ありふれた特別な日常 -1-

 朝、目を覚ますと朝陽の色が違って見えた。

 ふわふわとした幸福な余韻が胸の奥に残っている。


 あぁそうだ。

 俺は昨日、ツヅリに伝えたんだ。

 自分の気持ちを。


 そして、それをツヅリは受け入れてくれて……


「……くふっ」


 叫びそうになるのを必死にこらえた。

 なんだこれ。

 腹の底から未体験の感情が湧き上がってくる。

 柄にもなく大声を上げて部屋の中を跳び回りたくなる感情が抑えきれない。



 俺、ツヅリと両想いなんだよな。



「最高だ……」


 体を起こそうと思ったら、胸の上に重さを感じた。

 起こしかけた体を止め、もう一度頭を床につける。


 床……そう、床だ。


 ゆっくりと始まっていた覚醒が一気に完了する。

 そうだ。

 俺たちは昨日トカゲのしっぽ亭で二次会をして、明け方近くまで騒いで、そのまま泊まったんだ。

 どこからかエスカラーチェが毛布を持ち込んできて、フロアの適当なところでごろ寝をすることになって……ツヅリが…………そう、ツヅリが眠る直前に俺のところに来たんだ。ドレスからエスカラーチェが用意した寝間着に着替えて。

「寒くないですか?」って。

 自分の分の毛布を俺に貸そうとして……俺が寒がりだと知っているから。

 だから――


「最近はお前の方が寒がりだったろ。いいからちゃんと布団にくるまってろ」

「いえ。もう寒がりは卒業しました」

「どうやったら卒業できんだよ」

「アサギさんのおかげですよ」

「ん?」

「アサギさんのそばにいると、胸の奥からぽかぽか温かくなってくるんです」


 そんなことを言われたから、――酒の力も少し働いて――思わず抱きしめてしまったんだよな。

 あれは仕方ない。

 だって、可愛過ぎたから。


 ティムやカナは騒ぎ疲れて先に眠っていて……薄暗いフロアでツヅリをぎゅっと抱きしめて……



「……こうしていると、とってもあったかい……ですね」



 って、ツヅリが俺の胸に顔をうずめて――


 それで、今、か?

 すごく満たされた気持ちで俺は眠りにつき、目を覚ますと胸の上に微かな重みを感じる。

 ちょうど、人ひとりの頭が乗っているくらいの、重さと、温もりを。

 俺の左半身に寄り添うような、人のぬくもりを感じる。


 途端に鼓動が速くなる。

 俺は……


 俺は、ツヅリと……



 見てみたい。

 寝ぼけたツヅリの顔を。

 もぞもぞっと動いて、布団の中からこちらを見上げてくるツヅリのまどろんだ表情を。


 今日という特別な日の始まりにそんな特別な顔を見られれば俺は……


 その時、布団がもぞっと動いた。

 俺の胸に乗った頭が動き、微かに布団が持ち上がり、俺に寄り添うように眠っていた者が緩慢な動作で顔を上げる。

 そして、気怠そうな声で俺の名を――呼ぶ。


「あっれ? アサギさん、もう起きてたん? くはぁ~、マジ眠ぃ~」

「お前かよ!?」


 大口を開けてあくびをかます狼男を毛布から蹴り出す。


「痛った!? 寒っ! 毛布毛布!」

「入ってくんな、気色悪い!」


 何をぴたりと寄り添って寝てんだ、馴れ馴れしい!


「いやほら、アサギさん寒がりだって聞いたからさ。あったかかったっしょ、俺の毛皮?」


 そんな温もりはいらん!

 返せ、今朝の俺の幸せな気分を!


「あ、アサギさん。起きましたか?」


 厨房からツヅリが顔を出す。

 寝間着から普段着に着替え、きっちり身支度を整えたツヅリが。


 ……これは、俺よりも随分と早起きしたようだな。


「おはようございます、サトウ某さん。素敵な夢はご覧になれましたか? ……ぷくす」

「あぁ、そうか。全部お前の差し金か」


 キラキラと輝くような笑みを浮かべて、エスカラーチェの無表情な仮面が俺を見下ろしている。

 表情豊かになったもんだなぁ、お前の仮面。感情ダダ漏れだぞ、おい。


「ちなみに、女子チームはこちらの簡易テントの中に設置されたふかふかベッドで休ませていただきましたので、悪しからず」

「他人の店に妙なもん作ってんじゃねぇよ」


 店内に、かなり豪華なテントが立てられていた。

 いや、テントというか、もはや遊牧民のユルトに近い。立派なものだ。

 しかもふかふかのベッドって……


「なのになんで俺らが床でごろ寝なんだよ」


 しかも毛布も一枚で。

 二人で一枚で!


「毛皮の絨毯をご用意したではありませんか」

「その敷物が勝手に俺の上に乗っかってたんだが?」

「不良品でしたか。運が悪かったですね」

「悪いのはお前の性根だ」

「つか、二人とも、俺を絨毯扱いすんのやめてくんねぇかな? 俺、生きてっし!」


 騒ぐティムを無視して店内を見渡してみる。

 満開に咲き乱れていた桜の花は、木ごとすっかりとなくなっていた。

 ……手品か。


「あの桜の木、どこから持ってきたんだ?」

「企業秘密です」

「じゃあ、そのユルトは?」

「トップシークレットです」

「……お前に出来ないことってなんかあるのか?」

「そこそこは」


 何を聞いても柳に風だ。

 嫌なヤツだ。


「なんだか、こうして矢継ぎ早に質問されると思い出しますね」

「何をだよ?」

「言ってもよろしいのですか?」

「だから、なんのことだよ」

「ちなみに、もう二度と教えませんので、『色』は」

「分かった! もうそれ以上しゃべるな!」


 こいつ、また懐かしいことを持ち出しやがって。

 ……まだ根に持ってやがったのか。

 本当に、嫌なヤツだ。


「エスカラーチェさんは、なんだって出来ちゃう、自慢のお友達なんですよ」


 俺がエスカラーチェと睨み合っていると、ツヅリが俺の前で笑顔を咲かせた。

 俺とエスカラーチェの睨み合いを戯れと思ったのか、自身の幼馴染みを自慢するように胸を張っている。

 ……そんな嬉しそうな顔をされると、エスカラーチェに文句が言いにくいだろうが。お前の友達を腐すみたいで。


 あぁ、ツヅリの向こうでエスカラーチェが照れてやがる。

 そっぽ向いて素知らぬ顔を貫いているが、組まれた指先がもじもじと動いている。


「うるさいですよ、サトウ某さん」

「何も言ってねぇだろ」


 照れ隠しに悪態を吐くエスカラーチェを見れば、毒気はすっかり抜け落ちた。


「まったく。敵いませんね、大家さんには」


 まったく同意だな。

 それにしても、だ。


「なんで大家さんなんだよ? ツヅリって呼んでやらないのか?」

「う、うるさいですね……っ」


 正体が分かった今、名前を呼んでやる方がツヅリが喜ぶだろうと思ってそう言ったのだが、エスカラーチェが面白いほどに狼狽えている。


「機会があれば……そう、呼びますよ」


 どうやら照れているらしい。

 それも、盛大に照れているらしい。

 どうにも、お友達発言が嬉しくて堪らないようだ。


「にやにやした顔で見ないでください……まったく」


 エスカラーチェは肩を怒らせて俺の脇腹を小突き、俺が退いた分だけの距離をすっと一歩で縮めて、耳元で囁きを寄越してくる。


「ツヅリを泣かせたら、承知しませんよ」


 ツヅリを背に庇うような位置取りで、挑発的な口調で言ってくる。


「誰に言ってるつもりだ? 当たり前だろ」

「潔い返答には好感が持てます。ですが……彼女の両親は手強いですよ。少しでも笑顔が翳れば、どのような手段を使ってでもあなたを排除しにかかるでしょう」


 この国ナンバー2の元破壊神と、外交の要である元豊穣の女神。

 そして、超が付くほどの親バカ夫婦。


「気を付けるさ」


 あの二人に本気を出されると、相当苦労しそうだ。

 そうならないように十二分に気を付けるさ。


「俺に何かあったら、ツヅリが悲しむからな」

「……憎らしいことを」


 無表情なはずのエスカラーチェの仮面が、にこりと笑ったように見えた。


「事実をお伝えしておくと――ツヅリが両親へ心を開いたために、あの扉に施された隠蔽の魔術は効力を失っています」


 相談所の三階へ通じる銀製の扉。

 そこに施された隠蔽の魔術は、ツヅリと両親を引き離す魔術ではなく、ツヅリが両親に会うための心の準備を整えるまでの期間匿うための魔術だったらしい。


「ですから、何かあれば必ず彼らは飛んできます。悪い虫を排除するために」


「悪い虫」と指さされ、あの両親なら本当に仕事を放り出してでもやって来そうだなと思って苦笑が漏れる。

 そうそう頻繁にやって来るなんてことはないだろうが、ツヅリに何かあれば間違いなく飛んでくるだろう。


 けど、構いやしない。


「生憎と、ツヅリに悲しい顔をさせる予定はないんでな」


 エスカラーチェにそう言ってやると、そのすぐ後ろにいたツヅリが「うちゅっ!」っと変な声で鳴いて、数歩、すすすーっと後退あとずさっていった。両頬を両手で押さえて。


「……ところ構わずイチャつかないでください」

「今のは……不可抗力だ」


 あの両親に対抗するには、こっちもこれくらいの気概がないとと思ってだな……くっ、さすがにちょっとクサかったか。今さら恥ずかしい。


「まったく」


 と、エスカラーチェが嘆息し、呆れたような声で言う。


「あまりにイチャイチャされると、少々過激な妨害をしてしまうこともあるでしょうが――」

「自制しろ」

「却下します」

「再申請を要求する」

「不受理です」

「……気を付けるよ」

「よい心がけです。……ですがまぁ」


 さらりと、エスカラーチェの黒に近い紺色の髪が揺れる。


「ツヅリの幸せを願っているのは私も同じです。何かあればなんなりと言ってください。最大限の協力を約束しましょう」


 それは、なんとも心強い申し出だった。

 こいつの後ろ盾があれば、魔神でも魔王でも倒せてしまいそうなくらいに。


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