愛しているからこそ -4-

「サトウ某さん」


 エスカラーチェが静かに手を上げる。

 何かをやるつもりだ――と、直感で分かった。


「両司祭がお帰りになる前に、一つ、私の悩みを解決していただきたいのですが、構いませんか?」


 無表情な仮面に代わって、俺が両司祭へと視線を向ける。

 ザックハリー司祭とハルス司祭は互いに顔を見合わせて、それぞれに頷いた。


「私は構わないが」

「僕も問題ないよ。悩みなんて、一欠片もない方がいいに決まっているからね」


 ザックハリー司祭の言葉には、少々含むところがあるようだが、そんなものは無視しておく。


 了承が得られたことで、エスカラーチェがカナに注文を出す。


「少し変わった注文をしてもよろしいですか?」


 カナと共に厨房へ入るエスカラーチェ。

 ほんの二分ほどで戻ってきたカナの手には、ベーグルの載ったトレイが持たれていた。

 ベーグルと一緒に、ジャムとスモークチキンが載っている。


「私は、以前から気になっていたメニューが二つありまして、本日いただくのをとても楽しみにしていたんです。奢っていただきありがとうございます、サトウ某さん」


 いつ俺が奢ることに決まったんだ?

 口の挟みにくい時に余計なことを……もう奢ってやるからさっさと話を進めろ。


「ですが、私は小食ですのでどちらか一方しか食べられません。あぁ、困りました。さて――」


 そこで、テーブルに載せたトレイを指して二人の司祭に問いかける。


「私は、どちらを食べるべきでしょうか?」


 そんなもん、勝手に決めろという話なのだが、エスカラーチェはあえてそれを両司祭に選ばせようとしている。

 まぁ、こういう時は、本人の嗜好や今の体調、空腹具合なんかを聞いて勧める方を決めるのが無難なのだが……


「スモークチキンにするがよい」

「いやいや、ブルーベリージャムがいいよ」


 二人の司祭は迷うことなく正反対の意見を述べた。

 そして、互いを否定するかのごとく鋭い目つきで睨み合う。


「ハルス、また君の悪い癖が出ているよ。常識的に考えて、パンにはジャムでしょう?」

「愚か者。サンドイッチにはスモークチキンが定番だ」


 パンじゃないんだが、この二人はベーグルを知らないのだろう。

 それはさておき、見事に意見が真っ二つだ。

 そして、この司祭二人の様子から見て、双方譲るつもりもないのだろう。


「さて、困りました。悩みが一向に解決しません」

「迷うことはない。僕を信じれば幸せになれるよ」

「食事は生きるためには必須だ。享楽のためではなく、栄養摂取のために行うべきものだ」


 幸せだ、生きるためだと大袈裟な。

「好きな方を食え」で済む話だというのに……


「では、サトウ某さん」


 不意に、エスカラーチェがこちらに話を振ってくる。


「あなたなら、どのような回答をくれますか?」


 どのようなって……


「どっちにしても、お前はテイクアウトするんだから、そのまま包んでもらって気が向いた方を家で食えよ」


 今ここで決めたところで、帰ってから「やっぱり向こうの方が」なんてことも十分あり得るんだ。

 なら、その時の気分で決めればいい。


「アサギ君。それでは、なんの解決にもなっていないじゃないか」

「そこは、私もザックハリーに同意だ」


 この二人の頭には、ゼロか百かしかないのだろうか。


「『保留』という答えもあるでしょうに」

「それはただの引き延ばしじゃないか。解決ではない」

「引き延ばすことに意味がある時だってあるんですよ」

「ナンセンスだ」

「いいえ」


 ザックハリー司祭の言葉を否定したのは、エスカラーチェだった。


「サトウ某さんの提案が、一番私に適していると感じました。ありがとうございます、サトウ某さん」


 本人がそう言うのであれば、それ以上は何も言えない。

 ザックハリー、ハルス両司祭はそれ以上何も言わず、持ち帰り用のパックに詰められるベーグルを見つめていた。


「よければ、お二人も持ち帰られますか? 美味しいですよ、この店のベーグルは」


 エスカラーチェが言ってカナに準備をさせる。


「お代はご心配なく。サトウ某さんが出してくださいますので」

「おいコラ」


 まぁ、ベーグル二個追加くらいいいけどさ。


 カナがテイクアウトの用意を整えてくれ、両司祭にそれを渡す。

 いまだ釈然としない表情ながらも、両司祭はそれを受け取り、今日のところはこれで帰ると言い残し雪道を歩いていった。


 俺たちも帰ろうかと思ったのだが、よく考えてみれば、俺たちこそ飯を食っていない。

 ここでランチをするつもりで来たのに、だ。


「カナ。もう少しここにいてもいいか?」

「もちろんなの。きっと今日はもうお客さん来ないなの。この雪じゃあ……」


 雪は一層強くなり、外は真っ白になっていた。

 帰る頃には積もっていそうだ。


「ツヅリ、寒くないか?」

「はい。ぽかぽかです」


 いや、ぽかぽかは嘘だろう。

 大きめの薪ストーブが火力最大で焚かれているが、それでも少し肌寒い。


 しかし、ツヅリは凍えるような仕草は見せず、本当にぽかぽかしていると言わんばかりにもこもこのニット帽とマフラー、手袋を外した。

 雪が増して寒さに震えるカナに代わって温かい飲み物を入れてくると、元気に厨房へ駆け込んでいく。

 本当に大丈夫なのか?


「やはり、踏み込まれないのですね」


 すまし顔の仮面が俺を見ていた。


「そんなに心配そうな顔をしているのに」

「言ったろ。……俺がやられて嫌なことはしないって」


 誰にも言えないことは誰にも話さない。

 もし、いつか誰かに話す時が来るにせよ、その『誰か』は自分で決める。

 向こうから手を広げて寄ってくるヤツになど、聞かせてやるものか。


「俺は忍耐強いんでな」

「臆病なだけでは?」

「どちらにせよだ――」


 ツヅリにはツヅリの生き方があり、考えがあり、未来がある。


「――必要とされない者が出しゃばるようなもんじゃねぇよ」


 求めていない者に目の前をうろつかれても、うざったいだけだからな。

 邪魔者は、得てして過剰に自分の価値を押しつけてくる。

 うんざりだ。


「す、すみません、カナさん! あ、あの、わたし、何か変なところを触ってしまったようで、魔導コンロが!?」

「あぁ、それ、ティム用に改造したやつなの! 平気だから落ち着いてなの」


 薪ストーブの前から離れ、てとてととカナが厨房へ入っていく。

 出来るつもりで出来なくて、他人に迷惑をかける。

 あんな微笑ましい失敗なら笑って済ませられるが、取り返しのつかないミスを犯せば、その関係は終わってしまう。それだけじゃなく、今後、相手の未来に暗い影を落としてしまうこともある。


 担任たちの介入がなければ、俺はもう少し大人に頼る術を身に付けていたかもしれない。

 第三者の軽率な行動によって、その人物の生き様をねじ曲げてしまう。そんなこと、あっちゃいけないんだ。


「あなたは、自分に価値がないと、思っているのですか?」

「そこまで自虐的じゃないさ。ただ、俺は万能じゃない。そう自覚しているだけだ」


 なんでもかんでもうまく出来るなんて考えちゃいない。

 ザックハリー司祭のように、自分の行いがすべていい結果に結びつくなんて考えられないだけだ。


「大家さんは、あなたを必要とされているように見えますけれどね」


 そうなのかもしれないな。

 不安そうな時に、俺を見てくれている。

 心が弱った時に、俺のそばへ来てくれる。


 ただ、それ以上を求めては来ない。


「俺がお前を頼れば、お前は俺の過去を癒してくれるのか?」


 エスカラーチェは頼りになる。

 信頼していると言ってもいい。

 今さらこいつとの関係をゼロにするつもりもないし、もしそうなってしまったら、かなりの喪失感に苦しむ羽目になるだろう。


 でも、だからといって、こいつが「あなたを救ってあげましょう」なんて俺の過去に踏み込んできたら、俺は全力で拒絶する。


 信頼と、そいつは、まるで別の領域なのだ。


「憎らしい男ですね、あなたは……本当に」


 エスカラーチェはそう言って、俺の首根っこを掴んで薪ストーブ近くのテーブルへ連行する。……って、おい。連れて行き方!


 俺を座らせ、向かいの席へ腰を下ろすなり、エスカラーチェはこちらを向いて問いを投げてきた。


「先ほどのベーグル。少々強引だったと思われますか?」


 二人の司祭に悩みを解決してくれと迫った、先ほどの一件か。


「まぁ、強引というか……答えのない質問だったなって」

「あなたに、見せたかったのですよ、彼らの諍いの火種を」


 火種?

 火種なら、あの二人の間ではいくつもくすぶっているように思えるが……


「彼らが最初に衝突したのが、玉子焼きに何を入れるかだったのです」

「はぁっ!?」


 結婚当初、二人は教会とは別の家に住み、寝食を共にしていたらしい。

 そんな中、二人で料理をしている時にその事件は起こった。


「ザックハリー司祭が玉子焼きに砂糖を入れ、ハルス司祭が激怒して――二人の新居は廃墟になったそうです」

「……過激な夫婦喧嘩だな」


 玉子焼きが甘くて一軒家が倒壊したのか。


「若気の至りというヤツか?」

「それほど若くもありませんでしたよ。あの二人が結婚をしたのは、今から十年前ですから」

「意外と最近だな」


 千歳を超えていると言っていたから、もっと昔から結婚関係にあるのかと思っていた。


「彼らがこの『世界』へ来たのが、およそ三十年ほど前です。龍族の証言を得てきました」

「……なんか、とんでもないところまで入り込んでないか、お前?」


 龍族に話を聞きに行ったのか?

 そりゃ見つかって強制排除されるわ。


「彼らはそれぞれ、別の龍族のもとに身を寄せ、仕事に従事していたそうです」


 いきなり龍族のもとで仕事を得ていたのか。

『世界』に来てすぐ王族と知り合う一般人なんて、そうそういないだろうし……やっぱり、之人神なのだろうか。


「そして、今から二十年前に魔神の乱が起こり、彼ら両司祭が教会のまとめ役としてその辣腕を振るった。……見事に混乱は収まり、十年前二人は結婚――そして、現在に至るという状況です」

「現在ってのは……」

「えぇ、ギスギスした関係です。そうなったのも、結婚と時期を同じくしてということでした」


 壊滅寸前に追い込まれた街を十年で復興させた辣腕の持ち主が、結婚してからギスギスしっぱなしっていうのか。

 やっぱり結婚に原因があるようだ……


 そういえば。


「俺のいた世界では、神棚に仏像をおいてはいけないと言われていたな」

「神棚に仏像、ですか?」

「あぁ。それぞれが別の宗教で――」


 仏教と神道は異なり、まるで別の性質を持っている。

 神棚は神社でもらったお札などを祭り神様へ祈りを捧げるものだ。

 一方仏像は言わずと知れた仏教の信仰の対象で仏様を模した像だ。


 神と仏は相容れない存在で、同じ場所に安置すると災いが起こるとすら言われている。


 そんな説明をエスカラーチェにして、確認の意味も込めて尋ねてみる。


「あの二人は之人神なんじゃないかな? それで、同じ場所にいることで反発が起こってしまっているんじゃないかって」

「それはあり得ませんね」


 それは明確な否定の言葉だった。

 そこまではっきりと否定されるとは思っていなくて、ちょっと驚いた。


「……分かるのか?」


 エスカラーチェなら、相手が之人神かどうかを判別できるかもしれない。

 こう、武術の達人が「あいつ……強いな」って分かるような感じで。

 それとも、之人神っていうのは、一目見ればソレと分かるくらいに特異な存在なのだろうか?

 いや、それならザックハリー司祭が自身を之人神だと勘違いするのはおかしい。


 やっぱり、どう考えても――


「エスカラーチェが変わりもんなんだよな?」

「失敬ですね。知り合いに之人神がいるので、比較できるだけですよ」


 知り合いに之人神がいる。

 それは、とても物騒なことなんじゃないだろうか。


 けれど、それならばこいつの諜報能力や身体能力が人間離れしていることにも納得がいく。

 元神様の関係者なら、人間離れくらいしているものだろう。


「おそらく、彼らは人格化した概念であると推測されます」


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