北千住露出紀行

マシマシジロウ

第1話北千住露出紀行

 あれは忘れもしない高校2年生の時、10月某日(この時点で記憶が曖昧だが)の修学旅行での出来事であった・・・。

 埼玉県の某公立高校へ進学した私は、そこそこの学生生活を満喫し、いよいよ学校生活の集大成、そう、「修学旅行」なるものに差し掛かろうとしていた。当時、いわゆる「イキリ陰キャ」ひと昔前の言い方をすれば根暗と形容できるような存在であった私は、この修学旅行という一大イベントを前に「も、もしかしてオラにも修学旅行中に何かしらのひと夏(10月は秋だが)のアバンチュールがあるも・・・?」などと思いながら、ブヒブヒと見当違いの下賤な妄想を垂れ流しながらその時をジワリジワリと待っていたものである。当然、それだけ楽しみにしていた学校行事であるから、体調管理は万全である。毎日ランニングでもするわけでもないのに近所の爺さんや婆さん並みに朝6時頃に早起きを実践し、朝食も欠かさず食べ、適度に運動をし、勉学に励んでから夜11時ごろに寝るというとても健康的な生活を送っていた。それもこれも友達が少なく、部活を辞めて放課後に遊ぶ交友関係が無い者だからできた芸当である。これこそが帰宅部根暗の特権であろう。なんだか書いていて悲しくなってきた。そんなこんなで迎えた修学旅行前日。既に荷造りを終え、あとは翌日の修学旅行に備えて眠りましょうという所であった。この瞬間、私は自分のその日一日の行いを振り返った。そう、昔から腹痛もちであり、数々の修羅場を潜り抜けてきた私にとって、明日の修学旅行当日は慎重を期すべき時なのである。その日の夕食は?トイレは?室内気温は?全て大丈夫であった。オールグリーンである。これにて明日の心配はなくなった。よし、眠ろう。そう思った瞬間である、腹部に軽い違和感をもったのは。このまま放置したらまずい、せっかく体調を整えたのにこのまま眠ったら大変じゃないか。しかし眠い。このような葛藤を数分続けたのち、腹痛のプロである私は当然、寝た。この判断がのちに大きく北千住駅に混乱をもたらすとも知らずに・・・。

 さて、腹痛を前日の夜に置き去った私は5時半ごろに起きた。当日なので少し早く起きてみた。朝食も食べ、前夜の借金(大きい物)も無事に返済し終え、意気揚々と友人との待ち合わせ場所である最寄駅へと向かった。しかしさすがは腹痛者の私、この間にも常人ならば、これから起きる学校生活最後にして最大のイベントを前に浮かれるところを、私はひたすら腹痛がおきないように、普段全く存在すら信じないような神に祈り続けていた。きっと昔ならば斬首ものである。そんな臨機応変型信者の私は無事に駅に到着し、友人K君と各駅停車に乗り込んだ。しかし、恐怖は現実のものとなるのだった・・・。

 7時52分、最寄りから電車へ乗り込む。この時点で私は腹部に多大な違和感を感じ取っていたが、その時点ではあまり気にしていなかった。いや、気にしたくはなかったのである。そしてしばらく行って草○駅へと到着した。緊急事態発生。腹部から以上な痛覚を検知。なぜだ・・・おかしい。昨日の晩飯は今日の修学旅行に備えた、かなりあっさりしていて腹痛の原因を排除したつもりのもののはずだ。何なら今日は腹痛に対する予防のつもりで正露丸を服用し、極め付けには腹巻も昨日の夜に寝る前にしたというのに・・・なんでぼくのぽんぽんいたいいたいなの?と、高校二年生ながらにして本気で思っていた。しかし、腹痛というものは非情なもので、いくら対策を練っても痛いときは痛いのだ。とにかく、この状況は非常にまずい。途中下車でトイレに行こうか、いや、まだここは草○駅だ。最終目標地点は東京駅。ここでトイレに行くようではこの後も耐え切れず何回も駅を降り、遅刻してしまうだろう。「腹痛でトイレに行っていたので遅れました」と教師に報告し、もしそれが高校の同期どもに知れ渡ったら悔やんでも悔やみきれない。末代(自分が末代になるかもしれないが)までの恥である。ここで用を足すことは面汚しにも程がある。だから耐えねばならない。しかし、これは近年まれに見るレベルの腹痛である。いっそここでぶちまけてしまおうか。しかし、ここでぶちまけてしまっては一族の面汚しどころでは済まない。一族の面だけでなくこの東部スカイツリーラインの座席までも汚してしまう。それだけは避けなければならない。でも痛い・・・。よって、この二つの符号から導き出される結論はひとつ。ひたすら耐えることである。東京駅まではかなり時間がかかる。おそらく40分はかかるだろう。しかし、耐える。ひたすら我慢の子となるのだ・・・。

 そうして我慢をしていた時の記憶は今となってはもうかなり薄らいでいる。何となく自分のスマートフォンで、気を紛らわすために、なぜかミナ○の帝王だか闇金ウ○ジマくんだか何だかを読んでいて、それはそれでいろいろと恐ろしくて震えていたような記憶があるが定かではない。とりあえず、私たち高校生一行は数十分電車に揺られ、北千住駅で降りた。ここから乗り換えて、東京駅へ行くためである。そこで、私に幸運が降り注いだ。そう、次に乗る電車があと十数分ほど先なのである。ここで私に天啓が舞い降りた。ここでトイレをすればいいじゃない、と。そうと決まれば話は早い。あとは友人たちに話を付け、トイレを探し、この腹の中にあるウ○ジマくんもびっくりの多重債務を完済するだけである。では、トイレに行く旨を伝えようではないか。「ごめん、ちょっとトイレに行ってくるわ。」私はいった。それに対し、友人k君は衝撃の一言を発した。「別にいいけど、長かったらトイレに置いてくわ。」———なんということだろう。この男、仮にも一緒の班の友人のくせしてとんでもないことを言う男である。「だめ」と言おうものなら潔く諦めもつくが、「長かったら」置いていくという自己保身も含める、何たる外道。あまつさえこいつはふざけて私の腹も押し始めてきた。どうやら私はとんでもない化け物と一緒の修学旅行にきているということか。こうなったら一刻も早く用を足すしかない。私は探した。慣れない駅の中を、懸命に。

 緊急事態の人間とは不思議なもので、普段根暗な私でも容易に駅員に話しかけることができた。しかし、嘆かわしいことに、その駅員が言うにはトイレというものはこのフロアにしかないらしいのだ。恐るべし北千住駅。あれほどの利用客がいるというのにこのトイレの少なさとは、足立区民の肛門というものはそれほどまでに鍛え上げられているものなのだろうか。何はともあれ、トイレの場所は判明した。あとはそこへ向かって目的を達成するだけである。しかし、私の頭の中にはある疑念が浮かび上がっていた。そう、もし空いていない場合はどうなるのかということである。しかし、今はそんなことを考えている暇はない。一刻も早く到着しなければならない。そんなこんなで北千住駅内にてトイレを求める旅人として徘徊した私は、ついに約束の地へとたどり着くことが出来た。しかし、想定通りの緊急事態が起こってしまったのであった。そう、並んでいるのである。見たところ十数人はいるだろう。これでは自分が入るまでに30分はかかるであろう。くそ野郎(トイレだけに)、早くどけよ・・・。これでは電車の時間に乗り遅れてしまう。修学旅行に遅刻してしまうではないか。何よりも私の下腹部が限界を迎えてしまうのが先であろう。ここで漏らしたらまずい、何か他の場所はないのか・・・ここで漏らしたらそれこそ自分がくそ野郎になってしまうではないか・・・。と、絶望に暮れていたところ、我が視界に光の扉が見えた。・・・この時の自分の気持ちはえも言われぬ感覚であった。高校に合格したときよりも、スポーツの試合に勝った時よりも、それらの喜びが一瞬にして自身の中で塵芥と化してしまうほどの歓喜が体中に電流を流した。そう、「多目的トイレ」を発見したのである。今思えば、多目的トイレにはいつもいつも助けられてきたように思う。あんな時にも、こんな時にも、いつも私の近くにいて支えてくれたのは多目的トイレ、その人であった。たとえどこかの芸人が多目的すぎる使い方をして、風評被害に遭おうとも、私だけは多目的トイレの味方をしていよう。そう考えたものである。さて、そんな素晴らしい旧友と出会えたのだから早速使わなければならない。トイレなど所詮は使わなければただの臭くて汚い個室でしかない。どうやら人はいる気配がない。まぁ、たとえいたとしてもカギはかかっているだろうし、間違えて他人が用を足しているところへ突入してしまう心配はないであろう。さあ扉を開けて、我、いざ行かん————いた。中に人がいた。何でいた。然し居た。其処にいた。

・・・なぜだ?何故いるのだ?おかしい。かぎをかけ忘れていたのか?などと私が自身の数学の偏差値20を誇る脳みそで思考を駆け巡らせている時、ふと我にかえった。「扉を閉めなければまずいではないか」。相手を見てみると非常に慌てている。というよりめちゃくちゃ恥ずかしそうではないか。ここで閉めてやらねば彼の股間が北千住駅を利用する何万人もの人間の目に留まってしまう。彼は自分の股間を見せたくないだろうし、何よりも私も絶対見たくない。と、いうわけで私は必死に扉を閉めにかかった。本来機械で制御するはずの扉を強引に閉めるのであるから半端じゃない力を使った。今思えばなぜ私は他人の股間を隠すことにこんなに必死になっていたのだろう。「人生は経験が大事」とはよく言われるものだが、この言葉を考えた人でも、よもやこんなくだらない経験が世の中に存在するとは思いもしなかったことであろう。そんなこんなで扉をしめ、トイレから去っていった彼を軽蔑のまなざしで見送りながら気が付いた。自分の便意のことに。他人のことに注意を払っているべきではなかった。自分も彼とさほど変わらない立場に置かれているではないか。深淵を覗いているとき、深淵もまた自分を覗いているのである。そうと気づいた瞬、自分もその多目的トイレに駆け込んだ。ズボンを下ろす速さ光の如し。

 さて、腹痛というものは儚いものである。先ほどまでに私をさんざんに苦しめたくせして、いざ出し切ってしまうと見る影もない。さっきまでの威勢はどこへ行ったのか。来られるものならもう一度来てみやがれ、と思うほどだ。本当に来られたら困るのだが。とにかく、いざ事態が解決してしまうと余裕が出てくるものだ。それにしても、先ほどのこのトイレから出ていった男の顔といったら本当に面白かった。私が間違ってドアを開けてしまったとき、とてつもなく焦った顔をしていた。それもそうだろう。まさか自分の入っている多目的トイレが、何かの手違いでいきなり通りがかりの根暗小僧に開けられるのだから。開けた瞬間、人間とはこれほどまでに素早く反応できるのかと思わせるほどのスピードで股間を隠していた。一種の人体の神秘である。まあそれでも見えていたが。まあ、この俺ともあろう者が同じミスを犯すことはあるまい。ちゃんとカギもかけたし、先ほどの男のような生き恥を振りまいてしまうようなこともない。全く、さっきの男は本当にドジだなあ・・・やれやれ。と思っていた矢先、開いた。目の前の扉が、開いてしまった。自分の股間が、北千住の利用客に開かれている。なぜだ、ちゃんとカギは閉めたはず、何故開いてしまっているのだ。次は自分が犠牲者になるのか、これでは先ほどの自分が笑っていた男と全く同じではないか—。—私はこの時の自分の思考を覚えていない。なんだか、ミイラ取りがミイラになるだとか、歴史は繰り返すだとかいう言葉を思い出していた気がする。それにしてもあのトイレは一体何だったのであろう。誰が入ってもあのように鍵の如何に関わらず開いてしまうのだろうか。何はともあれ、修学旅行は楽しかったし、腹痛は怖いし、北千住の多目的トイレは怖いということである。

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