思い合うゆえにすれ違う -2-

「つまり『之人神』は一般人なんだろ? 一般人に誓われてもな……」

「バ……ッ!?」


 俺の「一般人」発言を聞いて、トーマスさんが俺の腕を引き、慌てた様子で耳打ちしてきた。

 ……さっきのツヅリとは大違いの、威圧的な雰囲気で。


「之人神は一般人なんかじゃねぇよ! 滅多なことを言うと呪いをもらっちまうぞ! ……あんたは、この『世界』のことに少々疎いようだから忠告しておいてやる。いいか、何があっても之人神とは関わるな。真っ当に生きたければな」

「そんな厄介な相手なのか?」

「とーんでもない! とんでもないからその口を閉じてくれ!」


 この慌てっぷり……なるほど、滅多なことを言うと恐ろしい目に遭うというのは本当なのだろう。軽率な発言は慎むべきか。


「之人神は、人間ではあるが、それと同時に神でもあるんだ。神を辞めただけで神の力を失ったわけじゃない。……逆鱗に触れれば、俺たち人間なんて……ぷちゅっと潰されておしまいだぞ」


 ぷちゅっと、ねぇ。

 人間が虫を叩き潰すくらいの感覚というわけか。


 じゃあ、関わらないようにするから額にでっかく『元神』とでも書いておいてくれ。


 トーマスさんだけでなくティムも俺の発言にハラハラしていたから、きっと之人神ってのはこの『世界』の常識なのだろう。

 ツヅリも知っているようだし……


「ん?」


 ツヅリを見ると、なんだか不機嫌そうに俯いて、ヘアテールを揺らしていた。

 ツヅリがあんな顔をするなんて、珍しいな。


 なんてことを思っていると、すたすたと歩いてきて、俺の服の袖をぎゅっと掴んだ。

 そして、ツヅリの前から俺を引っ張り去ったトーマスさんから奪い返すかのように、俺の腕を引いて自分の方へと引き寄せた。


 ……なんだ?


 こいつ、なんで怒ってるんだ?


「……ツヅリ?」

「…………」


 返事はない。

 けれど、ヘアテールだけはぴこぴこと揺れていた。

 ……それは、一体どんな感情の表れなんだ?


「な、なんだ、嬢ちゃん?」

「…………」

「もしかして、俺にその別嬪さんが取られると思っちまったのか?」

「ふぇ……っ!?」


 奇妙な声を漏らし、ツヅリのヘアテールが「びんっ!」と伸びる。

 ……まぁ、そういう風に見えなくもない行動では、あった……よな?


「い、ぃえ、あの……べ、別に、そういう意味では……」


 ツヅリがこちらを見て、目が合った途端に頬を赤く染め上げる。


「ぁう……っ!」


 袖を掴んでいた手を放し、油の切れたからくり人形みたいなぎこちなさで二歩後ずさり、顔を覆ってしゃがみこんだ。こちらに背を向けて。


「…………なんでもありません……見ないでください」


 小さく丸まるツヅリのヘアテールだけがこちらを拒絶するように「しっしっ」と揺れていた。

 俺は野良犬か。


 とにかく。

 トーマスさんがネリーさんとの関係を、そんな厄介な元神たちに誓ってもないと断言したのだから信頼してもいいだろう。

 では、『トム』というのは別の男である可能性が高い。


 こうなってくるともう埒が明かない。

 折角目の前の事務所の中にいるというのだ。直接会って話を聞かせてもらおうじゃないか。

 そうと決まれば、早速行動だ。


「とにかく……」

「あれ? アサギさん、なんか顏赤くね?」


 腰骨に靴のカカトを押し当てて、思いっきり前にドーン!


「痛ってぇえ!?」


 蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばしやすいな、お前の腰骨は。

 ……つまらないことを口にするんじゃねぇよ。


「とにかく、ネリーさんに会わせてもらおう。話はそれからだ」

「おいおい、待ってくれよ別嬪さん!」

「別嬪さん言うな」

「かわい子ちゃん」

「殴るぞ?」


 これでもかと殺意をこめて鬼のような顔を睨みつける。

 今の俺は、きっと鬼より恐ろしい顔をしているに違いない。


「呼び方はともかく、ちょっと待ってくれ。ネリーのヤツ、今日中に仕事が見つからなきゃ旦那に捨てられるかもしれないって怯えてんだよ」

「はぁ!?」


 怯えている?

 不倫がバレたことを悟って?

 ……いや、それだと「今日中に仕事が見つからないと」という言葉が不自然だ。


 …………これは、もしかして。


「ツヅリ」

「……みゅう」

「蹲って鳴いている場合じゃないぞ。立ってこっちを向け」

「では、アサギさんが向こうを向いてください」


 それじゃ話が出来ないだろうが……


「どうやら、またしても双方の思い違いが複雑に絡み合っている可能性が高い」

「……と、いうことは」


 顔を上げ、蹲ったままこちらを振り返る。

 ツヅリの瞳が期待を見出してきらめいている。


「あぁ。なんとか丸く収められるかもしれない」

「詳しく話してください」


 立ち上がり、俺の前へ小走りで駆けてくる。

 ツヅリ、完全復活だ。


「まだ話を聞いてみないと確証は得られないんだが……」

「二人は、一緒にいられるのでしょうか?」

「そうだな……」


 ツヅリの真剣なまなざしには凄みがあって、少しだけ気圧されたのかもしれない。


「俺たち二人が、協力して頑張ればな」


 そんなことを口走っていた。


「……はい」


 それでも、今朝からなんだか不安定だったツヅリが――


「一緒に頑張りましょうね、アサギさん」


 ――そう言って笑ってくれたから、それはそれでいいかと、思うことにした。


「……いいなぁ。俺も恋してぇ」

「――っ!?」

「へぅっ!?」


 ぼそりと呟かれたティムの声に、特に理由はないのだが、俺とツヅリは自然と一歩、お互いから遠退いて背を向け合った。

 深い理由などない。条件反射というものに近い。

 だから、この状況を説明できる明確な理由はなく、ゆえに説明する義務もなく、ただ俺は、空気の読めない非モテ狼の腰骨をもう一度、先ほどよりも気持ち強めに、蹴っておいた。


「痛ってぇえって! もう、なんなん、マジで!?」


 そういうところが、お前に彼女が出来ない要因なんだよ、絶対。

 今度、徹底的に叩き直してやる。

 元結婚相談所相談員、九百九十九連勝の『縁結びの達人』の名に懸けて、徹底的にな!


「とにかくトーマスさん、ネリーさんに会わせてください。たぶんそれで、全部の悩みが解決します」

「全部って……」

「俺たちに依頼してきたデニスさんの悩みも、離婚されるかもと怯えているネリーさんの悩みも、斡旋先が見つからないってトーマスさんの悩みもね」

「俺の悩みまで……」

「あっ、じゃあさじゃあさ! 結婚したいって俺の悩みは?」

「それは自分で頑張れ」

「冷たいなぁ、アサギさんはぁ! 全員の悩みじゃないのかよぉ~!」


 お前は含まれてないんだよ。

 仲介は済んだから、もう帰ってもいいぞ。


「でもなぁ……たぶん、まともに会話が出来る状態じゃねぇと思うぞ? それでもいいなら…………まぁ、上がれよ」


 気が進まない様子を隠そうともせず、トーマスさんが俺たちを事務所へと招き入れてくれた。

 そこに、探し求めていたネリーさんがいた。

 確かにいたのだが……


「おっそぉーいんだぽね! あぁぁぁぁあああ、こうしている間にもデニスさんは着々と離婚手続きを…………きゃぁぁあああああ、ウチ、嫌われちゃうっぽねぇえぇぇぇえええ! イヤだぽねぇぇえぇえ! 別れたくないんだぽねぇぇぇぇぃえいえいえいえいえい……」


 ……非常に騒がしく、確かにまともに会話が成立するとは思えなかった。


「おい、ネリー……」

「トーォォォオオマスさぁぁぁああん! お仕事あったぽね!? 見つけてきてくれたぽね!?」

「いや、それがよぉ……お前の言うような仕事は、なかなか……」

「絶望だぽねぇぇぇぇえええ! 終わったぽね? ウチ、完全に終わったっぽねぇぇええええ! ……死ぬぽね。デニスさんに捨てられたら、この事務所の入り口で死んでやるだぽね!」


 怖い怖い怖い!

 ものすげぇ思い詰めてる!?

 どっからどう見ても、この人不倫なんかしてないし、未来永劫絶対しない!


「そんなことより、お前に客だぞ! どーしてもお前の話を聞きたいんだとよ!」

「話なんかしている暇があったら仕事を寄越すぽね! どんな仕事でもいいんだぽね! 条件さえ満たしていればぁぁぁぁぁああああ、ぽねぇぇぇえええええ!」


 え、なに。その「ぽねぇぇえ」は、鳴き声か何かなの?


「……という有り様でよう」

「かなり重症なのは理解しました」


 朝からこれに付き合っていたのか。本当に面倒見がいいんだなぁ、トーマスさんは。俺なら十分で放り出している。


 絶対に譲れない条件、か……

 そういや、塩屋虎吉もそうだったっけな。

 俺には理解できなかったが、絶対に譲れない『何か』を抱えていて、それでその他のどんな好条件も突っぱねてしまっていた。

 実に面倒くさいクライアントだ。


 ……ってことは、俺も結構面倒見がよかったってことか?

 あいつに付き合って十連敗までしてやったんだからさ。

 ……ふふ。感謝されるようなことじゃないのは分かっているが……少しくらい感謝しておけよと、思わずにはいられないよな。


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