後日談 下
敵空母甲はこの艦隊の旗艦だ。降下した第一小隊は既に制圧を始めているだろう。
ゴムボートで艦の側面に付けると、聳え立つ船体の外郭を昇り始める。鉤縄を投げあげて昇りきると、そこは恵のいた空母と同じ状況になっていた。
周囲には数えきれない程の死体の山。咽返るような臭い。炎上している艦載機の炎で、遺体が焼かれているからだろうか。
先ほどまでの間に装備品を全て喪失していた恵は、周囲に転がっていた骸から武器を拾い上げる。上等という訳ではないが、素手よりかはマシだろうという考えだった。
耳を澄ませば、この艦で起きていることを何となく察知できた。まだ制圧できていないのだろう。甲板の下から銃声が聞こえる。まだ第一小隊が戦っている。
恵は拾った小銃と数個の予備弾倉を手に走り出した。甲板に動く者はいない。すぐさま密閉扉のところへ駆け寄って押し開けた。
「……遠くはないけど、近くもない」
艦内で鳴り響く警報に混じり、四方八方から銃声が聞こえてくる。
銃声に誘われるように歩き始める。反響して位置が分かりづらいが、時々廊下に転がっている死体を追いながらその先を急いだ。
〈 コイツ。しぶと過ぎる…… 〉
〈 お前、知らねぇのかよ 〉
〈 何があるって言うんですか 〉
一つ先のブロックから、敵兵士の声が聞こえてくる。
〈 こいつらは人体改造された兵士だ。だからあれだけの動きができるし、数発ばかり弾が当たった程度では死なない 〉
〈 何ですかそれ…… 〉
〈 俺も初めて聞いた時は耳を疑った。だけど事実なんだよ。この手の奴らが戦場に現れると非常に面倒だ。手も足も出やしねぇ。もう前衛は崩壊してるし、もうすぐ俺たちのところにも来るぞ 〉
〈 ひっ…… 〉
〈 逃げたって何にもならないぜ。こいつらは四人一組で洋上を空挺降下してきあがった。隣の青海にも四人降りたって見張りの奴から聞いてるからな。こっちの重慶にも四人だ。こっちに来た内の一人は普通だったが、他の奴らが暴れまわっているせいで艦内は混乱しっぱなしだ 〉
恵は息を潜めながら二人の会話を聞く。
〈 お前、"アレ"は持っているか? 〉
〈 はい。一応 〉
"アレ"とは何だろうか。恵はそっと壁から顔だけを出し、二人の姿を目視する。
そこには敵が二人いた。片方の上官っぽい人物と、ひょろっとした部下。双方負傷はしているものの、軽傷の様子だ。腕や足に包帯を巻いており、服の一部は血で汚れている。
そんな部下が持っていたのは散弾銃だった。それもよく戦場で見かけるようなタイプではなく、少し古い型のようだ。何というか、横に広いように見える。
〈 出てきたら撃て。もう前衛は誰も残っていない筈だ。出てくるのは 〉
そう上官が言いかけた時だった。恵と上官の目が合った。
〈 敵だ! こっちは俺がやる。お前は来る奴を始末しろ! 〉
〈 はい! 〉
恵は一気に隠れていた壁から飛び出し、敵の上官の目の前に躍り出る。相手は小銃を脇に構えており、引き金に指がかかっていた。背中合わせに部下が反対側に銃口を向けている。
〈 クソッ! やっぱりこっちも奴だ! 〉
上官に叫ばれる前に撃とうするも、小銃から弾が出ない。様子がおかしい。カチカチと音を立てる小銃に、恵は少し焦る。
〈 奴さんの小銃、撃てないみたいだ! 〉
少し怯んでいた上官が得意気な表情になり、私を目掛けて発砲を開始した。
数発の銃声が鳴り、私は即座に身体を翻した。腕や脇腹、顔のすぐ近くを弾丸が通り抜けるのを感じ取る。銃口の向いている方向と、上官の視線を交互に見る。何処を狙っているのかは、それを見るだけでもおおよそ分かる。後は身体が追いつくかどうかだけ。
幸いにして恵はまだ負傷していない、万全な状態だった。
小銃は使えない。恵は判断した。使い慣れていないこともあり、敵の小銃の使い方が分からない。弾倉は装着されており、薬室に弾丸が装填されているのも確認している。安全装置も解除していた筈だ。それなのに、弾丸が発射されない。
小銃から手を離し、腰から銃剣を引き抜く。それなりに使用しているが、まだまだ使える筈だ。右手で得物を振り抜き、敵の上官目掛けて走り出す。
〈 走んな! 〉
「そんな事を言われたって、私だって死にたくはない」
恵は地面を蹴り、艦内の廊下を一直線に走り抜ける。ここから敵までの距離は一〇〇もない。鋼鉄でできた壁を蹴りながら方向転換しつつ、敵への接近を続ける。
その間も銃弾は飛んできており、身体を掠めていく。服が少しずつ破けていくものの、そのようなことを気にすることもない。
〈 何なんだよ、どうして当たらないんだ! 〉
確実に狙っているものの、無数の弾丸は全て鋼鉄製の構造物に当たる。恵には数発が身体を掠めるだけだ。
二度の弾倉交換をした頃合いには、もう敵の間合いまで詰めていた。この時には、どうやら部下の方の味方も間合いを詰め始めているようで、散弾銃を隠して小銃で応戦する部下目掛けて接近しているのが分かる。
恵が接近しているのを想定し、跳弾を考慮して味方は小銃を撃っていない様子。部下の声にも焦りが感じられる。
〈 く、クソッ! クソ、クソ、クソ……クソがあァァァァァァ!! 〉
敵が恵たちのことを侮った訳ではないだろう。
だが、恵たちは侮っていた。
「ッ……!」
振り抜いた銃剣が、敵の首を横一閃したその時のことだった。ズドンとこれまで聞こえていた音とは違う銃声が辺りに響いたのは。続け様に二回発砲した部下が声をあげる。
〈 や、やった! やりましたよ! 〉
敵の部下が隠し持っていた散弾銃が火を吹いた。たった一発。たった一発だった。
〈 やりました! 先ぱ 〉
味方がどうなったかは分からない。それでも、恵はすぐさま目標を部下に切り替えていた。銃剣を握り替えて投げた。それは弧を描きながら、部下の額に突き刺さった。
床には薬莢と空になった弾倉が無数に転がり、その上に血が撒き散らされていた。気を付けて歩かなければ転んでしまいそうだ。
部下の額から銃剣を抜き取り、反対側にいる味方に歩み寄る。周囲に他の敵がいないことは、気配で何となく察していた。
刀身に付いた血と肉片を拭い取り、鞘に差し戻しながら"それ"に近付いた。
「……揖斐川さん」
揖斐川 千凪だ。そこにあったのは、彼女だ。
「揖斐川さん」
床に転がった彼女は、天井をぼんやりと見つめていた。目の焦点は合っていない。瞬きもしない。
「……げぼっ」
「揖斐川さん?」
それでも生きていた。散弾銃の直撃で胸部が抉られているにも関わらず、それでも息をしていたのだ。口から泡を吐きながら、何とか呼吸をしている。
恵は彼女に駆け寄ると、携帯していた医薬品を取り出す。止血剤を銃創に振りかけ、包帯を押し当てる。続けざまに上腕に注射剤を打ち込む。血液の凝固を促進しつつ、鎮静効果のある薬品を投与した。
千凪がいくらか楽になるだろう、そう考えての応急処置だった。
「……ずこじ、らぐになっだよ」
血の塊を吐きながら、千凪が答える。
「揖斐川さん……これくらいなら」
恵は続きを言えなかった。促成強化兵士の身体能力と回復能力も万能ではない。事前に知らされていたのだ。どの程度の外傷ならば平然と生きていられるのかも。
だが、千凪の外傷は身体の治癒力を遥かに超えるものだった。恵の素人目でもそれは一目瞭然だ。
「ごれいじぉ、は、いらない」
「でも……」
「わがる、がら。もう」
千凪はか細い呼吸を繰り返し、その度に体中から血液が漏れ出す。
両膝をつく恵の戦闘服が徐々に千凪の血を吸い上げる。生暖かいモノと共に、咽返るような血生臭さが辺りを包み始めた。
「……がぼっ」
「駄目じゃない。諦めないで」
「いやだ、よ。ごんなにも、いだぐで、ぐるじい、のに……じにだぐない……」
ツーと、千凪の瞳から涙が流れる。
「なんだよぉ、ぐずり、ぎがないじゃ、ん……うぞ、づぎ……」
千凪の瞳とは対照的に、身体は小刻みに震えていた。戦闘服を突き破り、胸部はごっそりと抉れていた。肋骨は砕け、所どころ見え隠れし、奥にある臓器までも見えていた。潰れた左肺と裂けた心臓が露出している。
もう包帯は見えなくなっていた。出血も止まらない。
「揖斐川さん? 揖斐川さん、揖斐川さん」
肩を揺らす。何度も何度も。ちゃぽちゃぽと床に血を撒き散らしながらも。揺らしても駄目ならと、頬を叩いてみる。それでも起きない。
『中隊長より各小隊へ通達』
無線の向こう側から隊長の声が聞こえる。
『各目標の制圧完了』
それは戦闘が終わった知らせだった。
『第二小隊長より各員へ。状況知らせ』
続け様に小隊長からの連絡だった。
『こちらは私のみ。稲葉は戦死』
『入鹿より小隊長。敵巡洋艦甲、第三小隊と協力しての制圧を完了』
稲葉君は死んだ。たった一言だけの知らせだった。
「賀田より小隊長。敵空母甲の制圧に参加』
『よし。第二小隊より各員へ通達。こちらは私のみで大丈夫だ。入鹿、賀田は第三、第一小隊と合流せよ』
恵の通信が終わるのと同時に、別回線から聞こえる隊長の声に答えた。
『揖斐川! 返事をしろ!』
「第二小隊、賀田です。揖斐川は戦死。乗員区画です」
『了解した。賀田は戦闘指揮所に来い』
「了解」
無線を終えた恵は、千凪の亡骸を再度見る。見るに堪えない姿だった。胸部を抉られ、涙を流しながら死んでいった。自身の死を悟りながら、誰かや何かを心配する素振りもなく、ただただ痛いと云った。死にたくないと云った。助けを乞うこともせず、苦しみの声に何かを乗せて呪詛を吐くかのように。
恵は彼女の首に掛かっている認識票を取って立ち上がった。
辺りは惨状だ。何度見ても目を背けたくなるような光景に慣れることはない。身体中の傷は痛む。戦闘服にこびり付いた血は固まり始め、鱗のように剥がれ落ちていく。
恵はもう一度、千凪を見た。
酷い死に方だ。幾ら促成強化兵士だったとしても、治癒能力を上回る外傷は治すことができない。後天的に与えられた機械の能力は過信できない。実際、今回の作戦で一六名もいた空挺降下部隊は、半数しか生存していないのだ。
千凪の認識票を握り締め、武器を拾う。幾ら制圧が終わっているからといっても、敵生存者の抵抗があるかもしれない。
恵は後ろを振り返ることなく、指示された戦闘指揮所へと向かった。
※※※
恵は兵舎の近くにある空地に腰を下して空を見上げる。第五七〇号作戦から生還し、幾か経っていた。
任務完了の報告と、その後の撤収作業のことはあまり覚えていない。
本隊の航空攻撃によって、敵空母機動部隊の護衛は半数を失い、恵たちが空挺降下した艦以外にも数隻は残っていたようだったが、そのほとんどが白旗を挙げたようだった。最期まで抵抗を見せた艦は、司令部が送り込んだ増援によって撃破され、空母二隻を含む七隻の鹵獲に成功したという。
そのような話を又聞きした恵は、特に興味も持たずに聞き流していた。
「……静かだなぁ」
恵は本土に帰還するも束の間、すぐに転戦。編成されていた部隊は解散を命じられ、一人、大陸の最前線へとやってきていた。
陽も沈んで久しいこの時間、今の兵舎から見上げる夜空は、地元や本土のものとはまるで違う。同じ北半球ではあるが、赤道の近いこの戦地に嫌気が刺していた。
見たことのない虫がうじゃうじゃ居る上に、飲料水を手に入れるのにも一苦労。水道水を飲もうものなら、すぐさま体調不良になりお手洗いから出られなくなる。そして暑い。
恵はそんな大陸の最前線で自軍の再編成を待っていたのだ。今も司令部の上層部が寝る間も惜しんでいることだろう。
こんな日があとどれくらい続くのか、そう頭の中で考えながら、服に忍ばせていた手紙を手に取った。
「もうしわくちゃになっちゃったなぁ……」
簡素で飾り気のない茶封筒。宛名はただただ恵の名前が書いてあるだけ。
この手紙を恵はいつも持ち歩いていた。志願する前も、志願し訓練を始めた時も、初陣の時も。この手紙と共に約四年間を生きてきた。
茶封筒はところどころ薄汚れ、折り目の紙繊維はほつれ始めており、多少なりとも自分の血も滲んでいる。だが、それでも絶対に手放すことはなかった。何処か別の場所で保管しようとも思わなかった。この手紙だけは、何としても手放すことはなかったのだ。
何度開いたか分からない便箋を開いて、月明りを頼りに読み返す。
「───拝啓 賀田 恵様。お元気でおられるでしょうか」
恵は勇志の願いを何一つとして叶えてあげられていない。恵のことをいつものように、弄りながら馬鹿にして怒るだろう。
それでも恵は選択したのだ。それだけの想いを持って愛する人が戦っていたのならば、私も共に戦う、と。
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