思い合うゆえにすれ違う -6-
「俺は『キスマーク』という言葉から『内もも』を想像した」
キスマークとは、皮膚の柔らかい箇所に付くものだ。
だから、勝手に内ももを想像してしまっていた。
だが、それが間違いだった。
「おそらく、デニスさんも勘違いをしているはずだ。腕についた縄の痕を見た直後で、足に赤い痕がついていたのでキスマークだと思い込み、そして『キスマーク=太もも』という思い込みが働いたんじゃないかな? そんなにじっくり観察したわけじゃないんでしょう?」
「そ、それは、まぁ……妻と言えど、女性の肌を、ぶしつけに凝視するのは、憚られ……」
「デニスさん……チラチラ見てた……ぽね?」
「う、うぐ…………す、すまない、つい」
「も~ぅ! デニスさん、むっつりぽねぇ~!」
「いやいやいや、むっつりとか、そんな、いやいやいや!」
「イチャイチャすんな!」
おっと、すまない。
ちょっと度が過ぎてきたので、つい。
「こほん……。話を戻しますが、ネリーさんの太ももには赤い痕なんかついていないと思いますよ」
「いや、しかし、チラッとだったけれど、確かに赤い痕が太ももの辺りに……」
人の感覚はいい加減だ。
思い込みによって「太もも」という言葉が頭に浮かんでしまえば、その付近一帯を「太もも」として認識してしまう。
ちょうどツヅリが『太もも』と聞いて膝の上を指していた。
そこよりももう少し下がったとしても、頭に血の上った、もしくは頭が真っ白になったデニスさんが『太もも』だったと思い込んでも仕方ないだろう。
「たぶん、痕があったのはこの付近じゃないですか?」
俺は自分の足の、膝の少し下を指さして言う。
「あ、そこになら赤い痕があるぽね」
「え、そうなのかい、ネリー?」
「うん! ……あ、あとで、こっそり見せてあげるぽね」
「い、いやいやいやいや…………いいのかい?」
「帰ってやれ!」
怒気を含ませて注意すると二人は居住まいを正す。
……ったく。
「ここには、『三里』というツボがあって、ここに
「まさにだぽね! ウチ、ほぼ毎日足が棒みたいになって、仲間の侍女子たちに灸を据えてもらっていたんだぽね」
「それで、赤く……」
「いろいろパニックになって、正確な認識が出来なかったんですよ、きっと」
「ま、まぁ……縄の痕とか、見た後、だった、から……ね」
「やだもう、デニスさんエッチぽね! 何を想像してたぽねぇ~!?」
「いやっ、いやいやいやいや!」
「なぁ、この突撃槍使っていいか?」
「アサギさん、落ち着いてください。仲が良いのはいいことですから」
こちらに害がなければな。
「で、では、あ、あのっ、パッ、パン…………おぱんつ、の件は?」
「ふんどしですよ」
「ふん、どし?」
「侍の身に着ける肌着で、まぁ、正装みたいなものだと認識してください」
正確には正装ではないけれど、武士の中に入ったのなら、肌着も合わせるべきという風潮だったのかもしれない。
紐だ、お尻丸出しだと言われてTバックを想像してしまったが、これだけ情報が出揃えばそれがふんどしであることは容易に想像が出来る。
侍がふんどしを締めていても、なんらおかしいことはないし、それは一切卑猥なことではない。
「そんなものが、あるんですねぇ……」
「きょ、興味があるなら、今度……み、見せてあげるぽねっ!」
「い~やいやいやいやっ!」
「くっ……そ、重いなぁ、この槍!」
「アサギさん!? どうして槍を持ち上げようとしているんですか!?」
ツヅリに止められて断念したが、もう少し体を鍛えてもいいかもしれないと思った。
いざという時に行動に起こせないようでは困る。
「じゃあ、そういうことで、もうなんの問題もないですね? ネリーさんはもう無理して働く必要はないですし、デニスさんの危惧していたことは勘違いでそんな事実はありません。思いやりに関しては、これから二人でじっくり話し合って解決してください」
「ま、待ってぽね!」
話をまとめようとしたら、ネリーさんが声を上げた。
必死な形相で。
「あ、あの、いろいろ気を遣ってくれてありがとうぽね。たぶん、みなさんがしてくれたようなことが、思いやり? っていうんだと、な~んとなくは、分かるようになったぽね。戦場でいろんな侍女子と一緒にいて、やってほしいこととか、やってほしくないこと、言われなくても感じて行動しなきゃって……」
「そうそう。そんな感じで、少しずつ分かっていけばいいと思いますよ。いくつになっても、学ぶことに『遅過ぎる』なんてことはないですから」
「それは、うん、頑張ってみるぽね」
前向きな表情で、ネリーさんは頷く。
しかし、その顔にはまだ少しの不安がにじんでいて……
「でも、もしまた、何か間違って、不安になったり、悲しくなったら、相談しに来てもいいぽね?」
「それは、まぁ……構いませんが」
ちらりとツヅリを見れば、にこりと笑顔をもらった。
それはどういう意味の微笑みだ?
好きにしろってことでいいのか?
「けど、たぶんもう必要ないと思いますよ」
「でも、もし嫌われたりしたら……ウチ…………」
「では、今後はこう考えるようにしてください。デニスさんが何かをしてほしいと要求した時は、『それが出来なきゃ嫌われる』と思うのではなく、『それが出来ればもっと好きになってもらえる』と思ってください。それで、間違いないですよね、デニスさん」
「あぁ。彼の言う通りだよ、ネリー。僕は、どうやら君にぞっこんのようだからね。君を嫌いになんて、この先一生なれそうもないよ」
「デニスさんっ! しゅきぃいい!」
ネリーさんがデニスさんに抱きつき、もじゃもじゃの頭に両手を突っ込んで無造作にもじゃもじゃもじゃもじゃっとかき回した。
……どういう感情表現なんだ、あれ?
「楽しそうですね」
「えっ、もじゃもじゃがか?」
「いえ。お二人の表情がです」
ツヅリは微笑ましそうに見ているが……正直、俺はもうお腹いっぱいだ。
「んじゃ、そういうことで――」
「あぁ、もう一点だけ!」
話をまとめてさっさと引き上げようとしたのだが、最後の最後にデニスさんから待ったがかかる。
「あの寝言はどういうことだったのでしょうか? お世話になった方の名前で、深い意味はなかったと、そういう意味なのでしょうか?」
確かにネリーさんは、仕事の斡旋でトーマスさんの世話になっただろうが、愛称で呼ぶほど親しいようには見えなかった。
まして、夢に出てくるような間柄ではない。
だとすれば、残されている可能性はただ一つだ。
「それは、たぶん」
「……たぶん?」
「『トム』ではなく――『殿』、だったんじゃないでしょうか?」
「……との?」
「あぁ、確かに、ウチの殿は短気で、すぐ戦場に出ようとされていたから、ウチらは必死に抑えていたんだぽね。『落ち着いてください、殿ー!』って」
「との……とむ…………との………………なぁ~んだぁ……」
がっくりと脱力し、肩を落としたデニスさん。
そして、「ふふふ……」と湧き上がってくる笑いを堪えきれずに、お腹を押さえて笑い出した。
「あははは……なんだ、そうだったのか……みんな、みんな僕の勘違いだったんだね…………あはは、いや、申し訳ない。あなた方には、本当にご迷惑をおかけしました」
眼鏡を上げて目尻を拭い、そして眼鏡を取って、予想外につぶらな瞳でこちらを見つめる。
「おかげで、胸の中のモヤモヤがすべてなくなりました。本当に、ありがとう」
深々と頭を下げ、もう一度安堵の笑みを漏らす。
微かに浮かぶ目尻の涙を隠すように眼鏡をかけ直し、心からほっとしたような声で少々自虐っぽくこんな言葉を呟いた。
「よかった……ネリーが尻軽女なんかじゃなくて」
だから俺は、この一連でもっともくだらない言葉を送っておく。
「ネリーさんは尻軽女じゃありません。ただの、足軽女です」
「ふはっ! あははははは!」
笑ってもらえてほっとした。
その後、二人仲良く帰っていくデニス夫妻の背中を見送りながら、ツヅリがこんなことを言った。
「やっぱり、あのお二人はお似合いですね」
「ん?」
「だって、ほら。顔の高さが同じです」
のっぽなデニスさんと小柄なネリーさん。
それでも、デニスさんの極端なまでの猫背のせいで、顏の高さがぴたりと同じだった。
「ネリーさんと、一番近くで会話するために、あんな姿勢になったのかもな」
「そうなのだとしたら、あれもまた、一つの愛の形なんですね。――目に見える、確かな愛の形」
愛なんて甘ったるい言葉は少々苦手ではあるのだが……散々目の前で甘ったるいものを見せられたせいだろう。
「あぁ。愛がなきゃ、あそこまで他人を思いやれねぇよ」
そんなことを、口走っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます