side. アナスタシア(10)

これは、夢なんだろうか?


物心ついた時から礼儀作法を学び、8 歳の頃から王妃となるために育てられてきたこの私にとって、恋をするなどという事はあり得ない話だった。どんなに嫌でも、どんなに疎まれようとも、民の血の上に生きてきた私は、民のためにこの身を捧げる義務がある。


そんな私に恋をするなどという感情が残っているとは夢にも思わなかった。


それが、それがこうして好きになった男性とこうしていられるなんて!


本当に、本当にまるで夢のようで……!


こ、こほん。


さて、アレンが人間に対して強い警戒心を持っているはずのエルフたちにこんなにも受け入れられていることに私は本当に驚いた。


一体どれほどの事をすればここまでの信頼を勝ち取ることができるのだろうか?


しかも、エルフたちは王女殿下が自ら危険であるはずの人間の世界にやってきてまでアレンを 10 年に一度の夏祭りに招待したのだ。


きっと、エルフたちはアレンにこの里に骨を埋めて欲しいのだろう。


王女殿下もきっと……。


だが、そんな大切な儀式でアレンのパートナーに私がなることを許してくれ、アレンも私を見事に守り抜いてくれた。


しかも精霊様がたに祝福して頂いただけでなく、光の精霊ロー様にまで聖なる祝福をお授け頂いたのだ。


更に驚いたことに、光の精霊ロー様はあの無私の大賢者ロリンガス様に連なるのだという。


ロリンガス様といえば、幼い子供たちのために私財をなげうって数多くの孤児院設立に尽力なさった偉大な大賢者様だ。そしてありとあらゆる魔法を使いこなし、一切の詠唱をせずに魔法を発動する世界でも屈指の魔法のエキスパートとしても有名だった。そんなロリンガス様を慕い、尊敬する者は今でも多い。


かくいう私もその一人で、ロリンガス様の伝記を読んではその尊い行いに感動を覚え、自分もこうありたいと思ったものだ。


それに、お母さまの魔法の師だったロリンガス様には幼いころ一度だけお会いしたことがあるのだが、私は今でもその時のことを鮮明に思い出すことができる。


ロリンガス様はその優しく暖かい眼差しで幼い私を見守って下さっていた。特にその眼差しはとてもとても強く、印象に残っている。


もしかしたらロー様は迷いの森に囚われたロリンガス様の子供たちを救いたいという切なる願いによって生まれた精霊様なのかもしれない。


そんなロー様に私はアレンとの愛を祝福して頂いたのだ。


私はもう、自分を殺すことはやめようと思う。


私にとってエルフの里はある意味理想の社会に見えた。里に暮らす者たちがそれぞれ協力し合い、できることをできる範囲で協力する。そこに身分の貴賤など存在しない。一人一人がただのエルフとしてそこには在った。


私はアレンと、そんな未来を築きたい。


もちろん、今そのようなことは許されない。


それこそ全てを捨ててエルフの里に駆け落ちでもしない限り不可能だろう。


一方で、私は王太子殿下との婚約を解消したことで政略結婚の駒としては大きく価値が下がったことは間違いない。あれだけ長く続いていた婚約を解消してしまった以上、たとえ私に非が無かったとしても上方婚、つまり正妃として嫁ぐ事はかなり難しい。


そのため、お父さまは家格が下だが力を持つ貴族家に嫁がせることを想定していることだろう。


だから、アレンと一緒に駆け落ちでもしようものならお父さまは何をするか分からないし、きっとアレンもそんなことは望んではないはずだ。


それにアレンは約束してくれたのだ。時間がかかっても必ず私を迎えに来てくれると。


そんな彼を待つのも、その、つ、妻としての役目ではないだろうか?


だがそんな幸せな時間も、王都に戻れば終わりを迎えてしまう。今までの時間がまるで夢のようで、そこからつまらない現実に引き戻されていくような気分だ。


悔しいが、あの女に溺れた王太子殿下の気持ちがほんの少しだけ分かってしまった。


そしてアレンに送ってもらい王都邸へと戻った私はお父さまに強く叱責された。エルフの女王陛下に頂いた妖精の髪飾りはチクリと言われただけだったが、左手の指輪はそれはものすごく怒られた。


だが、この指輪だけは誰が何と言おうとも絶対に外すことはしなかった。それはアレンに外す必要はないと言ってもらえていたこともあるが、同時にこれは私の意志でもある。


もちろん、隠しておけば余計な詮索をされず穏便に済んだだろうというのは愚かな私の頭でも分かる。


だが、愛する男性から最高のプロポーズとともに左の薬指にはめてもらった指輪なのだ。私にはどうしても、どうしてもこの大切な証を外すという事が出来なかった。


その翌日、案の定アレンはお父さまに呼び出されてしまった。だが、どういう意図かは分からないがお母さまは話し合いという名の断罪の場を隠し部屋から見ているように言われ、お母さまに連れられて隠し部屋へと入った。


一方的な断罪の場となる、そう思っていた話し合いは私の想像していたものとは全く異なる結果となった。


最初の方こそアレンが一方的にお父さまに叱られていたが、途中から風向きが変わった。


特に、私が貰ったこの指輪が風の山の迷宮産の叙事詩エピック級の魔道具で、暗殺を恐れる王族や貴族が血眼になって探し求めている物だと知った時は心底驚いた。


はっきり言って尋常ではない。この指輪を献上するだけで爵位が貰えるのではないか、そんな事を言われるレベルの代物なのだ。


一体、アレンはどこまで想定していたというのだろうか?


そうこうしているうちに私の愛する男性はお父さまにほぼ全ての要求を認めさせてしまった。


私の頬をとめどなく涙が伝い、そんな私をお母さまは優しく抱きしめてくれる。


「お母さま、私はもう……」


そう言った私をお母さまは優しく、そしてぎゅっと抱きしめてくれたのだった。

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