後日談 上

 どれくらいの時を過ごしただろう。正確な時間はもう分からなくなってしまっていた。周囲の人たちは、恵が少しずつ変わっていったと云う。

昔は分からなかったことだが、今でははっきりと分かる。恵は変わってしまったのだろう、と。

 ただただ恋焦がれる普通の乙女だった。ひとなりに恋をし、想い、それでも勇気が出ず、戸惑い、静かに感情を仕舞いこむ。

あの時ならばそれで良かったのだろう。そのまま時が過ぎ去るのを待つこともできただろう。だがそれも、普通の時代だったならばの話だった。

しかしあの時でも銃後の少女たちは、制約の中でも静かに生きることができたのだ。


「では、施術を始めます。賀田 恵さん、力を抜いてください」


「……はい」


 料亭 あまのは情勢を鑑みて無期限休業へと追いやらた。未曽有の大戦が続いており、いよいよ銃後の情勢も芳しくない。あの三年前でも前線の状況は悪かったが、それ以上に今は悪い。

 何時ぞやの世界大戦では大量破壊兵器の登場によって、前線は惨状と化した。それを学んだ後の世界大戦では大規模総力戦が展開し、今度は前線も銃後も酷い状況になった。

 人類は何も学ばない。今回の世界大戦はその双方が起き、非人道的な大量破壊兵器の投入した大規模総力戦へと変質していた。恵が恋焦がれた彼の身に降りかかった彼が、その一番始めを体験していた。

そして今は、人道も国際法も、倫理観すら捨て去っている。

今、恵に施術されているものもその一つだ。


「促成人体強化ナノマシン試薬 投薬を開始します」


「はい」


「事前に説明を受けている思いますが、投薬後、賀田さんの身体は著しく変化が生じます」


 恵はそれを全て承知で受けに来ていた。この投薬で適合できなければ死ぬ可能性がある、と聞かされている。身体の変化についても濃厚な説明を受け、変化後の姿も見た。それでも私は受けると決めた。その想いは変わらない。

 簡易ベッドに寝かされた状態で、技師に差し出した左腕に駆血帯が巻かれる。太い注射針が浮き出た血管に刺される。少し白く濁った薬液が身体に入って来るのを感じたのと同時に、徐々に意識が遠くなっていった。







※※※







 駐機場には数多くの飛行機が発進準備を行っていた。せわしなく動き回る地上要員を後目に、恵は妙に落ち着いた様子で空を見上げていた。

 三年と少し。恵は変わってしまった。日差しがコンクリートに照り付け、蜃気楼を生み出している。滝のように汗を流す周囲の人々に対して、恵は汗の一つも流さない。

それどころか重く暑苦しい程に着込んでいるにも関わらず、足元はしっかりとしていた。それもこれも全て、一ヶ月前に施術されたものの効果だろう。


「小隊長より訓示」


 恵は視線を空から外し、声を挙げた人物たちの方向へと向ける。

 周囲には恵と同じ恰好をした人物が十数人と並んでいた。その列から出て、こちらを向いている男性が二人。大柄の男の隣に少し細身の男性。先ほどの声は細身の男性からだった。


「これより、我々は第五七〇号作戦を開始する」


 作戦概要は事前に通達されている。

基地南方の洋上に展開している敵空母機動部隊の撃滅を主目的とした作戦だ。これまでに何度も撃滅を行おうと挑み続けてきたものの、悉く失敗に終わっている。

 その度に原因究明が行われているが、結局のところ分かっていない。何度も作戦企画紙が変更されていく中で、徐々にそれは恐ろしい程、無茶で無謀なものへと変貌していた。


「攻撃目標は変わらずだ。今回の作戦には前回同様、航空部隊が主力として参加する。今回の変更点は我々が作戦に参加していることだ」


 総勢十六名の歩兵。それが恵たちの部隊だった。


「我々作戦行動は事前通達通り。訓練通りに事を進めれば問題ない」


「総員敬礼」


 駐機場に並ぶ機体の中で一際大きな機体、輸送機には何も搭載されておらず、ただ座席と小さい投下物資がある程度。

外郭の両脇に簡易的な座席が横一列に並べられていた。搭乗した順番に次々と並んでいき、恵は真ん中辺りに腰をかけた。

 目を閉じれば、あの施術を行った日からこれまでのことを思い出す。気を失って眼を覚ましたその時から、支給された軍服に袖を通した。何処か高等学校のブレザーを思わせるようなデザインでありながらも、兵士が着るような迷彩柄があしらわれていた。

そして容姿。恵たちの容姿は例外なく全員が異様に肌が白く、白髪で、碧眼になっていた。唯一、大柄男である隊長のみはそのような容姿をしていない。

 機外の喧噪も落ち着き、聞こえてくるのは発動機の音だけ。カタカタと揺れる椅子にも慣れたもので、杖のように床に立てている小銃は、機内の照明灯の光を鈍く反射させている。

 これから輸送機と戦闘機の一団が飛び立ち、作戦地域へと進発する。敵が佇むあの場所へ。そして、恵の因縁の場所へ。







※※※







 作戦地域に到着する頃には、その場所は修羅場と化していた。あちこちで取り交わされている無線のやり取りは一切聞こえてこないものの、戦闘が起きているのは見るまでもなかった。


「……緊張してない?」


「してるよ」


 恵に話しかけてきたのは、隣に腰を掛けている少女、揖斐川 千凪いびがわ ちなぎは不安そうな面持ちを恵に向けていた。小銃を握り込む手は震え、顔も青白くなっている。おかっぱ頭の白髪は垂れさがり、前髪の間から見える顔は曇っていた。普段ならば、はにかむように笑う可愛らしい少女だった筈だったが、今は違っている。


「緊張しているようには見えないよ……。慣れているの?」


「慣れている訳ないじゃない。でも、慣れていかないとどうしようもないよ」


 千凪は無理に作ったぎこちない笑みを浮かべ、一層小銃を握り込む手に力が入る。


「前に話したっけ」


「何を?」


「……私が促成強化兵士トランスウォーリアになった理由」


 作戦に駆り出される時以外は基本的に独りでいることの多い恵だったが、交友関係のそこまで広くない彼女でも話す相手はいた。それが千凪だった。

恵よりも施術されたのは遅かったものの、千凪が配属された時に教育係になったのが恵だった。そこからというもの、教育期間が終わってからでも話す機会は多かった。

 そんな彼女の兵士になった理由等は聞いたことがなかった。これまでの間にも、あまり兵士には向かない性格だろうとは思っていたものの、それはどうもなりたくてなった訳ではないということは感じていた。


「特に聞いたことないね」


「そう、だよね……。この機会だから少し話に付き合ってよ。このまま黙ったまま空挺降下したら、気がどうにかなっちゃいそう」


 恵は黙って首を縦に振った。


「……私ね、もう家族がいないんだ」


 その言葉から始まったのは、これまでにもよく耳にしたような話だった。この大戦が始まってからというもの、前線の兵士はみるみる内に戦死していった。不足する兵士を補充するべく、軍部はあの手この手を使って召集をしていたのだ。

すぐに軍部に取られたのは父親。そして親戚のおじや従兄弟たち。そして気付けば親戚一同は女性だけになってしまい、それも何時かの攻撃に巻き込まれて亡くなってしまった。

そして残っているのは、歳も五か六になった一番下の従姉妹だけ。戦争孤児院に入ろうにも入れず、このままでは路頭に迷うと思った彼女は、自分の食い扶持とその従姉妹を何とか食べていかせようと、軍門を叩いた。

 要約すればこういう話だった。割とこの手の話はよく聞くものだ。

実際問題、現在の兵士の男女比は五分五分だった。そしてその内訳比率は、恵や千凪のような促成強化兵士も含んでのこと。もう銃後に余裕はない。民間人は老人や女子供ばかりになっている。


「そう」


「……今回の作戦で帰還できれば、渚子しょうこにももう少し贅沢させてあげられる」


 そう言った千凪はいつしか気分が落ち着いてきたようだった。震えていた手も、上ずった声も、ぎこちない笑みもなくなっていた。そこには先ほどの話を恵にしていつの間にか出来上がった兵士がいた。

 一方的に話を聞いていた恵からすれば、千凪のその想いは少しばかり理解できなかった。彼女にとっての戦う理由は、銃後にいるたった一人の従姉妹のため。戦う理由が生きるところにある彼女は、恵にとってすれば反対側の住民のように思えて仕方なかった。


「賀田さんはどう、なの?」


「私? 私は……」


 話そうか悩んだ。これまで、このような話をしてきたことがなかった。ずっと心の中に秘めていた想いだった。周囲の人々が話さずとも分かってくれる人ばかりだったから、ということもあるのかもしれない。

しかし、兵士になったその時から、必要最低限しか交流を持とうとしなかった。ましてや自分の思い出話なんて、話す相手も機会もなかった。


「私は……揖斐川さんのように戦う理由とか、あまり考えたことがない、かも」


「それって、どういう意味?」


「意味って、深い意味はないよ。私に戦う理由は……」


 恵の口が止まる。そこまで言いかけたところで、言葉が喉につっかかった。

 本当はあるのだ。戦う理由が。そうでなければ、千凪と同様、促成強化兵士になどなっていない。でなければ、普通に徴兵されて前線送りだった筈だ。


「ごめん。戦う理由はあるよ」


「そうなんだ。賀田さんがそういう話をしたってこと、全く聞いたことがないから新鮮だなぁ」


「でも、そんなに面白い話じゃないよ」


 それだけを言って、恵は話を切り上げようとするも、千凪は少し気になっている様子。


「何処で聞いても聞く話だよ」


「そうなんだ」


「ただ、幼馴染がいて、その幼馴染のことが好きで、幼馴染も私のことを好いていてくれて、そして彼はこの大戦で死んだ。ただそれだけ」


「……そっか。それが、賀田さんの戦う理由なんだね」


「戦う理由って訳じゃないけど、多分、そうなんだと、思う」


 徐々に小さくなっていく恵の声。機外から聞こえてくる戦闘音に周囲の音を掻き消されながら、恵は自身の手に力が入っていることに気付く。

 誰にも言ったことはなかった。家族は勘付いていたかもしれない。未成年の未婚女性にも徴兵令が下るのを座して待つよりかは、自ら進んで志願した方がいいと両親や祖父母に訴えた時から。否。それよりも前から。

 小さく息を吐き、恵は外していた視線を今一度千凪の方へと向ける。そこにあるのは、まだ何処か性根の優しさが抜けきっていないが、その片鱗に見え隠れする兵士としての少女の顔。それが酷く歪で、気持ちが悪い。きっとその表情を自分もしていたのだろうと思うと寒気がする。


「戦う理由は人それぞれ、だよね。私は別に国がどうとかどうでもいい。ただ、唯一生き残った家族を失いたくないだけ。国が、国民が、って言うけど、結局のところどうなのかは分からないよね」


 千凪の言葉に恵は返答しない。恵は心底どうでもよかったのだ。


「降下用意!」


 大柄な男、隊長から号令が下る。一気に気持ちを切り替え、考えたことを全て頭の中から掃き出した。

腰を固定していた安全帯を外し、杖代わりに立てていた小銃を小脇に抱える。纏っている装備を点検し合いながら、すぐさま準備を整える。

 持ち物は非常に少ない。小銃と拳銃。予備の弾薬に手榴弾、銃剣。ある程度の装備一式。これから降下するというのに非常に軽装な恵たちに対し、隊長の装備は如何ほどか荷物が多い。

それは降下用の落下傘を持っていたり、その他装備品が恵たちよりも多いからだろう。

 輸送機の後部開閉弁が開き、強い風と共に外の様子が飛び込んできた。

火線が交じり合い、空を火の玉がいくつも落ちていくその光景。周囲に立ち込める黒煙に、断続的に聞こえてくる爆発音。

眼下に広がる景色は、まさに戦場だった。


「降下! 降下! 降下!」


 空挺降下の合図と共に、恵たちは一斉に駆け出す。開閉弁から身を投げ出し、そのまま洋上へと真っ逆さまに落下していく。先に飛び降りた同僚を追いかけ、恵も輸送機から飛び出した。

 自身が落下して風を切る音と共に、近くを砲弾や銃弾が飛んでいく高音に思わず耳を塞ぎたくなるが、恵は決して両手を小銃から離しはしない。ただただ視線を真下に捉える敵航空母艦を捉えていた。


「第一小隊はそのまま敵空母甲に取りつく! 第二小隊は敵空母乙へ降り立て! 第三小隊、第四小隊は周辺の護衛艦艇だ。目標はどれでも構わん! なるべく散らばれ!」


 ギリギリまで落下傘を開かないつもりであろう隊長が、恵たちの降下する一団に近づき、そう叫んだ。

事前に通達はあったが、確認がしたかったのだろう。恵たちは特段返事をすることなく、分かっていると言わんばかりに速度を落とさず落下を続ける。

 数秒もしない内に恵は敵空母乙の甲板に降着した。落下傘も持たずしてこのような芸当ができるのも、彼女たちが促成強化兵士だからだろう。

その彼女たちを見た、甲板要員たちは唖然としていた。目の前で起きたことを理解できていない様子で、ただ呆然と恵たちのことを見つめている。


「第二小隊は各個に攻撃開始。私と稲葉は主機区画を目指す。入鹿は司令区画、賀田は搭載兵器と戦闘員の排除だ。散れ!」


 第二小隊長が恵たちに指示を出す。稲葉、入鹿は号令と共に行動を開始し、恵はその場に立ち尽くしていた。

 恵に課せられたのは、この空母の無力化。司令部と主機を取れなかったとしても、反撃できないように封じ込めることだ。

甲板に独り残り、点在する艦載機と立ち尽くした甲板要員を数える。


「七機と約二〇〇人……多くはないね」


 思わず声が漏れる。この様子だと、ほとんどの艦載機は恵が乗っていた輸送機と共に来た攻撃隊の迎撃に出払っているようで、ここには帰還して補給や簡易整備を受けている機体しか残っていない。艦内格納庫にまだ予備機や出撃していない機体も残っているだろうが、これだけならばさして問題はない、そう判断した。

 恵は持っていた小銃を構え、一番近くにいた甲板要員に向けて発砲した。

何の躊躇もなく頭部を狙った。弾丸は外れることはなく、ただただ一発が眉間に着弾した。ヘルメットを貫通し、後方に頭蓋と脳、脳漿、血を撒き散らす。撃たれた本人は何が起こったのか分かっていない表情をしていた。そしてそのまま仰向けに倒れ込み、血の池に臥せった。彼の後方にいた人たちに血や脳片が飛び散り、服を朱く濡らす。

 一瞬のことだ。周囲に轟々と鳴る砲撃や銃声の音に混じって、小さい銃声が一発響くのみ。それは無慈悲にも逃げ出すこともせず、抵抗もしていない非戦闘員の命を奪った。

刹那、呆然としていた人々が一斉に逃げ始めたのだ。間抜けにも持っていたものを放り投げ、我先に、と。

 彼らが何を言っているのかは分からない。敵性語だからだろうか。それとも恵が学んでいないから分からないだけなのか。それでも恵には可哀そうだとか、申し訳ないだとか、そういった感情は一つも沸いていなかった。

ただただそこにあったのは殺意だった。

 構えた小銃から、続け様に幾度と銃声が鳴り響く。弾倉が空になれば、予備と交換しながら撃ち続けた。

逃げ惑う人々は殺し易い。鴨撃ちだ。ただなぞるように銃口を滑らせ、引き金を引くだけの簡単な作業。

ものの数分もしないうちに、銃声は鳴りやんでしまう。

時には抵抗を試みた者もいた。近くにあった工具を武器に、恵を目掛けて走り出した。それでも、彼女の元にたどり着く者は誰一人としていなかった。


「次、行こう」


 飛行甲板にはもうもうと立ち込める煙に包まれ、恵の周囲一面には赤絨毯が出来上がっていた。

 恵はそれを気にすることなく歩き出す。もう、飛行甲板に自身以外がいない。

そこからは飛行甲板で起きたことが、格納庫でも起きただけだった。彼女はただ引き金を引き続けただけ。夥しい数の屍を作り出し、格納庫でも艦載機を手当たり次第壊して回った。整備されているものから、予備として保管されているものまで。

 課せられた任務を熟すのに、そこまで時間を要しない。ものの一〇分もあれば後は手持無沙汰だ。

恵は真っ二つに割れた艦載機に腰掛けながら、頬にこびり付いた返り血を袖で拭う。ここまでで持参した小銃の弾薬は全て消費した。最後は素手で戦ったが、結局のところ彼女に傷一つ付けることも叶わなかった。


《 艦内に敵が侵入。繰り返す。艦内に敵が侵入 》


 永遠と繰り返されている艦内自動音声。恵の母国語ではないものの、何を言っているのかは分かっていた。この音声が止まることはなく、艦内での戦闘音は時間が経つ程に多くなる。


『第二小隊長から各員へ。そのまま聞け』


 突如として、恵の無線機に通信が入る。


『現在、敵空母乙の制圧は完了している。第一小隊、第三小隊からの報告は未だ入っていない』


『現状を鑑みて、これより隊を二分する。私と稲葉はこのまま乙の制圧を続ける。入鹿は敵巡洋艦甲、賀田は敵空母甲へ迎え。鹵獲品の使用を許可する』


 恵は腰をかけていた艦載機から飛び降りる。服に付いた煤を払いながら、格納庫の探索を始めた。

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