりの、アナにとってははじめての飛竜の谷へと向かっているのだ。


何だかんだと色々あったが、俺はアナと今まで通りの関係を続けている。流石に一線を越えたことは公爵様にはバレていないようで、うしろめたさはあれど今のところあれ以上の問題は起きていない。


「そういえば、さ」

「何だ?」


二人の時は敬語を使わないことが普通になった俺は、前から気になっていた事を質問してみることにした。


「アナのその口調って、どうしてそんな感じなの? なんかこう、普通の貴族のご令嬢とは言葉遣いが違うよね」


後ろでアナが息を呑んだ音が聞こえてきた。


「……か?」

「え?」


何か小さな声で言われたが、聞き取れなかったので聞き返す。すると、予想外の言葉が帰ってきた。


「アレン様は、やはり丁寧な喋り方をする女性のほうがお好みですか?」


ええと、どうしよう。これはこれでものすごくグッとくるのだが、だからといって今更変えられても違和感が半端ない。


「いや、俺はアナとは気の置けない仲でいたいし、アナが一番楽な喋り方でいいよ。普段の喋り方が楽ならそれでいいし、今みたいな喋り方が楽ならそっちでもいいと思う」

「……そうか」


アナの口調が元に戻った。やっぱり丁寧な口調は気を遣っているという事なのだろう。


「イヤだとかそういうことじゃなくて、ただどうしてそういう喋り方になったのかなって」

「ああ、それはな。私はその、あの殿下と婚約していただろう? その時に私は行儀見習いと称してしばらくの間お城に住んでいたことがあるのだ。だが、行儀見習いのはずが何故かそれに加えて殿下と一緒に騎士としての訓練も受けていてな」


うん? どうしてそうなるんだ?


「ただ、そのおかげで剣の腕は磨けたし、それ自体は問題ないのだ。だが殿下が必要な命令を護衛の騎士たちや侍女たちに出さなくてな。それで私が尻拭いをして代理で命令を出していたのだが、いつの間にやら彼らの上官のような関係になってしまって、それでこういった喋り方がすっかり染み付いてしまったのだ」


なんと。何がどうなるとそんな状況になったのかはさっぱり理解できないが、どうやらアナのこの口調も元の原因はあの王太子のせいらしい。


あれ? もしかしてそうやって甘やかし続けたから王太子のあの性格が助長されていったのでは?


「あ。でも、その、は、母親になってもこの口調だとまずいよな?」


なんだかものすごくグッとくる事を言ってくれる。でも、アナがそう思っているなら単にきっかけがあればいいだけの話なのかもしれない。


「じゃあさ。俺と結婚してから少しずつ変えていこうよ」


俺がそう言うと、アナが息を呑んで少しの間沈黙した。生憎その顔を拝むことはできないが、きっと真っ赤になっていることだろう。


それからアナは小さく「そうだな」と答えると、話題を転換してきた。


「ところで、飛竜の谷といえばワイバーンが飛び交う恐ろしい場所だと聞いているが、本当に大丈夫なのか?」

「知り合いがいるからたぶん大丈夫だと思う」


俺がそう答えると、アナは俺の腰に頭を預けてきた。


信用する。


これはアナのそういうサインだ。


ワイバーンたちは俺たちの乗るブイトールに少し驚いた様子ではあったが、攻撃してくる振りは全くない。もし襲われそうになったら全力で引き返して陸路に切り替えようと思っていたが、どうやらきちんと俺の事を覚えているようだ。


そのまま俺はブイトールを風の神殿前のジェローム君が以前惰眠を貪っていた広場に着陸させる。


そして俺はアナの手を取ってエスコートするとそのまま風の神殿の中へと入っていく。


するとそこには姿かたちが少し、いや大分変わったジェローム君とメリッサちゃんの姿がそこにはあった。鱗の色や瞳の色は変わっていないが、体が随分と大きくなり、何と言うかとても精悍でかっこいい感じになっている。だが、ゲームの時のように子供が居るわけではなかった。


「なっ! あれはスカイドラゴン!?」

「おーい、ジェローム君、メリッサちゃん」


アナの驚いた声を尻目に俺が入り口から声をかけると、ジェローム君がドシドシと俺のほうに走ってきた。一対の翼を持つ黒い巨大な空の王者、スカイドラゴンとなったジェローム君は俺に頭を下げてきた。


「ア、ア、ア、アレンさん! お、お久しぶりです!」


ものすごくかっこよくなった見た目と違って、以前と同じように驚くほどの低姿勢なジェローム君を見て俺は懐かしさと安心感を覚えたが、アナは驚きのあまり目をまん丸にして驚いている。


「あら? アレンさん? 久しぶりね。どうしたの? 何か助けが必要になったの?」


そんなジェローム君とは違い白くて美しい、まさに空の女王といった風体のメリッサちゃんが長い首を動かし、こちらを見ている。


「まあ、半々といったところかな。一つは様子を見に来たんだが、誰かに襲われたりしなかったか?」

「ん? ああ、そういえばピンク色の変な女とその取り巻きが訳の分からない事を言いながら襲ってきたって聞いたわね。谷のワイバーン達から」

「被害は無かったか?」

「なんだか、ものすごく弱かったそうよ? 尻尾で一撃だったって。まあ、あたしはアレンさんのおススメもあったからね。ちょっとウチのジェリーと旅行に行っていたわ。楽しかったわよ?」

「そっか。それは良かった」

「で、助けが必要なのは何?」

「今すぐって訳じゃないんだけどな。将来、彼女に何か危機が迫った時に力を貸してほしいなって」

「ふうん?」


メリッサちゃんはそう言うと顔をアナに近づけ、アナはひっと小さく悲鳴を上げ俺の腕にしがみつく。


「この娘がアレンさんの選んだつがいってこと?」

「ああ。そうだ。まだ彼女の両親には認めて貰えていないが、俺は絶対に認めてもらうつもりだ」

「あらあら、それはそれは」


メリッサちゃんはニヤニヤしながらそう言った。しかし、ジェローム君は謎なことを言いだす。


「ア、ア、アレンさんの頼みだったら……」


そんなジェローム君をメリッサちゃんはギロリと睨む。


「この娘の両親を殺すとかダメよ?」

「え? 認めてくれないなら……」

「はぁ。全く、あんたは相変わらずダメね。そんなんじゃまだパパにはしてあげられないわよ?」

「う、うん」


おや? 何故かは知らないがしばらく会わないうちにあのジェローム君が随分と過激思想に染まってしまったらしい。一体何があったというのだろうか?


だが今も昔もメリッサちゃんの尻に完全に敷かれているのは変わらないようで、何故かものすごく安心する。


しかし、今の口ぶりからするとジェローム君は未だにおあずけってことなのか?


それはそれで可哀想な気もするが……。


「まあ、いいわ。じゃあ。ちょっと匂いを覚えさせてもらうわよ」


そう言ってメリッサちゃんが顔を近づけてクンクンとアナの匂いを嗅ぎ、それに倣う様にジェローム君もくんくんとアナの匂いを嗅ぐ。


「うん、わかったわ。他ならぬアレンさんの頼みだもの。大事な番を守る手助けをしてあげるわ」

「ありがとう。助かるよ、メリッサちゃん」

「ふふ、いいのよ。お礼を言いたいなら牛肉でも持ってらっしゃい?」

「そう言うと思って少し持ってきたぞ」


そう言って俺は魔法のバッグに忍ばせておいた牛肉とオーク肉を取り出すとメリッサちゃんに渡す。


「あら! さすがアレンさんね! 気が利くわ!」


そう言うとメリッサちゃんは美味しそうに肉を次々と飲み込んでいく。


メリッサちゃんが俺を見たので頷いてやると、もの欲しそうに見ているジェローム君を尻目にあっという間に俺の渡したお肉を食べつくしたのだった。


「そんなに気に入ったのなら、いつになるか分からないがまた持ってくるよ」

「あら? 本当? 待ってるわよ!」


メリッサちゃんが嬉しそうにそう答えた。


するとジェローム君はもの欲しそうな目で俺を見ている。


おいおい、ジェローム君。お前は頑張って新鮮な獲物を狩ってメリッサちゃんが安心して子供を産めるように養うんだぞ?


卵を温めている間はどっちかが狩りを出来なくなるんだからな?


というか、欲しかったらちゃんと言おうな?


そう思いつつも俺はジェローム君のために用意しておいたお肉を別の魔法のバッグから取り出して差し出す。するとジェローム君はいつものように尻尾をブンブン振り、嬉しそうにそのお肉にかぶりついたのだった。

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