温もりを知ってしまったから -2-
三階へ続く階段を上ろうとしたところで事務所のドアが開き、アサギさんが顔を出しました。
なんでしょうか?
お好きな上着の要望でもあれば、わたしとしては助かるのですが。
「あ~……えっと、だな」
事務所から完全に出ることはなく、顔だけを出した状態でアサギさんが頬をかきます。
なんでしょうか?
なんだか言いにくそうですが……もしかして、本当はもこもこがお好きなのに、ちょっと子供っぽいかなって思ってそんなに好きじゃない素振りをしてみたものの、やっぱりもこもこしたものが好きだから正直に告白しに来た……とかでしょうか?
だとすれば、ちょっと言いにくそうなあの表情にも頷けます。
「……本当は、もこもこがお好きなんですか?」
「随分推すな、もこもこ……」
違ったようです。
「あのさ、もしよかったらなんだが……、薪ストーブを設置したら、一緒に飯を食わないか?」
「ディナーを、ですか?」
「ディナーってほど洒落たものではないが、夕飯を、な」
どうしましょう!
ディナーに誘われてしまいました!
もこもこを着ている場合ではありません! ドレスを新調しなければ!
ですが、ディナーとなればこのすぐあとです。ドレスを作るには時間が足りな過ぎます。
あ、でも……「薪ストーブを設置したら」とおっしゃっていたので、一週間ほど設置を遅らせれば間に合うような気も……ダメです! それではアサギさんが風邪を引いてしまいます!
あぁ、悩ましい!
手持ちのドレスで挑みましょうか……ですが、初めてのアサギさんからのディナーのお誘いですのに、そんなおざなりな……
「イヤなら、別に構わないんだが……」
「イヤではないです! ただ、ドレスを新調する時間が……」
「しなくていいから! 普段着でOK!」
「えぇっ!? ディナーですのに!?」
「朝飯と同じノリで! 仕事仲間として! 気軽な夕飯!」
そんなディナーが、あり得るのでしょうか。
男性からのお誘いで、ディナーですのに?
「だから……、特別な誘いの時は、もっとちゃんと誘うから、それ以外は、こう、もっと気楽に受けてくれると、助かる」
特別なお誘い……して、くださるんですね?
では、ドレスはその時に。
「あの、アサギさん……」
「なんだ?」
「わたし、特別ではないディナーというのが初めてなもので……不作法があったら、指摘してくださいね」
「とりあえず、肩肘張らずに、朝飯と同じ気持ちで来てくれればいいよ」
朝ごはんと同じ気持ちで……
朝は、アサギさんの手料理が楽しみで、アサギさんに「おはよう」と言っていただけるのが楽しみで、アサギさんに「おはようございます」と言うのも楽しみで……アサギさんに会うのが楽しみで……そんな気持ちで臨めばいいのですね。
「で、でも、やっぱり初めてですので、少しだけ、オシャレしてきます!」
「いや、そのままでいいんだが……はぁ、分かった。好きにしろ」
「はい」
呆れ顔で、でも微かに笑って、アサギさんは軽く息を吐きました。
ほっとしたような、優しい吐息でした。
「困りました……どんな服を着ればいいのか……悩みます」
「もっと力抜いてくれよ……」
「ですが、薪ストーブも運べるオシャレ着となると、数が絞られてしまいまして……」
「まずストーブを踊り場に出して、三階のドアをしっかり閉めて、それから着替えればいい。お前が着替えている間に俺が薪ストーブを二階に降ろしておくから」
「なるほど。それは合理的ですね」
二人で協力すると、無駄な時間がほとんどなくなってしまいます。
すごいです。
「二人で協力すれば、どんなことだって出来てしまいそうですね」
「……大袈裟だよ」
照れくさそうに唇を歪めて、アサギさんが頬をかきます。
頬を触るのはクセなのでしょうか? お揃いですね。
「では、薪ストーブを踊り場に出したら声をかけますので」
「おう。ゆっくりでいいぞ。その間にスープを温めておくから」
「お味噌汁ですか?」
「いや、サツマイモのクリームスープだ」
「お芋の!?」
なんということでしょう。
その名前だけで、もうすでに美味しそうです。いや、もう美味しいです!
そんな素敵なスープがいただけるなんて……
「ド、ドレスを新調しなければ……!」
「スープにも気を遣うのか、お前は!?」
で、ですが、お芋のスープだなんて、どんな高級レストランでもお目にかかったことがありません。
すなわち、最上級のディナーということになるではありませんか!
「最大級の敬意をもって挑まなければ……」
「んじゃあ、俺がリクエストしていいか?」
へ?
アサギさんが……わたしの服を、リクエスト?
してほしいです!
アサギさんがどんな服を好まれるのか、わたし、気になります!
「はい! どんなものでもご用意いたします!」
「だから、そんなに意気込まなくていいから……」
前のめりなわたしから少しだけ距離を取って、アサギさんはぽそりと、リクエストをしてくださいました。
「じゃあ、もこもこした服で、頼む」
「……もこもこ?」
「…………ちょっと、見てみたくなってな」
素っ気ない風を装ってそっぽを向くアサギさんを見て、……あぁ、ダメです……にやにやが止まらなくなってしまいました。
アサギさん、可愛いです!
やっぱり、もこもこもお好きなんですね!
それでも、子供っぽいのが恥ずかしいから…………もう! アサギさん、ズルいです! 可愛過ぎます!
「はい。とびっきりもこもこした服を着てきますね」
「適度にしてくれ。お前が『とびっきり』とか言うと、怖くて敵わん」
むぅ、酷いです。
わたしだって、限度くらい弁えています。
こうなったら、とびっきり可愛いもこもこの服を選んで、アサギさんの視線を独占してみせます!
思わず目が吸い寄せられるくらいに可愛いもこもこを着てきますからね!
覚悟してくださいね!
「では、行ってまいります!」
「……戦場へ赴くみたいな面構えだな、お前……」
なぜでしょう。
とても温かい。
空気が冷たくなっても、アサギさんと一緒にいれば温かさを感じます。
未来に約束があれば、心がぽかぽかします。
笑い合えば、とても満たされます。
不思議です。アサギさん。
寒がりなアサギさんが事務所へ入り、わたしは三階へ向かいます。
階段の踊り場と、三階の廊下を分断する扉を開けると、凍てつくような冷たい空気が漏れ出してきました。
人がいない空間に、温もりは生まれません。
廊下に入り、ドアを閉めると――
「……寒い、です」
――凍えてしまうかと、思いました。
「……くしゅん!」
寒くて、くしゃみが出ました。
そして、背筋が静かにゆっくりと冷えていきました。
もし……
もし、アサギさんがいなくなれば……
「……また、独りぼっち、ですか?」
わたし以外の誰も足を踏み入れないこの空間が、まるで死後の世界のように恐ろしく感じ、今度は悪寒が背中を駆け抜けていきました。
……イヤです。
…………怖いです。
わたしは、急ぎ足で薪ストーブとオシャレ着の準備を始めました。
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