愛しているからこそ -3-

「アサギン、熱いなの」


 この寒いのに上着も着ず遠ざかっていく背中を見つめていると、カナが隣へやって来て、同じように熱血男の後ろ姿を見送った。


「我ながら、らしくないことをしたと思ってるよ」

「ううん。らしいなの」


 トン……と、カナの尻尾が俺の尻を叩く。


「アサギンは、いつだって友達思いなの」


 それは、まぁ、たぶん買い被りだと思うけどな。


「恋はエゴ……ふふ。アサギン、結構過激なの」

「そうでも言わなきゃ、あいつは動けなかっただろ」

「でも、アサギンの言葉は嘘じゃないって、カナには思えたなの」


 くっと俺の服を引っ張り、背伸びをして、こそっと耳打ちしてくる。


「アサギンの本音が、そう訴えてるって、思えたなの」


 言うだけ言って、にこっと笑って、さっさとツヅリのもこもこの中へと帰っていく。

 カナを視線で追えば、自然とツヅリと目が合って――



 ……人のことが言えた義理じゃないな、って、思った。



「ツヅリ」

「は、……はい」


 ティムに言った言葉は、そのまま俺にも返ってくる言葉だった。

 自分の言葉に背を押されるってのも変な話だが……腹を決めるにはいいタイミングだったかもしれない。


 前を向けばツヅリがいる。

 目が合えば微笑みを交わし、声をかければ返事をくれる。

 そんな当たり前のことが……当たり前であるということが特別なものだと、俺は知っている。


 ツヅリがたまに見せる翳りも、不安も、儚さも、全部ひっくるめて俺が――



「覚悟は、出来たのかい? アサギ君」



 背後からかけられた――入り口から入ってきた声に、俺の心臓は軋みを上げる。

 見られてはいけない者に見つかった。

 そんな後ろめたさが、鼓動を速める。


「……ザックハリー司祭?」

「やぁ、ご機嫌よう。すごい雪だったからね、女の子を一人で帰すのは危険だと思って――お連れしたんだよ」


 なぜここに? と、こちらが質問する前に、その理由を説明するザックハリー司祭。

 彼が振り返った先には、ハルス司祭とエスカラーチェが立っていた。


「秘密裏に調査をしていたのですが、見つかってしまい……この有り様です」

「なに、責めるつもりはないのだ。そう緊張する必要はない」

「けれど、無断で教会の奥まで侵入したのはいただけないね……君の差し金かな、アサギ君?」


 エスカラーチェの隠密行動を暴いたのか……やっぱ只者じゃないな、この二人は。

 ……俺なんか、自室に侵入されても、背後から声をかけられるまで気が付かないってのに。


「そうですね。私がお願いしました。二人の調査を、別の視点から行ってほしかったんです。不快な思いをさせたのでしたら謝罪します。申し訳ありませんでした」

「いや、なに。気にする必要はない」

「うんうん。僕も怒ってないよ。ただ、潜入する場所が違えば身の危険もあり得た。女の子には、そんな危険を冒してほしくないな、僕は」


 ザックハリー司祭の言葉に、エスカラーチェは反応を示さなかった。

 照れるでも、恐縮するでもなく、見つかり捕まったことを謝罪するでもない。


「僕はね、世界中の人々に幸せになってもらいたいんだよ。特に、女の子にはね」

「性別で贔屓をするな、ザックハリー。幸せになる権利は男女問わず皆に平等にあるのだ」

「分かっているよ、ハルス。でも、僕は女の子の方が好きだから。女の子たちも、僕のことを好きだったし。ずっとずっと前からね」


 よくも配偶者の前でそんなセリフが口に出来るものだ。

 この人の頭の中はどうなっているんだ。


「だからね、アサギ君。君の言動には危惧しているんだよ」


 ザックハリー司祭の瞳がこちらを向く。

 最初に出会った頃のような、刺々しいまでの敵意を感じる。


 そう。

 最初からそうだったんだ。

 この人の――ザックハリー司祭の目は、初めから俺に敵意を向けていた。

 自分を認めない者への反発心。そんなものを、鋭い視線に紛れ込ませている。


 そして、ハルス司祭がいるからまた一段と棘が増している。


「危惧、ですか?」

「そう。君の言動には、覚悟が伴っていないからね」


 また覚悟か。


「覚悟とは?」

「ツヅリちゃんの悩みを受け止める覚悟だよ。君は、彼女から逃げているだろう?」


 微かに息が漏れる音がした。首だけを動かして視線を向けたら、ツヅリが俯いていた。

 先ほどと同じ場所に立って。

 一歩も動かないで。


「彼女は悩みを抱えている。僕ならきっと、それを解消してあげられる。けれど、君はそれを見ようとはしない。知っていながら、見て見ぬフリをする」


 こつり……と、ザックハリー司祭が俺に近付いてくる。


「悩みがなくなれば、人は幸せになれる。なぜそれをしない。心に弱みを持たせたままで、胸の内に悲しみを残したままでは、人は幸せにはなれない。ため息を吐きながら食べるケーキは味気ないだろう? 晴れやかな心で笑顔で食べる方が断然美味しい。そして、人とはそうあるべきなのだよ」


 こつり、こつりと目の前まで歩いてきて、俺の目を見下ろしてくる。


「君では、ツヅリちゃんは救えない」


 救えない――


「僕なら、彼女を救ってあげられる。最適解を導き出してあげられる」


 救う――って、なんだ?


「心に憂いなく、悩みなんか何もかもなくして、ずっと笑っていられる。そういうものが幸せというのだよ、アサギ君。君は、彼女の幸せを邪魔している」


 憂いなく、悩みなんか何もなくして、ずっと笑って……それが、幸せ?


「さぁ、ツヅリちゃん。僕と一緒に行こう。教会へ行って、君の悩みをすべて聞いてあげるよ。そして、君の不安をすべて取り払ってあげよう。僕になら、それが出来る」


 ザックハリー司祭がツヅリへ視線を移す。

 俺との会話はもう終わったと言わんばかりに。


「…………」


 ツヅリは何も言わない。

 一歩も動かない。


「さぁ、おいで」


 両手を広げてザックハリー司祭が聖人らしい笑みを浮かべる。

 迷える子羊に救いの手を差し伸べる聖者のように。


 だが。


「それじゃダメだ」


 広げられたザックハリー司祭の腕を掴み、下ろさせる。

 目の前で両手を広げられちゃ邪魔なんでな。


 ここがトカゲのしっぽ亭でよかった。

 教会で、司祭らの部屋で同じ事をやられていたら、圧倒されて反論も出てこなかったかもしれない。

 あの、甘ったるい空気の中では。


「どうして君は僕の邪魔を――」

「ザックハリー司祭。また、性格が変わっていますよ?」

「――っ!?」


 そう言ってやると、ザックハリー司祭は言葉を飲み込んだ。

 ここ数日、彼一人と会う時はここまで攻撃的ではなかったし、ここまで執拗にツヅリに固執することもなかった。

 今日が特別なんだ。


 その理由はもう確定している。


 ハルス司祭がいるから。

 彼らはやはり、二人揃うことでお互いの悪い部分が強調されてしまっている。


 ハルス司祭も、そのことには気が付いているようで、極力口を挟まないように努めている。

 けれど、その鋭い視線はザックハリー司祭を捉えて放さないけれど。


「自覚はありますよね? ザックハリー司祭」

「……まぁ。そう、だね」


 ザックハリー司祭のトーンが落ち着く。

 少しは冷静になってくれただろうか。


「ザックハリー司祭」


 今度はこちらが、彼の目を見上げて言葉を投げる。


「胸に秘めた思いを聞き出し、さらけ出させて、自分の見解を述べる――」


 何か悩みがあるなら聞くよ?

 そっか、そんなことがあったんだ。つらかったね。

 でもみんないろいろな悩みを抱えながらも頑張って生きているんだ。君も頑張ろうよ。つらいことがあれば、いつだって話を聞くからね。


 いや、こうか?


 君はもっとこうした方がいい。

 さぁ、僕の言う通りにしてごらん。

 自分を変えるんだ――


「――それが、救いになるとは限らない」


 小学校の教師が、俺の家庭環境に気付き介入してきた時に言ったのが、まさにそんな言葉だった。

 頼みもしないのに「お前のためだ」と傍迷惑な正義感を押しつけ、自身が思う『正しい姿』に矯正しようと介入してきた。

 勝手に俺を可哀想な子供だと決めつけ、同情し、何も出来ないガキだと思い込んで、抗うことを強要してきた。


 すべてを話せ。

 何も隠すな。

 さらけ出せ。

 みっともないことも、認めたくないことも、知られたくないことも、何もかもを俺の口でしゃべれと言った。


 自分は、お前の味方なのだからと。



 俺には、その担任こそが巨悪に見えた。



「たとえどんなに弱っていようが、人間には心がある。自我がある。理性がある。踏み込まれたくない領域があって、そこを守るために下手くそながらも懸命に抗うんだ。それを、権力や肩書きを振りかざして、平気な顔で蹂躙してくる人間を、俺は信用しない」


 教師、行政、警察。

 その中のごく一部が、偉そうに肩書きを振りかざして俺の領域に踏み込んできて、土足で踏み荒らして、結局何一つ解決できずにやがて姿を見せなくなる。


 あとに残るのは、追い詰められ、悪者に仕立て上げられた女と、その憎悪の対象となった俺だけだ。


「ザックハリー司祭」


 俺は穏やかな、とても満たされた笑顔を浮かべる。

 優しく、朗らかで、悩みなど一つもない、幸せそうな笑みを。

『僕は幸せです。もう何も問題はありません』――この笑顔でそう言えば、大人たちは「あぁよかった」と俺から興味を逸らしていった。自分たちは正しいことをやり遂げたのだと、満足げな顔で。達成感と充実感を味わいながら。


「自分の領域を守るためなら、人は自分を殺せるんですよ」


 浮かべたくもない笑顔を浮かべ、親とも認めたくない女を「大好きです」と口に出来る。

 そして、そんな言動に心が引き裂かれないように、『何も感じない』という術を身に付ける。


 俺を殺したのは俺だが、そうさせたのは無遠慮に踏み込んできた大人たちだ。


「あなたのやり方は、いつか人の心を殺してしまいかねない」


 あなたのやり方で救われる者も大勢いるのだろう。

 だが、だからといってすべての者がそれで救われるだなんてのは思い上がりだ。


「あんたにツヅリは渡さない」

「君にそれを決める権利があるのかい?」

「ないなら、今からもらってくるよ」


 振り返り、不安げにこちらを見つめるツヅリに向き合う。

 可哀想に。

 勝手に渦中に引きずり込まれて、不安だったよな。


「ツヅリ」

「……はい」

「たまには、シンプルに焼き芋とかどうだ?」

「え……?」


 突然の話題にツヅリはきょとんとした顔をするが、ヘアテールはぴくっと反応し、嬉しそうにゆらゆらと揺れていた。


「約束するよ。お前がもういいって言うまで、俺はお前のそばにいる」

「…………」


 小さく口を開き、結ぶ。

 何を言いかけ、どんな言葉を飲み込んだのかは分からない。

 分からなくていい。


 今、目の前にツヅリがいる。

 それだけ分かれば、もう十分だ。


「たった二人しかいない相談所だからな。一人欠けると大変だろ?」


 眉を下げてそう言えば、ツヅリが「くすり」と小さく笑う。


「そうですね。死活問題です」


 そうして、ヘアテールをふっくらと膨らませて――


「焼き芋も、きっと二人で食べる方が美味しいですよね」


 そう言って、笑った。


 ツヅリを渡さない。

 その権利は、この笑顔だけで十分証明できるだろう。


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