side. アナスタシア(2)

結果を考えれば、アレンを誘ったのは正解だった。あの女が殿下だけでなく他に 4 人の男性にすり寄っているという異常な状況を外に見られずに済んだのだし、それに彼の案内は堂にっており、安全にも配慮した素晴らしいものだった。


特に 7 年前にゴブリンの巣になっていたという話は初耳だった。当時は私も幼かったし領地で暮らしていたのでそんな事件があったことは知らなかった。それに彼はその頃から冒険者ギルドに出入りして仕事をしていたような口ぶりだった。8 才の頃から冒険者ギルドに出入りするとは、きっと私が想像しているよりも遥かに苦労を重ねてきたのだろう。


道中、あの女は突然予定にない道を歩きたいと言い出したり、殿下に迫っておきながら殿下以外の男性とベタベタしていたりと眉をひそめたくなるような奇行を繰り返していた。


だが、アレンのおかげですっかり腹を括れたからか、強い感情に突き動かされることは一切無かった。


そして何より、王都に戻った後が素晴らしかった。天才というのはまさしくアレンのためにある言葉だ。基礎知識は不足していたが、一度教えればまるでスポンジのように吸収していく。


そうして専門家の先生方との議論にも耐えられるだけの知識をあっという間に身につけた彼は、複雑な論点を分かりやすく、そして的確にまとめていく。更に極めつけは論文など書いたことすらないはずの彼がどういうわけかすらすらと論文を書き上げていったのだ。これはつまり、渡された論文を読んでどうすべきかを学習した結果なのだろう。


あまりの天才ぶりに鳥肌が立った。それと同時に彼と議論できることに喜びを感じている自分がいる。


彼と比べてしまうと殿下はあまりにも子供じみている。正直に言えば殿下など取るに足らない存在だと感じてしまったのだが、それを口に出す事は許されない。


こうして彼が主体となってまとめ上げた論文形式のレポートは殿下の功績として高く評価された。しかし、アレンは尻馬に乗っただけ、などという誹謗中傷を受けた。


さすがにこのような仕打ちは我慢ならない。


私は断固として抗議し、少なくとも先生方だけにはその内情を理解してもらえたのではないかと思う。


****


それから私はアレンの事が少し気になるようになってきた。相変わらず彼は誰とも喋ることができない。なんとかしてあげようとは思っても、殿下の婚約者である私も、婚約者のいる私の友人たちもおいそれとは彼に声を掛けるわけにはいかない。かと言って、派閥外の人間に頼むわけにもいかない。


そうして手をこまねいているうちに文化祭という丁度いいイベントがやってきた。


このイベントであれば誘っても問題ないだろう。そう思った私は再びアレンを勧誘した。


「おい、アレン」

「はい、なんでしょうか?」

「お前は文化祭の出し物は決まっているのか? 決まっていないならまた殿下を手伝わないか?」


そう切り出した私に彼は申し訳なさそうな顔をして答えた。


「すみません。実はもうオーク肉の串焼きの屋台で申請を出してしまいました」

「……そうだったか。では期待しているよ。がんばってくれ」

「ありがとうございます」


そうは言ったが正直残念だ。あの天才ぶりをもう一度間近で見てみたかったのだが。


「あ、でもどうしてもってことでしたら」


なんということだ。どうやら顔に出てしまったらしい。


貴族令嬢として表情を読まれてしまうなど論外だが、よく考えてみればレポートの時も手柄を全て殿下に横取りされた形になっているのだ。そもそも誘うのは失礼だったかもしれない。


そう考えた私はその申し出を断った。


「いや、大丈夫だ。せっかくだから食べに行かせてもらうよ」

「はい、ありがとうございます」


オークといえば私の友人であるマーガレットの故郷アルトムントで取れる名産品だ。だが、この王都では滅多に手に入らない高級品のはずだ。


一体どうするつもりなのだろうか?


私はアレンにますます興味を持った。


****


その後、私は殿下の決めたテーマで殿下に言われたことを手伝うことになった。テーマは『下町文化と生活、そして王国の支援制度について』だ。要するに、あの女の過去の生活を最底辺と決めつけ、それに対する王国の支援制度を紹介するものだ。


下らない。


そういう話であれば実際に貧民街を見に行くべきだし、クラスにそこの出身者がいるのだから彼の話を聞いて協力を依頼すべきだと言ったが、その意見は聞き入れられなかった。


私は諦め、図書館で調べればわかる支援制度の歴史と内容についてまとめることにした。


しかし、事あるごとにあの女が私を挑発するように絡んでくることになった。


正直、一体何がしたいのかさっぱり理解ができない。


しかし真っ当な苦言を呈しても殿下たちはあの女を庇い、私を叱りつけてくる有り様だ。


もはやどうにもならないだろう。


一体何故、我が国の王太子殿下はここまでの愚か者になり下がってしまったのだろうか?


私はやるせない気持ちで展示の準備を続け、そしてひと段落したところで寮へと戻ることにした。


そうして廊下を歩いていると、あの女が壁を背にして立っている。私が無視して通り過ぎようとすると、あの女は挑発するような笑みを浮かべて言い放った。


「無様ね。婚約者を奪われた気分はどう?」


その言葉を聞いた瞬間、私の頭は真っ白になった。


お前が殿下を狂わせたんだろうが!


そう思った瞬間、我慢していたものが一気に噴出し、気付けば私は右手を振り上げていた。


「ふえーくっしょん」


しかしその瞬間、あまりにもわざとらしいくしゃみの音が聞こえてきた。そのおかげで我に返った私は右手を振り下ろさずに済んだ。


そして、そのくしゃみの主はなんとアレンだったのだ!


「あ、あれ? アナスタシア様? それにエイミー様も? あ、もしかしてお話し中でしたか? し、失礼しました!」


そうしていかにも気付いていなかった風を装ってわざとらしく謝罪すると、これまたわざとらしく走り去っていった。


これは……私は、助けられたのか?


アレンのおかげで冷静さを取り戻した私は無駄と知りつつもあの女に警告する。


「お前には何を言っても無駄なようだ。だが覚えておけ。殿下はこの国の未来の王だ。王族の、そして貴族の果たすべき役割を理解していないお前は殿下には相応しくない。殿下に近づくな」


そして私はそのまま寮に向かって歩き出す。私の背中にはあの女の視線が痛いほど突き刺さっているのを感じたのだった。

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