好きなものを好きだと言えるわたしに -3-

 風がやむと、舞い踊っていた花弁が、ひらり、ふわりと、舞い落ちていきます。


「あれ……?」

「え?」


 花吹雪がやんで視界が開けると、店内の風景ががらりと様変わりしていました。


 格式高い調度品は姿を消し、代わりに美しい花を枝一杯に咲かせた桜の木がわたしたちを取り囲んでいました。


 呆然とするわたしたちの前に、エスカラーチェさんが静かな歩みでやって来て、両手を広げてこの美しい花々を示しました。


「これは、私たちからの贈り物です」


 エスカラーチェさんの後ろで、カナさんとティムさんが誇らしげな顔をしていました。

 みなさんで協力して、こんなサプライズを用意してくださったのでしょう。

 とても素敵で、とても驚きました。


「ありがとうございます。すごく嬉しいです」

「あぁ。一本取られたよ」


 アサギさんの言葉を聞いて、カナさんとティムさんが互いに顔を見合わせて小さなガッツポーズをしていました。

 そんな姿を微笑ましく眺めていると、エスカラーチェさんがじっとわたしを見つめていることに気が付きました。

 身じろぎもせず、ただじっと、じぃ~っと、わたしを見つめています。


 自然と背筋が伸び、真正面からエスカラーチェさんと向かい合いました。

 そっと、アサギさんが寄り添ってくださったのがなんとも頼もしく、とても嬉しく感じました。


 今なら、どんな言葉でも言えそうです。

 自分の中の、素直な気持ちを。


「エスカラーチェさん。ありがとうございます。わたし、このお花、好きです。とってもきれいです」

「そうですか。それはよかった」


 ほんの少しだけアゴを上げて、舞い落ちる花びらを手のひらで掬う。

 そして、再びこちらを向いたエスカラーチェさんは、よく通る澄んだ声で話しかけてくれました。


 わたしに向かって。

 わたしだけに、向かって。


「この花は、門出を祝う花だそうです」


 門出を……


「ツヅリさん」


 エスカラーチェさんに名を呼ばれ、ドキッとしました。

 この感じを、わたしは…………知っている。


「本当におめでとうございます。あなたなら、きっとなりたい自分になれると信じていました」


 信じています、ではなく、信じていました。

 それは、ずっと以前からわたしを知っていたということ。


 ずっと以前……そう、わたしがまだ幼かった頃から……



「……あ」



 その時、記憶の中に眠っていた光景が一気に蘇ってきました。

 今まで忘れていた、どうして忘れてしまっていたのか不思議でならないくらいに、とても大切な記憶たち。


 わたしは、あなたを知っている。


 わたしが独りぼっちだった時に、ずっとそばにいてくれた……


「あなたは……」


 言いかけたわたしを、エスカラーチェさんは首を振って黙らせました。

 言わなくてもいい。

 分かっているから。

 分かっていてくれるなら、それでいいんですよと、そんな優しい笑みで。


 笑み。

 そう、笑みです。


 あの仮面の下で、エスカラーチェさんは確かに微笑んでいるんです。

 わたしには、分かります。

 だって、親友ですから。



 なんとなく分かります。

 忘れなければ、わたしは寂しくてとても一人では生きていけなかったのですね。


 だから、わたしは……


 いえ、やめておきましょう。

 今は過去を振り返るよりも――


「エスカラーチェさん」


 ――今、ここにいてくれることに感謝しましょう。



「わたし、あなたのお友達でよかったです」



 小さな音がして、エスカラーチェさんが口を押さえました。

 数十秒、その体勢のままじっとして、ぺこりと頭を下げました。


 それだけで、わたしの胸にじんわりと温かい感情が広がっていったのでした。


「いかがだったカナ?」

「これを持ちまして、本日のディナーは終了となります」


 エスカラーチェさんに代わり、カナさんとティムさんが揃ってわたしたちの前へとやって来て、恭しく頭を下げます。


「素晴らしかったよ」

「はい。お料理はとても美味しかったですし、贈り物には感動しました」


 賞賛を贈ると、お二人は顔を見合わせて喜び、ハイタッチを交わされました。

 ふふ。いつもの、楽しげな雰囲気が戻ってきて、ちょっとほっとします。


「それから」


 カナさんの声で、お二人が揃ってこちらへと向き直り、そして満面の笑顔で祝福をくださいました。


「おめでとうなの、アサギン、ツヅリさん!」

「マジ、俺も感動したよ! よかったなぁ、二人とも!」


 カナさんはわたしの手を両手で包み込んでぴょんぴょんと飛び跳ね、ティムさんはアサギさんの肩を抱いて大粒の涙を隠すことなく流していました。


「離れろ、煩わしい」

「そんなこと言うなって、アサギさ~ん! 友達だろ~!」

「いや、それはどうかな」

「またまたぁ~! もう!」


 ふふ。とっても仲がよさそうです。


「ねぇ、今日は遅くなっても平気カナ?」

「わたしですか? えっと……」


 ちらりと、アサギさんへ視線を向けました。

 特に門限は設けられていませんが……


 目が合うと、アサギさんは肩をすくめて「しょうがないなぁ」みたいな顔でこくりと頷きました。

 うふふ。

 嘘がお下手ですね。「しょうがない」なんて思っていないくせに。


「はい。今日は、遅くなっても大丈夫です」

「じゃあ、トカゲのしっぽ亭で盛大に二次会をやるなの!」

「よっしゃあ! 俺も今日は飲んじゃうぜ!」

「私も、御相伴に預からせていただきましょう」


 みなさん、給仕に専念してくださり、お食事はまだのはずです。


「では、みなさんでお食事をいたしましょう」



 その晩、トカゲのしっぽ亭からは賑やかな音がいつまでも響いていたのでした。






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