愛しているからこそ -5-
概念――
以前エスカラーチェと話していたが、あの二人がそうだというのか?
どっからどう見ても人間だったが……
「あの二人は、幽霊なのか?」
「オバケの話はたとえです。それが一番分かりやすいと思ったのと、あなたがビビると思ってあの話をしたのです」
……テメェ。
「彼らの特徴をまとめてみると、その傾向が強いと分かるのですが、まず間違いないでしょう」
概念の人格化。
人々の強い思いが魂を得て、人と成る。
「ちなみに、その特徴というのは?」
「過去の記憶の欠損です」
それは、まさしくあの司祭二人共に起こっていることだ。
「正しくは欠損ではなく、存在していないだけなのです」
「記憶が、存在していない?」
「概念が人になる際は、赤子を経ず、いきなり特定の姿に生まれることがほとんどなのです。成人であったり、幼子であったり、状況により様々ですが」
座敷童なら子供の姿。口裂け女なら成人女性という風に、イメージが具現化すれば、彼らはその姿でこの世に生命として誕生する。
「ですが、『世界』に巻き込まれたことで記憶の混在が起こり、『通常あるはずの幼少期の記憶がどこにも見当たらない』という現象が延々と続くのです」
「それが、記憶の欠損の原因なのか?」
「はい。概念は複数の人間の思いで成り立ちますので、自身が経験したホンモノの記憶とは別に、『こうあるべき』『こうあって然るべき』といったものが記憶に混ざって脳や体に刻み込まれているのです」
刻み込まれた記憶。
それは、あの二人が口にしていたことにも合致する。
「あるはずの記憶がそこになければ、忘れてしまったのだと判断してしまうでしょう。ですが、実際は元からそこには記憶などなかったのです」
彼らが言っていた何千年というのは、概念が存在した時間で、この『世界』に統合された三十年前に、彼らは初めて魂と肉体を得た――だから、以前の世界の記憶が曖昧で、欠損していると感じている。
肉体も魂も持ち合わせていなかった彼らは、直接脳に刻み込まれる記憶など存在せず、与えられるのは他者が思い描く概念のみ。
もしそうなら、あの二人が記憶を思い出せないのは当然だ。
「人間になった概念は、人ならざる超常の力を得ていたりするのか?」
あの細い腕で大剣を振り回すハルス司祭も、ことさら人を惹きつけるようなザックハリー司祭の雰囲気も、なまじ人間の常識を越えているように思える。
少なからず、自身を之人神と勘違いするくらいの力は持っているのではないか。
そんな推論を、エスカラーチェは肯定する。
「あなたの言う通り、具現化した概念は『かくあるべし』という超常の力を得て人間の姿へと成ります」
「『かくあるべし』……?」
「そうですね……少し想像しにくいかもしれませんが」
そう前置きをして、エスカラーチェがたとえ話をしてくれる。
「100
「……うん。スゲぇ想像しやすい」
っていうか、この『世界』にもいるんだ、100km/hババア。
小学生の頃、クラスで流行ってたよ、その都市伝説。
「ただ、なぜ自分が時速100キロで走れるのか、また、なぜそんな速度で走るのか、それを分かっていないのです。若い頃からこんなに速く走れていたのかを思い出そうにも、誕生した瞬間からお婆さんなのですから『若い頃』なんて存在しないので記憶が欠損していると認識してしまうのです」
なるほど、状況はあの司祭たちに近しいってわけだ。
「外の世界から来た概念たちは、皆そのような記憶の欠損を抱えています。記憶はないのに、魂に刻み込まれた使命は忘れない。だから、その存在意義に従って行動を繰り返す。――ザックハリー司祭が執拗に女性を笑顔にしようとしていたのも、そこに起因しているのではないか……というところまでは調べたのですが、彼がなんの概念であるかまでは突き止められませんでした」
肩をすくめるエスカラーチェ。
恐縮しているように見えるが、そこまで調べてくれただけで大感謝だ。
これまで腑に落ちなかったことが、俺の頭の中でぱちぱちと組み合わさっていく。
神ではなく概念。
おのれの存在意義を決めてしまうほどに強烈な『あるべき姿』という記憶。
そして、あの司祭二人が言っていた言葉。
……なるほどね。
そういうことか。
分かってみれば、実にくだらない。
ザックハリー司祭の言葉にムキになっていた自分が恥ずかしくなってくるレベルだ。
そりゃ、俺みたいなヤツには敵意を向けるよな。
「その表情。私の調査はお役に立ったようですね」
「あぁ。助かったよ」
そして、もう一つ。
ずっと気になっていたことが、なんとなく分かった気がした。
「一つ確認したいんだが、いいか?」
「私に分かる範囲でしたら」
「興味本位だから、嫌なら答えなくても構わないんだが」
「ふふ。随分と慎重なのですね。あなたらしくありませんよ」
そう言って、エスカラーチェは俺の言葉を待ってくれる。
聞く姿勢を保ったまま。
そんな彼女の厚意に甘えて、俺は質問を口にする。
「『外から来た概念』は記憶の欠損が起こりやすい。それは、記憶の混在によって存在しない記憶をあると勘違いしてしまうから、だったよな?」
「そうですね。ですが、全員が全員そうであるとは言い切れませんよ」
記憶の混在は、人によって度合いが違う。
それは聞き及んでいる話だ。
概念の中にも、自分が何者かを理解している者もいる。
そして――
「この世界で誕生した概念なら、記憶の混在を起こさないから、すべてを覚えている――違うか?」
自分がいつ、なんのために生まれたのかを理解している概念がいる。
俺の予想は、エスカラーチェの首肯によって確信へと変わる。
「あなたの思っている通り――だと思いますよ」
そうかい。
ありがとよ。
いろいろ合点がいった。
「アサギさん、あの……」
こちらの話が一段落した時、ツヅリがそろ~っと戻ってきて、申し訳なさそうな顔で言った。
「お湯を、湧かし過ぎてしまいまして……ハーブティーが大量に出来てしまったんですが……」
ツヅリの押す台車の上には寸胴鍋が二つ置かれており、そこには並々とハーブティーが入っていた。
……なぜ、ハーブを入れた?
お湯が沸こうが、必要なければ捨てればいいし、お湯なら冷めた後、水として掃除や食器洗いにも使えたろうに……なぜハーブを入れた?
「ノド、渇いていませんか?」
「じゃあ、ランチのベーグルと一緒に、いただこうか」
「はい!」
もちろん、こんなもん全部飲めるわけもないので、残った分はボトルに入れてアイスハーブティーにしてしまおう。
「明日、教会に行く時はハーブティーを持参するか」
あそこで出されるハーブティーは甘過ぎて飲めたもんじゃないからな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます