ありふれた特別な日常 -2-

「では、最初のミッションですよ」


 言って、エスカラーチェが俺の背を押す。

 ツヅリのいる方へ。


「本日の朝ご飯を食べてください」


 エスカラーチェの言葉に、ツヅリのヘアテールが「ぴくっ!」っと波打つ。


「記念すべき最初の朝なので、サトウ某さんに特別な手料理を食べてもらいたいと、夜も明ける前に私に助力を乞い、あなたが起きる直前まで厨房で一所懸命作っていた、大家さん特製の手料理をね」

「はぅっ!? な、なんで全部バラすんですか!?」

「その方が可愛いからです」

「か、可愛くなんかっ……ない、ですよね?」


 いいや、めっちゃ可愛いが?

 視界の端っこで毛布にくるまった狼男がにやにや顔を晒していなければ抱きしめていたところだ。……ティム、あとでぶっ飛ばす。


「ツヅリが作ってくれたのか?」

「は、はい……」


 みるみる赤く染まっていく頬を手で隠し、上目遣いでこちらをちらりと見てくる。

 ヘアテールがもじもじとくねっている。


「以前、わたしの手料理は高級なレストランの料理よりも価値があるとおっしゃってくださいましたから……また、食べていただきたくて」


 どうしよう。

 めっちゃ可愛い、俺の彼女。


「あぁ。是非とも食べさせてもらうよ」

「で、でも、美味しくなければ無理はしなくてもいいですからね?」


 無理してでも平らげるさ。

 誰にもやるものか。


「それで、あの……カナさんがまだ寝ておられるのでベーグルも焼けず、ご飯を炊いていないのでおにぎりも出来ず……ですので、本当に簡単なものなんですが……あの、取ってきます!」


 恥ずかしさを堪えるように言って、たっと厨房へと駆け込んでいく。

 なんだか逃げられたような気分ではあるが……


「あぁ。待ってる」

「今、この場に鏡がないのが悔やまれますね」

「アサギさん、顔でれでれだぜ?」


 うるさい、外野。

 特にティム。


 そんなに急がなくてもいいのに、物の十数秒でツヅリは戻ってきた。

 俺の前へと。

 クロッシュで目隠しされた皿を持って。


「美味しく、出来ているといいんですけれど……」


 言いながら、俺に皿を差し出す。

 俺が皿を受け取ると、ツヅリは両手でクロッシュを持ち、「召し上がってください」という言葉と共にクロッシュを持ち上げた。


 皿の上には、ほくほくと湯気を立ち上らせるサツマイモ――焼き芋が乗っていた。


「エスカラーチェさんに教わったので、上手に焼けたと思います」

「えっと……エスカラーチェ、何を教えたって?」

「『焼く前に皮を綺麗に洗いましょう』と」


 それはありがたい。

 俺は皮まで食べたい派だからな。


「斬新な朝食だな」


 朝飯で焼き芋を食うのは初めてだ。


「あの……お気に召しませんか?」

「いいや」


 近くのテーブルに皿を置いて、ほっくほくの焼き芋を二つに割る。

 立ち上る湯気は甘い香りがした。


「ツヅリといると、楽しいよ」


『当たり前』がどんどん崩されていく。

『常識』が塗り替えられていく。

 そして、俺たち二人の『普通』がこの瞬間にも生まれていくんだ。


 どんなアトラクションよりも楽しくて、興味深い。


 焼き芋の断面に齧りつけば、思わず頬が緩むほどに甘くて、幸せな味がした。


「今まで食った中で一番美味い焼き芋だ」


 ツヅリと一緒なら、どんな朝食だってご馳走に変わる。

 さて、あの嬉しそうに揺れているヘアテールは、褒められて喜んでいるのか、焼き芋のいい匂いに釣られているのか。


「半分食うか?」

「い、いえ! それは、アサギさんの分ですから」

「だったらもらってくれ」

「ですが……」


 ツヅリのサツマイモ好きは周知の事実だ。

 俺が気を遣って半分やると言っていると思っているのだろう。

 そうじゃないっつーの。


「俺が、ツヅリと一緒に食べたいんだよ」


 付き合ってくれよと、半分を差し出すと、ツヅリはぱぁっと表情を輝かせて「はい!」と受け取ってくれた。


「はんぶんこ、嬉しいです」


 そう言ってかぶりつき、すぐに相好を崩す。


「甘ぁ~いです」

「そこの男ほどではないでしょう」

「うるさいよ、エスカラーチェ」

「サトウだからですか? やかましいですよ」

「言ってないから」

「あ、それ。わたしも思ってました」


 エスカラーチェの悪意に対し、ツヅリが無邪気に応える。


「アサギさんが甘いのは、お名前のせいなんでしょうかって」


 その『甘い』は、厳しいの対義語ではないよな? 話の流れ的に。


「俺、ツヅリにそんな甘いこと言ったことあったか?」

「えっと……あの…………は、はい。たまに」


 俯いて、もむもむと焼き芋を頬張るツヅリ。

 ツヅリにまでそんなことを思われていたとは……


「でも……」


 ごくりと、焼き芋を飲み込んで、ツヅリが赤い顔で言う。


「わたしも、甘くなっちゃうかもしれないです……その……名前が、変われば」


 店内が、静寂に包まれた。


 俺、エスカラーチェ、ティムに三方向から見つめられ、ツヅリは数秒黙った後で――



「……なんちゃって」



 ――と、照れ隠しバレバレな顔で呟いた。



 あーもー! 可愛いな、こいつ!


「あまーい!」

「エスカラーチェさん! 窓の外に向かって叫ぶのやめてください! ご近所迷惑になりますから!」


 店の窓から山岳隊も顔負けな発声を見せるエスカラーチェ。

 そうだろ?

 俺よりもツヅリなんだよ、大体の原因は。


「いいなぁ……俺も早くアサギさんたちみたいにラブラブになりてぇなぁ」


 毛布をがじがじ齧って、ティムがいじけている。


「ラブラブとか言うな。照れる」

「アサギさん、セリフは初々しいのに、その顔は『脅迫』の域に達してっからね!?」


 こいつは舌禍が過ぎる。

 いつか口から招いた災いで身を滅ぼしかねない。今度その辺のことを懇々と語り聞かせてやらないとな。

「だからモテないんだぞ」と。


「うまくいってないのか、お前の方は?」

「いやいや。めっちゃ楽しいよ!」


 ティムは、結婚相談所で土下座して例の見合い相手ともう一度会わせてもらい、すべてを包み隠さずさらけ出して頼み込んだのだ。

「今はまだ友達でいい」

「俺が君のそばにいたいんだ」

「君を笑顔にする手伝いをさせてください」と。


 その結果、向こうが前向きに検討してくれると言い、二人の交際が始まった。


 結構早い段階で結婚を視野に入れるようになったらしいが、まだまだ恋人らしいことはしていないようだ。

 昨夜、寂しそうに耳を垂らしてそんなことを言っていた。


「すっごくシャイな人でさ、手をつなぐのも、まだちょっと身構えられちゃうんだよね……」

「前に言ってた『大切な人』ってのは?」

「それは、平気だよ。なんつーの? その人とのことはもう、恋愛じゃなくて、恩人とか尊敬とか、そういう感じだって言ってたし」


 恩人か。

 その彼女の人生に大きな影響を与えた人物なのだろうな。

 けど、お前にそう言ったってことは、その彼女はお前と向き合おうとしてるってことだ。

 まぁ、よかったじゃないか。


「一度会わせてくれよ。どんな人なのか気になるからさ」

「いやいやいやいや! 絶対無理だし!」


 ものすごい拒絶反応だ。

 ……なんだよ、一体?


「だ、だって……アサギさんと比較されたら……俺、勝ち目ないし」


 なんだよ、勝ち目って?

 そんな勝負にはならねぇよ。


「それは相手の人に失礼だぞ、ティム。それとも、そんな風にいろんな男に目移りするような女なのか?」

「そんなわけねぇーって!」

「なら、そんな言い方するな」

「う…………ごめん、なさい」


 まぁ、気持ちは分からないではない。

 相手を信用するってのと、自分に自信が持てないってのは別の感情なんだよな。

 どれだけ相手を信じていても、自分に自信が持てなくてネガティブになってしまう時がある。

 それが、却って相手に失礼だと分かっていてもなお、な。


「け、けど! もしかしたらアサギさんが一目惚れしちゃうかも!?」


 ……こいつ、本格的に『空気を読む』ってことを教えてやらないといけないな。

 その発言が相手にどんな風に聞こえるか、口に出す前に一回考えるってことを体に叩き込んでやろうか。


「ねーよ」――と、ティムに言ってやろうとした直前、俺の服の袖がきゅっと摘ままれた。

 振り返れば、ツヅリが二の腕付近の袖を摘まんでいた。ほっぺたをぷくっと膨らませて。

 ……ったく。


「ねぇよ」


 ティムに向けるはずだった言葉を、寂しがりなお姫様に告げる。

 もちろん、ツヅリ用の声と言い方で。

 お前が心配することなんか、なんにもねぇよ。そんな思いをこめて。


「……信じてますもん」

「はいはい」


 信じていても、不安がなくなるわけじゃない。

 その気持ちはよく分かる。

 大丈夫だ、ツヅリ。お前だけじゃない。


「俺も一緒だよ。だから、心配すんな」

「はい。……えへへ」


 ツヅリの頭に手を乗せると、ヘアテールが両サイドから俺の手に絡みついてきた。

 子猫にじゃれつかれているような気分だ。


「……なんかさぁ。たぶん俺とツヅリさん、似たようなことしたと思うんだけど、この差ってなんなん?」

「お答えしましょうか?」

「いや……心抉られそうだから聞きたくない」


 ぶー垂れるティムは放っておいて構わない。

 まぁ、双方に結婚の意思があるのなら、いつかは会える日が来るだろう。

 それまで、気長に待っているさ。


「む~…………おはようなの」


 これだけ騒がしくしても一向に起きてこなかったカナが、ようやくユルトから出てきた。

 眠そうに目を擦りながら、寝間着姿で這い出してくる。

 どんな寝方をしたのか、髪の毛がもっさりと寝癖っていた。


「ベーグル屋が寝坊してどうする」

「あぁ~、店長、朝めっちゃ弱いんよ」

「仕込みはどうしてんだよ?」

「前の日の夜に終わらせてる。一応朝早く店には来るんだけどさ、いっつもカウンターでうとうとしてんだよねぇ」


 向いてないんじゃないか、ベーグル屋?

 爬虫類は日が昇って温かくなるまで体が動かないっていうけどさ。

 カナヘビ族は哺乳類だろうに。


 ティムの言うように、カウンターの席に座ってうとうとし始めるカナ。

 これは、エンジンがかかるまでに時間がかかりそうだ。


「カナ。昨日、仕込みしてないよな?」

「あっ!?」


 ようやく思い出したのか、わたわたと手を動かすカナ。

 だが、足が動かない。体はまだ眠りから覚醒していないようだ。


「あぁ……あう、ど、どうしよう……あふ……」


 ……うん。半分寝てるな、こいつ、まだ。


「しょうがない。手伝ってやるか」

「わたしもお手伝いします」

「では、微力ながら私も」

「いやいやいや! 姐さんは主戦力だから! 店長、アサギさんと同じレベルで頼れるから!」

「あう……みんな、ごめんなの……あと五分したら、カナも手伝うなの……」


 絶対五分で起きないヤツのセリフだな。


「カナ」

「なぁに、アサギン?」

「髪の毛、寝癖でサツマイモみたいな形になってるぞ」

「むぁああ! どーしてそういうデリカシーないこと言うカナ!? 嫌われちゃっても知らないなの!」

「大丈夫ですよ、カナさん」

「えーん、ツヅリさ~ん!」

「とっても美味しそうですよ」

「それって、慰めてくれてるのカナ!?」


 カナがツヅリと遊んでいる間に、俺たちはベーグルの仕込みを開始する。

 しゃべっているうちにカナも完全に目を覚ますだろう。



 好きな人に告白して両思いとなった。

 そんな特別な日の翌日には、いつものように賑やかななんてこともない日常が始まった。


 きっと、そんな風に人生は進んでいくのだろう。

 経験と思い出を、少しずつ積み重ねるように。


「ツヅリ」

「はい?」


 そこにお前がいてくれるなんて、最高だな。


「サツマイモのベーグル、ちょっと多めに焼くから、もらって帰ろうな」

「はい!」


 さて、俺がサツマイモ以上の笑顔をもらえるのはいつになることか。






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