side. アナスタシア(9)
北の山々の向こうに日が沈み、辺りが暗くなってきたころに私たちはエルフの里に到着した。おそらくここはリンゼアの近くにある迷いの森の奥だろう。
リンゼアの迷いの森は有名だし、エルフの隠れ里があるのではないかという噂はあった。だが迷いの森に足を踏み入れた者は誰一人として生きて帰ることはできない。最近だとあの無私の大賢者ロリンガス様が何かの秘薬を求めて立ち入った結果行方不明となり、
そんな迷いの森の向こう側にアレンはいとも簡単に辿りついてしまったのだ。
エルフたちにアレンは歓迎されているようだが、やはり私は異分子なのだろう。随分と警戒されているようだ。
だが人間がエルフに対して行ってきたことを考えればやむを得ないだろう。
アレンはそんな事を考えて少し沈んだ気持ちになった私の手を取り、里のエルフたちに親し気に挨拶を交わしながら歩いていく。
それから建物の中に入るとあっという間に女王陛下の御前に通された。先触れもなく女王陛下にお会いできるなど、一体どれほどの信用をアレンは勝ち得ているというのだろうか?
アレンと女王陛下が簡単な挨拶を交わした後、私の話となった。
「それで、そちらの女性は?」
「はい、紹介します。こちらの女性はアナスタシア・クライネル・フォン・ラムズレット様、俺の……大切な女性です」
嬉しい! 私のことを大切な女性と言ってくれた!
「そう、この人がアレン様の……」
「アナ様、こちらがこのエルフの里の女王様です」
「ラムズレット公爵が娘、アナスタシアと申します。女王陛下にお会いできて光栄でございます」
私は公爵家の娘として、そして何よりアレンの大切な女性として恥じないように淑女の礼を取った。すると女王陛下は少しだけ表情を崩した。
「ふふ。そう。アナスタシアさんは良いところのお嬢さんなのですね。それでは、エルフの里が何故閉じられているかは、理解しているかしら?」
「……はい」
痛いところを突かれてしまった。
「そう。ではそれを知っていて何故、アナスタシアさんはここにアレン様と一緒に来ようと思ったのですか?」
「そ、それは……その……」
私は上手く答えられずに口ごもってしまう。
ああ、もう! どうしてアレンのことになると私はこんなにも上手く喋れなくなってしまうのだ!
「アレン様、少し外してくださるかしら?」
「はい。ではアナ様、俺は部屋の外にいます」
アレンは女王陛下に促されて退出し、部屋には私と女王陛下だけが残された。
「さて、アナスタシアさん。あなたは何故閉じられているか知っていると言いましたね?」
「はい」
「では、アレン様がエルフの里と交流があると知られるとアレン様の身に危険が及ぶと理解していますね?」
「……はい。分かっていました。私たち人間の中には、卑劣にも見目麗しいエルフたちを捕まえ、奴隷として扱う者がおります。そういった者たちはアレンを脅してでも場所を吐かせようとするでしょう」
「では、何故見なかったことにせずにここまでついてきたのですか? アナスタシアさんはアレン様の奥方というわけではないのですよね? しかも大切な女性、という言い方ですと、将来を約束した仲ですらない」
「……はい」
淡々とした表情で女王陛下は私に正論をぶつけてくる。その正論に私は何一つ反論することができず、私は唇を噛む。
「では、何故ですか? アナスタシアさんにとってアレン様の存在はその程度、ということですか?」
女王陛下の口調には非難の色が含まれるようになり、そしてその言葉は私の胸にぐさりと突き刺さる。
悔しくて、そして自分が情けなくて、気が付けば私の頬を涙が伝っていた。
ああ、人前で涙を流してしまうなんて!
私はラムズレット公爵家の令嬢として失格だ。
しかし、そんな私に女王陛下は優しい口調で語りかけてきた。
「それが理解できていたのに、 アナスタシアさんは理性では分かっていたのに、ここに来るという道を選んでしまった。それがどうしてなのか、アナスタシアさんは分かっているのではありませんか?」
「それは……」
分かっている。でも本当は口に出してはいけない想い。でも、私はそれを堪えることは出来なかった。
「アレンの事がっ! ……好きだから。だから、だから! 私のいないところでアレンがっ! 他の女となんてっ!」
言ってしまった。身分に差があるから。貴族としての義務があるから。だから、だから!
「あ、ああああ」
その言葉を口に出してしまったことに深い後悔の念を感じ、そしてまたも涙が頬を伝う。
「つまり、アナスタシアさんはアレン様のことが好きだけれど、人間の世界では一緒になることができない、と?」
私は小さく頷いた。
「それでしたら、この里でアレン様と暮らしてはいかがですか?」
「えっ?」
「私たちも恩人であるアレン様には幸せに暮らしていただきたいのです。人間の世界で叶わぬ恋ならば、いっそ全てを捨ててしまえば良いのではありませんか?」
あまりに甘美な提案に思わず飛びつきたくなるが、それは絶対に許されない。
「それは……許されません。民の血の上に生きてきた貴族の娘として、民のためにその身を捧げる義務があります。だから……私が、私だけがそのような幸せを掴むなど……許されないことです」
すると女王陛下は心底不思議そうな顔をして私に問うた。
「不思議ですね。では何故両方を掴み取る道を選ぼうとしないのですか?」
「え?」
「アナスタシアさんは民のおかげで生活できたので民のために生きる必要がある。それなら、アレン様と共に民のために生きれば良いのではありませんか?」
理想はそうだ。そんな道があるなら是非そうしたい。
だが、そんな道が本当にあるのだろうか?
それに、アレンはそれを望んでくれるのだろうか?
「アナスタシアさん、私にはあなたは少々自己犠牲が過ぎるように見えますよ。もう少し肩の力を抜いて、自分に素直になっても良いのではありませんか?」
「わ、私は……」
優しく私を諭すかのようにそう言ってくれた女王陛下に私は何も言葉を返すことができなかった。
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