愛しているからこそ -2-

 トカゲのしっぽ亭は、相変わらず閑散としていた。


「よく潰れないな、この店」

「今の今までお客さんでごった返してたなの。アサギンが来るとお客さん逃げてっちゃうなの、きっと」


 なんで俺のせいなんだよ。


 店内に客はおらず、今まさに休憩しようとしていたカナが、湯気の立つホットカフェオレを両手で包み込むように持ってテーブル席に腰掛けていた。


「寒そうだな」

「寒いなの……カナ、雪が本当に苦手で、この前も風邪引いて大変だったなの……」


 カナは、雪が降るくらいの気温になると体調を崩してしまうらしい。

 温かい格好をしておけよ。

 昔と違って、今は人気店になったんだ。折角食いに来たのに店が閉まってたなんて、がっかりする客を出したくなければな。


「あ~、ツヅリさん。すっごくもこもこであったかそう!」

「では、ぎゅっとしてカナさんを温めてあげますね」

「わ~い!」


 トットットッと、カナの座る席へ近付き、背中からカナを包み込むように抱きしめるツヅリ。

 二人の顔が並んでほわっと緩む。


「あったかぁ~いなの」

「はい。温かいです」


 幸せそうな顔だこと。


「そういえばティムはどうした?」

「厨房なの。……なんか、すっごく落ち込んでるなの」

「落ち込んでる? またメニューがどうとかって話か?」

「そうじゃなくて……」


 ツヅリのもこもこに埋まったまま、カナが俺を手招きする。

 三人で顔を寄せ合って、カナの内緒話を聞く。


「この間お見合いしてきたなの」

「それで落ち込んでらっしゃるということは……」


 ダメだったのか……


「けど、諦められないみたいなの」


 それで落ち込んでいると。

 とはいえ、結婚相談所のお見合いは、破談になった相手とは基本的にもう二度と会うことは出来ない。

 そうしなければ、ストーカー化してしまう危険があるからだ。

 それに、結婚相談所に登録している人間には、無駄な時間はない。悠長に「もう一回チャンスを」なんてことはやっていられないのだ。

 特に年齢は最初の足切りに使われやすい。

 二十九歳十一ヶ月と三十歳では大きな差が生まれてしまうのだ。

 会えばたったの一ヶ月などたいしたことはないと分かるのだが、その『会う』ための条件でふるいにかけられることがままあるのだから、先方にしてみれば、いくらティムが諦めきれないと粘ったところで相手にはしてくれないだろう。


 元相談員としては、システム的にそう理解できるのだが……


「……ちょっと様子を見てくるよ」


 一人の知人としては、世話を焼きたくなってしまうんだよなぁ。


 厨房に入ると、ティムが木の椅子に座ってガックリと項垂れていた。


「調理台に突っ伏してないのは偉いな」

「へ……あ、アサギさん」


 俯いていた顔を上げ、力ない笑みを浮かべる。口、引き攣ってんぞ。


「調理台に突っ伏すのは、飲食店従業員として失格っしょ」

「その死にそうな顔も、接客業従業員としてはどうなんだって感じだけどな」

「……いいんよ、俺、裏方だから」

「アホ」


 ガックリと俯いている頭に拳骨をコツリと落とす。


「お前が落ち込んでると、カナが気にするだろうが。あいつの笑顔が、この店一番の人気商品なんだぞ」

「笑顔が商品って……いや、まぁ、そっかもね。……うん、きっとそうだわ」


 頭をがしがしと搔いて、「やっぱアサギさん、言うことが違ぇなぁ」と、チャラい口調で言って、口角をにっと持ち上げた。


「だってさ、店長。よかったね」

「へぅ!?」


 奇妙な声に振り返れば、厨房の入り口にツヅリと、ツヅリのもこもこに埋まるように包まれたカナがいた。

 カナの顔が真っ赤だ。


「きゅ、急に話振らないでなの! ア、アサギンの言葉、噛みしめてたところなのに!」

「店長、大変っす! 顔真っ赤っすよ!?」

「うるさいなの! 減給しちゃおうカナ!?」


 ツヅリのもこもこから飛び出して、ティムの頭をぽかぽか叩くカナ。

 いつもこうしてじゃれ合ってるわけか、こいつらは。


「アサギンは、嬉しいこと言ってくれるけど、イジワルもいっぱいするからそれでチャラなの!」


 ほう、帳消しか。

 なら、褒めた後にたくさん苛めるとしよう。


「ツヅリさんも、何かイジワルされてないカナ? 平気なの?」

「えっと、わたしは……フードにおイモを入れられたりはしましたね」

「もーぅ、アサギン! イジワルはダメなの! 嫌われちゃっても知らないなの!」

「そんな! そんなことで嫌ったりなんて……」


 ちらりとツヅリの視線がこちらを向いて、目が合うと同時に逃げていく。

 ……まぁ、俺も視線は外すけど。


「それよりも」


 話題の転換だ。

 こういう時は空気を変えるに限る。


「ティム。お見合いはどうだったんだ?」

「うん……楽しかった。すげぇ、楽しかったんだ」


 沈んでいたティムの顔に、笑みが浮かぶ。

 初めての恋に浮かれる少年のような、きらきらした目をしていた。


「けど、相手の人にはさ、大切な人がいるんだよ」


 無理やり作った笑みが、泣き顔のように歪んで見える。


「一生大切にするんだって、その人にもらった宝物を大事そうに抱えててさ――そん時の彼女の顔が、すっげぇ幸せそうで――あ、これは勝てないや……って」


 笑みを作っていたはずの口元は、いつしか小刻みに震え出しカチカチと歯を鳴らしていた。


「めっちゃ可愛かったんだよなぁ……おまけに優しくて、清楚で、でもちょっとお茶目で、俺なんかのことをさ、すげぇ褒めてくれんの。俺なんかただのバイトでさ、まだ大きな仕事も任せてもらえないような半端者でさ、給料も安くて、貧乏で、先のことも見えてなくて、安定なんて程遠い、ダメダメな男なのにさ……『お仕事の話をしている時楽しそうですね』って、『あなたなら、きっと思い描いた未来にたどり着けますよ』って言ってくれてさ……」


 ティムの声が涙に揺れる。

 こいつ……マジなんだ。

 たった一度、ほんの数時間会って話をするだけで、自分の価値観をひっくり返されることがある。


 たぶん、人はそういう出会いのことを『運命』って呼んでるんだと思う。


「俺、カッコつけんのやめようと思って、洗いざらい話したんだよ。過去のナンパのこととか、騎士団に狙われてたこととか、新聞に載ったお騒がせ野郎だってこと。全部さらけ出してそれで嫌われることこそが、俺にはお似合いの結末だと思えたから! だって、過去を隠して気に入られたりしたら、彼女に失礼だと思えたから! だから、何もかも話したんだよ。そしたらさ……『分かります』って。……『独りぼっちは、寂しいですよね』って…………」


 ズビィイイ! ――と、デカい音をさせて洟を啜るティム。


「初めてだった……俺のこと、あんなに分かってくれた人……」


 きっと、こいつの中でもう結論は出ているのだろう。

 ただ、その一歩を踏み出す勇気がない。

 踏み出したことで、自分ではなく相手を傷付けてしまうかもしれない。それを恐れているのだ。


 けどな。

 長年いろんなカップルやカップル以前の男女を見てきた相談員として言わせてもらえば――


「ティム。立て」


 ――今は、踏み出すべき時だろうが。


「これまで、九百九十九組のカップルを成婚させてきた『縁結びの達人』が断言してやる」


 自分の決断を信じきれずに一歩を踏み出せないのなら――俺のことを信じればいい。


「今すぐ行ってぶつかってこい」

「今すぐ!?」

「時間をあければ、お前はあれこれ作戦を練るだろうが」

「あ、当たり前じゃね!?」

「ありのままのお前でぶつかった方が、お前の良さが相手に伝わる。お前は『いいバカ』だからな」

「いいバカって……!?」


 座るティムを強引に立たせて、背中を押して厨房から追い出す。


「ちょ、ちょっと待ってって! 向こうが乗り気じゃないんだって!」

「けど、お前が向こうの分まで乗り気なんだろ? なら、友達からでもいいから付き合ってくださいって伝えてこい」

「けどさ! 彼女には心の中に大切な人が……」

「それも含めて、今の彼女だ!」


 ドンと突き飛ばし、胸に指を突き立てて心にしっかり届くようにハッキリきっぱりデカい声で言ってやる。


「お前が一目で惚れて、運命を感じて、諦めるとか言いながらいつまでもぐじぐじ引きずるくらいに恋したのは、心の中に大切な人を抱えた彼女なんだろ? だったら、その大切な思い出ごとまとめて全部お前が受け止めるくらいの度量を見せろ! 長所も短所も全部ひっくるめて人間だ! いいとこ取りなんか出来ると思うな。相手はどんな人だった? カッコつけたお前を褒め立てた女か? 違うよな? カッコ悪いお前を肯定してくれた女性だよな? だったら、彼女を傷付けたくないとかカッコつけたこと言ってないで、『自分がどうしようにもなく惚れてしまったからどうか一緒にいてください』とカッコ悪く拝み倒してこい」

「いやいやいや! それ、完全に迷惑! 昔の俺のナンパより性質タチ悪いって!」

「バカヤロウ」


 ぐだぐだ言うヘタレオオカミの胸倉を掴んで頭突きをする勢いで顔を近付け、ビビって萎縮している脳みそに叩き込んでやる。



「恋は、エゴだ」



 どんなに御託を並べようが、誰かを好きになるってのは自分のためだ。

 彼女を守ってあげたいって感情も、その本質は『彼女を自分が守っていたい』ってエゴなんだ。


「恋や愛を相手のためだと言えるのは、神と詐欺師だけだ。俺らみたいな一般人には、そこまでの奉仕精神なんかありゃしない。『自分が、その人の特別になりたい』だけなんだ。……元がカッコ悪い感情なんだ、言葉や見てくれだけ取り繕ったってカッコよくなんかなりっこねぇよ」


 ガラにもなく熱く語ってしまったが、この恋に恋する純愛オオカミには、そんな独善的な思考で思いきることは難しいだろう。

 だから、最後に一つだけ逃げ道を用意してやる。


「もし、自分本位な思いを相手に押しつけるのが心苦しいなら……残った人生のすべてを懸けて、自分と同じか、それ以上に、相手のことを幸せにする努力を、今この瞬間から始めりゃいいんじゃないのか?」


 そんな、泣くくらいに好きな女性なら、しょうもない偽善で手放すんじゃねぇよ。

 最低でも、当たって砕けてこい。


「ここまで発破かけた責任は取ってやるよ」

「責任?」

「玉砕したら、三日でも四日でも、自棄酒に付き合ってやる」

「ちょっ……玉砕前提かよ!?」


 ティムは冗談交じりに大声を出して、とめどなく流れ落ちていた涙を袖で乱暴に拭って、だらだら垂れていた洟を全力で啜り上げ、にかっと歯を見せて笑った。


「けど、ありがとな、アサギさん! 店長、ごめん。俺、今日早退する!」

「うん。思いきって行っちゃえなの!」

「ありがと! じゃあ、行ってきます!」


 激しさを増す雪の中へ飛び出し、ティムは脇目も振らずに駆けていった。

 まぁ、精々後悔のないようにな。


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