第2話 高所恐怖症の鳥とマスタード
小さなテーブルに向かい合って、僕の前に座る彼女が急に眉を顰めた。
「辛い!」と言いって彼女は手に持っていた、ハンバーガーの中身を注視した。
「言うの忘れた! はじめてきたお店だったから」
残念そうに言いながらも、もう一口頬張った。
リンゴジュースと交互に食べながら少し笑った。
「もう大丈夫。黄色いどろっとしたところはもう無くなった」
偶然なのか、マスタードが少なかったらしい。
彼女はマスタードが苦手だった。それ以外の辛いものも苦手だった。
朝、出るのが遅くなって目的地の駅に着いたのは午前十一時すぎ。このまま目的地に行ってもすぐに「お腹空いた!」と言って目的地から離れなければならない。
目的地は、高野川と加茂川が合流するポイントの公園。
飛び石でふたつの川を渡れるポイント。
河原にはお昼が食べられそうのなお店はない。
駅に着いてすぐにロッテリアに入ってハンバーガーとポテトにドリンクを注文してお店で食べた。
彼女は、はじめて入ったお店の注文カウンターで、メニューを見る目が緊張しているのが伝わってきた。人間の心理とはこういうときに表れるのだなあと思った。メニューの鉄則。お店の一番おすすめはメニュー表の一番上の左端。彼女は十秒ほどの間メニュー表を凝視したあと、一番上の左端にあるダブルチーズバーガーを注文した。
僕の注文は決めていた。彼女が注文したものと同じものを注文することにしている。理由は簡単。同じタイミングで料理が出てくるからだ。
ふたり分のドリンクを持ってテーブルについた。
ドリンクを二口ほど飲んでいると、予定通り同じタイミングでダブルチーズバーガーがテーブルに届けられた。
トレーに二つ並ぶハンバーガーの包みを彼女は見ながら、目には「どっちが自分のバーガーだろう?」と考えているのが僕にはわかった。
「どっちも同じだよ。同じダブルチーズバーガーを頼んだから」
彼女は安心した微笑みを浮かべ自分に近い左側の包みを手に取った。
ゆっくりと包みを彼女は開いた。どこからぱくつこうかと中身を探り一口目を食べた。続けて二口目を食べていると
「辛い」と眉を顰めた。
少し残念そうな顔したがリンゴジュースと交互に口に頬張った。
あいまにはコンソメ味のポテトフライを食べ。気を取り直してから店を出た。
河原までは信号ををひとつ越えて、堤防の坂道をくだると到着した。
昼ごはんどきもあって、河原に人は疎らだった。それでも河原の芝の上にビニールシートを敷きお弁当を広げている家族が何組かいた。
「テイクアウトしてここで食べてもよかったね」と言った矢先に彼女が「あー、」叫んだ。
彼女が見ている先は、川向こうで河原の縁石に座っている男性が天を見上げていた。
「トンビがなんか取っていった」と彼女が言うの待っていたように、近くにいた子供が続けざまに
「パン、取られちゃった?」とその男性に聞いた。
子供は容赦がないなあ。と心で思ったが口にはしなかった。
呆然として天を見ていた視線が男性の手元に戻ったその姿は背中が丸まり寂しそうだった。
その後もトンビは上空を旋回していた。見ていると強奪に成功したトンビに追従するかのように二羽のトンビが旋回に加わった。
パンを取られた男性のもとには容赦のない言葉をかけた子供がいた。何かを話をしている様子から、親子だとわかった。
肩を落し歩き出した父親の横を子供が無邪気にスキップをしながら去って行く。
トンビは旋回し続けている。
他の家族連れは慣れているのか、お弁当には常に蓋をしている。子供が食べているあいだには父親が旋回しているトンビを注視している。先程の成功に気をよくしているであろうトンビが高度を下げているからだ。
中洲といっていいのかわからないが高野川と賀茂川の間には川縁から道路へと緩やかに上がる公園があった。上りきったところには六本ほどの松の木が枝を広げていた。そこには川向こうからよく見えなかったがさらに数組の家族連れやカップルが昼食を取っていた。
ここにも来慣れたひとたちが集っていた。
トンビは松の枝をかわしてまでは降りてこない。だが、二月の陽だまりを求めて来ているのにここでは残念な感じがする。
そんな人たちを見ていると彼女が「こっちこっち!」と呼んでいる。
松の木を見ていた僕は声のする左側に振り返った。彼女はすでに川の飛び石を三つ渡ったところから手を振っていた。僕と目が合うとすぐに彼女は次の石に飛び移っていった。飛び移る足元を見ながら笑っていた。見ているあいだに彼女は中洲まで渡ってしまった。
川の飛び石は人がなんとか交差できる大きさだった。高野川を渡りきった彼女は加茂川の飛び石を渡ろうとしていた。振り返り手を振る彼女を追いかけて僕も川を渡った。
加茂川の川べりに着いてふたりで川の浅瀬を歩く鴨を見ていた。
彼女は思いついたままに
「鴨課長」
空を見上げて、
「トンビ部長」と指先した。
その指先を松の木がある中洲へ向けると、
「ハト用務員」と笑い出した。
「旋回し続けているトンビ部長以外はみんな、高所恐怖症だよ」
と付け足し笑い続けた。
川べりの道を日差しに向かってふたりで歩いた。
「高所恐怖症の鳥はどうしてるかな」と彼女に尋ねると、
「歩き回ってるよ。ほら」と、指差した先には鴨がお尻だけを水面から出して潜っていた。
歩いている先にはハトが群れで歩いている。地面にくちばしを刺しながら何にかを探しているようだった。
誰かが餌でもやったのだろうか、スズメが群がっていた。そこに上空からカラスが舞い降りてきた。
「スズメ部隊がカラス新人に追い立てられてる」と、彼女はつぶやいた。
続けて彼女は、
「スズメ部隊も高所恐怖症だから高くは飛べないよ。カラス新人も、新人だから上手く飛べないよね」
と、彼女に同意を求めてられても答えようがない。
新人だから上手く飛べないは理解できるが、高所恐怖症の鳥は理解しがたいと思った。
だがそんのなことは理屈ではではなく。「そうなのだ」と、思えばいいことだった。
鳥は鳥でその場を生きている。変化もしているだろし、鳥の心境は鳥にしかわからない。
「たかいなぁ〜。怖え〜」と言いながら飛んでいる鳥がいてもいいじゃないだろうか。
人間の勝手な思考の押し付けだから人間が思いつくまま押し付ければいい。鳥たちの暮らしを脅かすことでなければいいのではないか。と、これも勝手に結論をつけた。
いつの間にか、彼女の手には細い枯れ枝が揺れていた。彼女の髪をなびかせている川風を細い枝で切りながら歩いていく。
川の名前が変わり鴨川になってはじめての橋の下にはまた、川を渡る飛び石があった。
「あそこを渡ってさっきのところに引き返そうよ」と、彼女が言った。
さっきのところとは高野川と賀茂川が合流するところだとすぐにわかった。
川を渡り、さっきのところに戻ると人が増えていた。時計を見ると、十三時三十分。
昼食を終え日差しの陽気に誘われて集まったのだろう。家族連れや、カップル、大きなカメラを首から下げて二十代の女性になにか指差し指示をしている老人がいた。
二十代の女性が飛び石を渡るところの写真を撮ろうとしていた。二十代の女性はモデルなのかと顔をすれ違い様に見るとそれなりに整った顔立ちをしていたが、なにか暗い印象を感じた。
今時の色づかいなのかメイクがベージュ基調で顔色が悪く見えた。
口紅もトーンの暗い色だからさらに血色が悪く感じた。
服装も白いタートルネックのニットシャツにベージュのロングスカート。
朝、彼女が選んだ服装に近い。
「冬の川べりだから冴える紫のプリーツスカートにしたら」とリクエストしたことを自分で自分を褒めることにした。その方が彼女はかわいいからだ。
せっかく出かけるなら楽しいほうがいいし、彼女がかわいいほうがいい。
そう心のなかで褒めているうちに、二十代の女性と大きなカメラを首からさげた老人の姿は見えなくなっていた。
河原に着くと、彼女は高野川に石を投げている。足元の投げやすそうな小さな石を探していた。平たい石を見つけると、
「これだったら、川の上を跳ねて『ぴょんぴょん』て、なるかな」
「なるかも。でも投げ方をよく考えないとね」そう言うと彼女の目には質問を抱いていた。
「誰か上手に投げている人はいなかな?」と、僕は見回すと大学生くらいのカップルが居て、彼氏が石を投げていた。
彼氏は上手に石を『ぴょんぴょんぴょん』と三段跳びをさせていた。
「あの人をよく見て真似してみよう」と彼女に声をかけると、彼女は真剣に投げるようすを見ている。無言だ。しばらくすると「よし!」と小声で肩の力を抜くように上下におろした。
体制を低くしフリスビーを投げるときのように右手を左腕のほうからスライドさせた。平たい石は勢いがなく『ぽちょん』と沈んでいった。
それからの彼女は足元の石を拾ってはスライドさせ投げるのをつづけた。
少し後ろから僕はその姿を眺めていた。何も考えず動いている彼女を視界に入れているだけだった。
その姿はオートメーション化している何かのようになり、感覚もなくただその方向に目を向けているだけだった。
無感覚で川を見ている僕を生き返らせてくれたのは、彼女の声だった。
「これこれ、見て!すごいよ。」手招きする彼女のところにいくと。
指差す石ころの中にハートの形をした石。外輪こそハート型だが表面は無骨な石ころだった。
不思議な石だった。
川の流れに打ち砕かれてハート型になった石。人の手が入っている様子はなく、ただの石ころ。でも形はしっかりとハート型だった。
彼女はうれしそうに石を掘り起こし、手に取り眺めていた。
人間には不思議な力があるのだろか。
思いを現実かする力。
彼女は高所恐怖症の鳥を定義し鳩を歩かせ、鴨を水辺に居させた。
ただの石ころをハートの形にもした。
そんな考えになる僕も彼女に定義された人間かも知れない。
朝、食べたハンバーガーのマスタードも彼女が何か違うものに定義したのかもしれない。
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