思い合うゆえにすれ違う -5-

 俺の問いかけに、ネリーさんは苦しそうな表情でこくりと頷いた。

 一方のデニスさんは訳が分からずポカーンとしている。

 足元に転がる重量級の槍を見下ろして、小首を傾げる。


「槍と、僕たちの離婚が、どう関係してくるのか……さっぱり分からないのだけれど?」

「デニスさん、重い槍を持てる女が好きだと言ったぽね! だからウチ、夜勤も日勤も頑張って、急いで出世したんだぽね! 重装歩兵になれるように!」

「じゅ……重装歩兵……?」


 最初の勘違いは、ここから始まっていた。


「デニスさんは、ネリーさんと出会ってから、ネリーさんの奔放さに惹かれ、そのすべてを受け入れてきた。そうですよね?」

「え、えぇ、まぁ……惚れた弱み、といいますか?」


 その言葉を聞いて、ネリーさんが嬉しそうに頬を緩める。

 口元がゆるゆるに緩んで、なんだか今にも「ぽねー!」と叫びそうな雰囲気だ。


「ぽねぇぇぇぇえ! 嬉し恥ずかしいぽねぇ!」


 ……叫んだよ。

 まぁ、これだけ分かりやすい好意を向けられれば、嬉しくなる人種もいるのだろうな。

 俺にはよく分からないけれど。


「けれど、あなたはたったの一度だけ、ネリーさんを拒絶した。……いや、あなたや他の者にとってはそんな重くは感じないのでしょうが、幼い頃からあなたの優しさを溺れるくらいに甘受していたネリーさんには拒絶に感じたといったところなのでしょうが……、とにかく、一度だけ『ありのままのネリーさん』を否定しましたよね?」

「否定……いや、そんなことは…………あ、もしかして!?」


 俺の言葉が正しいのだということは、泣き出しそうな顔で俯いてしまったネリーさんが証明してくれている。

 デニスさんはネリーさんに愛情を注ぎ込み過ぎた。

 ネリーさんは大切にされ過ぎて、傷付く痛さを知る機会を逃してしまっていたのだ。

 もっとも心地よい場所が、ずっとそこにあったから。


「もっと、思いやりを持ってほしい……って、言った時のことかい?」


 その居心地のいい場所を失うかもしれない。

 それは、ネリーさんが初めて味わった恐怖だったのだろう。

 なんとしてもデニスさんの意に沿おうと、どんなことをしてでもデニスさんに嫌われないようにしようとして――明後日の方向へ全力疾走してしまったのだ。


「豆狸族は、種族的に奔放で、大人も子供も自分本位に生きている人種だと教えてくれましたよね?」

「えぇ。自由を尊重する大らかな人種だと、そのように話したと記憶しています」


 ……相変わらず、少しでも悪いイメージの発言は訂正するんだな。

 そういう行き過ぎた気遣いが今回のような事態を引き寄せたかもしれないってのに。


「そんな種族に生まれたネリーさんは、果たして『思いやり』なんて言葉を親兄弟から教わったでしょうか?」

「え……? いや、でも、『思いやり』くらいは……え? 知らない、の、かい?」


 デニスさんに問われ、ネリーさんは首を振る。

 知っていると、意思表示をして、床に転がる『重い槍』を指さす。


「デニスさんの好みの女性になれるように、重い槍を持って仕事をしていました……」

「重い槍…………はは……あはは…………なんて、勘違いだ」


 力が抜けたのか、デニスさんは床に膝を突いて、丸まった猫背をさらに丸めて蹲る。

 脱力していると、はっきり分かる体勢だ。


「『思いやりを持ってほしい』と言ったのを拒絶だと感じ、それで『重い槍を持って』仕事を…………え? じゃ、じゃあ、ネリーの職場って?」


 焦った表情で顔を上げるデニスさん。

 ここは、すべてを教えてあげるべきだろう。

 なんでも知っている自分と、なんにも知らないネリーさんの間では、「そこまでしなくてもいいだろう」というくらいにしっかりとコミュニケーションを取らなければ、とんでもない行き違いが生じてしまうと実感してもらうために。


「ネリーさんは、戦場の最前線で重装歩兵をされていたんですよ」

「戦、場……っ!?」


 デニスさんの顔が真っ青になる。

 それはそうだろう。

 最愛の妻が戦場の、それももっとも危険な最前線で歩兵をやっていたのだ。

 いつ死んでもおかしくはなかった。生きているうちに戦争が終結したのは奇跡と呼んでも言い過ぎではない。


「け、怪我は!? どこかを痛めたりはしなかったのかい!?」

「平気ぽね。……デニスさんに嫌われることに比べたら……どんな重傷もかすり傷だぽね。それより……デニスさんに愛想を尽かされる方が……デニスさんがいなくなる方が、つらい……胸が、痛いぽね……っ!」

「あぁ……なんて……僕は、なんて思慮の足りないことを…………」


 膝立ちになり、小柄なネリーさんを抱きしめるデニスさん。

 不思議なもので、大柄で猫背なデニスさんがネリーさんを抱きしめると、まるで最初からそういう形として誕生したかのように、二人の体はぴたりと一つに重なった。

 互いに相手を求めている証拠だな、あれは。


「えっと、あの……では、いろいろと、誤解があったようなのですが、その、僕が感じた疑惑の数々は……?」


 デニスさんが離婚寸前まで追い込まれた数々の疑惑。

 そんなものは夫婦でじっくりと話し合えばすべて「なんだ、そんなことか!?」と笑い話になる程度のことなのだが……この二人じゃ解決にたどり着く前にまた拗らせそうなので、簡潔に教えておくとするか。


「まず、昼間のシャワーですが、あれは、敵陣地から味方の陣地まで全力疾走したため汗だくになってしまったんです。ネリーさんは一切嘘を吐いていません」

「敵陣地からって……一体、どれくらいなんだい?」

「猫族の城から犬族の城まででしょうね」

「そ、それって……50kmほどありますよ?」

「じゃあ、それを走破したんでしょう。命がけで、止まることも許されず。真冬でも汗だくになりますよ」

「確かに……」


 この考察が間違っていないことは、「えへへ」と、ちょっと自慢気にはにかんでいるネリーさんの表情が証拠だ。

「すごいね」と褒めてやれば、きっともっと嬉しそうな顔をするに違いない。

 だが、デニスさんは驚き過ぎて言葉が出てこないようだ。ネリーさんは少しつまらなそうに唇を尖らせる。


「では、あの……ラブレターは……?」

「密書らしいです。家族であれど他者に見られたら牢屋へ三十年投獄されるのだとか」

「それで、必死になって隠して……」

「ウチ、デニスさんに毎日会えないと……死んでしまうぽね……」

「あぁ……ネリー……っ!」


 愛おしさがあふれ出したのか、デニスさんが再びネリーさんを抱き寄せる。

 ……もう、十分なんじゃないか?

 あとは二人でなんとか乗り越えられるだろう。


「それでは、あの縄の痕は!?」


 あぁ、そうだった。

 デニスさんたちイチリア族は恐ろしいまでの効率主義。聞いて分かることをイチイチ自分で調べるようなことはしない。省ける手間は省きたい人種だったな。

 しょうがない。


「鎧を止めるための縄ですよ」


 ネリーさんが派遣されていたのは犬族。

 ツヅリの話によれば、猫族の大将は姫騎士で、犬族の大将は姫武士もののふということだった。

 ならば、犬族の装備は日本の侍に近しいものであったと予想される。


「特にネリーさんは重装歩兵ですからね、鎧がずり落ちないようにしっかりと縄で体に固定していたんじゃないですか?」

「その通りだぽね。重い鎧がずれないように、頑丈な縄でぎゅっぎゅって縛りつけていたんだぽね」

「そんな、肌に痕が残るほどに……」

「全然つらくなかったぽね。重い槍を持っていると、デニスさんにもっと好きになってもらえるかもって思ったら、つらいことなんか何も感じなかったぽね! ……勘違い、だったみたいだけど……ウチ、バカでイヤになるぽね」

「バカでいいよ! むしろ好きだよっ!」

「ぽねぇぇ~!」


 帰れ!

 今すぐ帰って二人きりでイチャイチャしてこい!

 密室でな!


「それじゃあ、あのキスマークも!?」


 やっぱり聞くのか!

 どんどん面倒くさくなってきたよ!


「それは、キスマークじゃない」

「……見たんですか?」


 ゆらりと立ち上がり、デニスさんが俺の前に、いや頭上に覆いかぶさってくるように顔を近付けて威嚇してくる。

 怖い怖い怖いっ!

 ここ一番の迫力だな、あんた!?


「見なくてもおよその見当は付きますよ!」


 最初にピンとこなかったのは、『太もも』と『キスマーク』という言葉が結びついてしまったからだ。


「ツヅリ。太ももにキスマー……『痕』が付いていると聞いて、お前はどの辺りだと思った?」

「へ? えっと……」


 ほっぺたをぷにっと摘まんで、ツヅリがしばらく頭を捻る。

 そして、立ち上がって自分の太もも――前面の、膝の上あたりを指さした。


「この辺り、でしょうか」


 なるほどな。よく分かったよ。

 ……なんとなく、ちょっとその付近を凝視しちゃいけない気がして視線を外してしまったが、該当箇所はよく分かった。


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