ありふれた特別な日常 -3-
それから開店までの間、俺たちはトカゲのしっぽ亭を手伝い、そして事務所へと帰ってきた。
エスカラーチェは「さすがに疲れましたので、ぐっすりと睡眠を取ります」とさっさと屋上へ帰っていった。
ツヅリと二人で事務所へと入る。
荷物の片付けなんかをしなければいけないのだが、今は一服したい気分だ。
緊張のディナーからの二次会、そして外泊だ。
エスカラーチェではないが、体がくたくただ。眠ったとはいえ、熟睡とはほど遠い。
ソファに身を預ければ、体の奥底から倦怠感が湧き上がってくる。
「ハーブティーをいれますね」
「あぁ、悪いな」
「いいえ。アサギさんにハーブティーをお出しするのは、わたしの楽しみの一つですから」
にこにこと、疲れも見せずに給湯室へ入るツヅリ。
ツヅリの姿が見えなくなり、見るとはなく事務所の中をぐるっと眺める。
変わらない風景。
けれど、変わったことがある。
「お待たせしました」
目の前にハーブティーが置かれ、ツヅリがいつものように向かいの席へ座ろうとする。
その前に。
「ツヅリ。たまには、隣に座らないか?」
あの告白から――ツヅリと思いが通じ合ってから、ようやく二人きりになれた。
連中を邪魔だなんて思ってはいなかった。
けれど、やっぱり……
「……はい」
二人きりというのは、嬉しいものだ。
遠慮がちに、俺の隣へ腰を下ろすツヅリ。
少し距離が遠い。
拳一つ分。
その距離を、詰める。
「はぅっ」
ツヅリが息を飲む。
隣に座る。
たったそれだけのことで顔を真っ赤に染めるツヅリが可愛くて……
「ツヅリ、手をつなごうか?」
「へぅい!? て、手を、ですか!?」
「イヤか?」
「い、いえ! そんなっ、とんでもないですっ……でも、あの…………では……よろしく、おねがい、します」
つい、苛めてしまいたくなる。
そろりと差し出された手をそっと握る。ツヅリを驚かせないように。
「……ひゃぅ」
ツヅリの全身に力が入り、緊張に強張っている。
きゅっきゅっと、指に力を入れると、その度にヘアテールがぴくっぴくっと反応を示す。
「あ、あの、アサギさん……これは、ちょっと、恥ずかし……」
包み込むように握っていた手を握り直す。
指と指を絡めるように。いわゆる、恋人つなぎに。
「はぅぅ……っ」
まぶたを閉じて身をすくめるツヅリ。
ヘアテールがぞくぞくっと震えて広がる。
どうだ?
少しは分かったか?
あの時の俺の気持ちが。
これは、みんなお前が無邪気に俺にやってきたことなんだぞ。
「どうしたツヅリ? 顔が赤いぞ」
「きゃう!?」
顔を覗き込んでやると、ツヅリが可愛い悲鳴を上げる。
ふふふ。焦るだろう?
俺だって、何度も焦らされたのだ。少しは身をもって味わうといい。相手の迂闊な行為がどれだけ心臓に負荷をかけるかを。
「あぅ、あの、アサギさん……わたっ、わたし……その……」
ツヅリの顔が、これまで見たこともないほど赤く染まる。
俺から逃げるように必死に顔を逸らし、視線を逃がしている。
そんな様がなんともいじらしく、……ついつい悪乗りを。
「そんな時は、こうすると落ち着くらしいぞ」
以前ツヅリにやられたように、ツヅリの頭を抱きかかえる。
自身の胸に当てるように抱き寄せて、腕の中の頭をぽんぽんと叩く。
すると――
……そっ。
――と、ツヅリの手が俺の背中へ回された。
「ぁ、あの……少し、恥ずかしいだけで、決して……イヤというわけでは、ない、ので…………」
照れや戸惑いはあるが、そこに忌避感はなく……
「むしろ、アサギさんと触れ合うのは……嬉しくて……どきどきして…………わたし……」
急激に速まった俺の鼓動が煩かったのか、ツヅリが微かに胸から頭を離す。
それに合わせて腕を緩めると、ツヅリの顔がこちらを向く。
潤む大きな瞳に、俺が映っている。
ツヅリに負けず劣らず、真っ赤な顔で。
鼻先が触れそうな近い距離で、二人きり、見つめ合う。
「……ツヅリ」
「………………アサギ、さん」
一瞬、呼び捨てにされたのかと思って、ときめいた。
ときめいてしまったら、もう、止められない。
ほんのわずかな距離を埋めるように、ゆっくりと顔が近付いていく。
わずかなはずなのに、とてつもなく長い距離のように感じる。
視界にはツヅリしか映っておらず、感じる体温も、鼻孔をくすぐる香りも、聞こえる吐息も、すべてがツヅリに埋め尽くされていて――微かにだけれど、ツヅリがこちらへ向かって動いていることを知り――生まれてきたことを感謝した。
頭の中にあふれていた様々な思考や思いがただ一つの感情に塗りつぶされていく。
愛してる。
言葉にすればチープになるかもしれない。それでも、この想いは止められない。
一生をかけて、ツヅリを守り抜く。
そんな誓いと共に、ツヅリの柔らかい唇に触れ――
「頼もーぅ!」
「ごめんくださ~い!」
――る、直前で闖入者に邪魔された。
あんなにゆっくりと近付いていた俺たちは、700倍くらいの速度で遠ぉーくへ飛び退いた。飛び退いてしまった。
ソファの端と端までな!
誰だ、チキショウ!?
たとえ神であろうと、この狼藉は見過ごせんぞ!
「この声は……お父様っ、お母様!?」
「えぇ!?」
ツヅリの言葉は正しく、相談所の入り口に立ててある目隠しのパーテーションの向こうからボナウスレスとカーディリアが揃って顔を覗かせた。
「来ちゃった」
可愛らしく言うカーディリアは、なんとも嫌な雰囲気漂う大荷物を抱えていた。
ボナウスレスに至っては、その何倍もの荷物を背負っている。
……えっと、もしかして。
「今日から、我らも一緒にここに住むぞ」
「やっぱり、家族は一緒に暮らすべきですものね」
やっぱりか、チキショウ!
「まぁ、そういうわけだ」
ボナウスレスの大きな手が、俺の肩に置かれ、ぎりぎりと万力のような力で締め上げてくる。
「よろしく頼むぞ、従業員くん」
「え……えぇ。こちらこそ」
物凄い圧をかけられる。
だからこそ、完璧な営業スマイルで言い返してやった。
「よろしくお願いしますね――お義父さん」
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