第3話 よかったんじゃない
「よかったんじゃない」
彼女は窓の向こうを見たまま熱気をはらむ前の風に髪を押さえ掠れるような声で言った。僕は彼女の不機嫌な理由はわかりきっていた。「久しぶりに」と話すくらい仕事に夢中になっていたからだ。
急にやってきたチャンスに僕は夢中だった。寝る間も無く準備に追われて僕の時間は全てそれに費やされた。それは彼女が言う「よかったんじゃない」と誰もが思う結果だった。
「今度の休みの日、どっか行こうよ」
「やだ。暑いから」素っ気なく僕の顔を見ようともしない。もう一度言う。「どっかっ」被せるように彼女は「やだ」とチラッとみてくる。そっけない眼差しと冷ややかな声色。つづく沈黙。
策のないまま、労する手立てもなくじっとしていた。
僕のお腹が空腹を表すに割と大きな音をさせた。
彼女は堰を切ったように笑った。
「モーニングを出してるパン屋さんが近くに出来たから行ってみる?」彼女もお腹が空いていたようだ。
「わー!あの絵本みたい。ねぇ、パン屋のクマさんて絵本知ってる?」彼女は苺とクリームがあしらわれたケーキのようなパンを手にとりならが訪ねてきた。「知らない」そう答えると残念そうにパンに噛り付いた。
それから会話はなく食べ終えて店を出た。
歩きがてら僕は耳が痛くなりマスクを外した。「えぇ、マスクに血がついいてる!」そう言いながら彼女を見ると「口にケチャップついてるよ。さっき食べた時から」彼女は何食わぬ顔でそう言って歩き出した。僕は追いかけながら「なんでマスクする前に言ってくれないの?」
「だって、今みたいに面白いから」
すでに彼女の機嫌はよかったんじゃないだろうか。
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