一周回って当てが当たる -1-

 俺たちの目論見は大きく外れてしまうことになる。


 デニスさんからの情報では、ネリーさんはパートを辞め家にいるはずだった。

 なので、デニスさんが研究をしている間に家にお邪魔して話を聞こうと思っていたのだが……


「まさか留守とは……」

「もしかしたら、新しい勤め先を探しに出かけられたのかもしれませんね」


 ネリーさんが勤め先の都合で職を失ったのはつい先日のことらしい。

 まさか不倫がバレて辞めさせられたわけではないのだろうが、本当に不倫をしていて今もなおその相手と切れていないとなると、新しい『言い訳』がすぐにでも欲しいだろう。金に困っているわけでもないのに息つく暇もなく次の職場を探しているのだとしたら、疑惑はますます深まるばかりだ。

 デニスさんが今日離婚相談所を訪れたのも、ネリーさんのそんな様子を目の当たりにしてしまったからなのかもしれない。

 なんにせよ……しまったな。


「結局、エスカラーチェに頼ることになるのか……」

「でも、ご存じでしょうか? ネリーさんが出かけた先なんて」


 あいつの情報収集能力は極めて高いが、万能ではない。

 一般人の出かけた先なんてものまでは知りようがない。


「ちょっと近所で聞き込みでもしてみるか。近所付き合いがあれば、誰かに何かを話している可能性もある」

「そうですね。では、少しこの辺りを回って…………くしゅんっ!」


 口元を押さえ、ヘアテールがピーンと伸びる。

 こいつのくしゃみは、控えめな音に反して見た目に派手だな。


 いや、そんなことはさておき。


「やっぱり、薄着過ぎだろ」

「いえ、ちょっとくしゃみが出ただけで、寒いわけではないんですよ。だから平気です」


 そうは言うが、どう見ても寒そうにしか見えない


「聞き込みは俺がやっておくから、お前は先に帰ってろ。風邪を引くと大変だ」

「い、いえ! 大丈夫です! 一緒に聞き込みを……ぅちゅんっ!」


 全然大丈夫じゃないじゃねぇか。


「いいから、事務所に……」


 と、俺が言い切る前に、ツヅリの手が俺の袖を掴む。

 ぎゅっと、懸命に。


「大丈夫……ですから。ぐじゅっ……一緒に」


 鼻を鳴らして、今にも泣きそうな顔で言う。

 何をそんなに必死になってるんだ?


 また相談者に感情移入し過ぎて、居ても立ってもいられなくなっているのか?

 ツヅリはこれまで、そういう傾向が見え隠れしていた。

 ……しかし、こいつが親身になるのは妻――女性側に対してばかりだった。

 涙するアレイさんや恐怖に震えるシーマさん、彼女たちを見て「なんとかしてあげたい」と必死になっていた。

 同じ女性同士なので共感を覚え、必要以上に肩入れしてしまっているのだろうと思う。


 だが、今回の件に関しては少し違う。

 デニスさんを見てそこまで感情移入しているようには見えなかったんだがなぁ。


「分かった」


 なんにせよ、こんな顔のままツヅリを一人には出来ない。

 想像でしかないが、こんな顔のツヅリを無理やり帰らせたりしたら、こいつは部屋で一人ずっとモヤモヤした気分を抱えて気落ちし続けそうだ。

 そして、「役に立てなかった」とどこまでも自分を責め続け、必要以上に落ち込んでしまうだろう。

 あくまで予想だが、容易に想像が出来る。


 あの相談所には二人しかいなんだ。

 片方がそんな状態じゃ、業務に支障が出てしまう。

 何より、非常に居心地が悪くなる。


 なので、妥協案をこちらが用意するほかはない。


「一緒に聞き込みするのはいいが、こいつを着ておけ」


 上着を脱いで、ツヅリの肩にかける。

 ……うぅっ、風が冷たい。

 が、ツヅリが風邪を引くよりはマシだ。


「で、でも、それではアサギさんが……」

「やかましい。文句があるなら無理やり追い返すぞ」

「はぅ…………すみません」


 わがままを言っているという自覚があるのか、ツヅリは反論をすぐに飲み込んだ。

 ……別に、お前を責めたいわけじゃない。


「なに、近所を二~三軒回るだけだ。終われば一度事務所に帰る」


 そう長時間外にいるわけじゃないから平気だ。

 それでも不安げなツヅリには、相応の役目を与えておくことにする。

 ある意味では懲罰のようなものだ。


「帰ったら、温かいハーブティーをいれてくれ。それで、チャラでいい」

「アサギさん……」


 袖を通させ、ボタンをしっかりと一番上まで留める。

 雨除けのフードでは防寒性などほとんど見込めないが、首周りに布を余らせておけば多少は寒さを和らげてくれるだろう。


 上着を着せ終わり、ぽんっと肩を叩くと、ツヅリの口から「ほぅ」っと白い息が漏れた。

 唇が緩く弧を描き、寒さで赤く染まった頬が微かに緩む。


「はい。ありがとうございます、アサギさん」


 ボタンを留めるために少ししゃがんでいたのがいけなかったのだろうなと思う。

 間近で見たツヅリの笑顔は、破壊力が凄まじくて――


「さぁ、さっさと行くか」

「はい」


 大急ぎで顔を逸らせる羽目になった。


 寒いと鼻や頬が赤くなるのは当然だ。

 ……そういうことにしておこう。





 事務所に戻ると、ビルの前にエスカラーチェが立っていた。

 いつもの薄着で。こいつは寒くないのだろうか?


「サトウ某さん、そこに正座をしてください」

「なんでか理由を聞く前に全力でお断りだバカヤロウ」


 ただでさえ体が冷えているのに、地べたに正座なんかさせられてたまるか。


「なぜ大家さんがあなたの上着を?」

「あ、これはアサギさんが親切で貸してくださって……そうですね、そろそろお返ししないと」


 もう事務所は目前なので、中に入ってからで構わないのだが、エスカラーチェはツヅリが俺の上着を着ていることが気に入らない様子なので、ここで返却してもらおう。


「ありがとうございました。とても暖かかったです」


 そう言って、少しほっこりと温まった上着を差し出してくる。


「……嗅がないでくださいね?」

「お前は俺をどんな種類の変態だと思ってるんだ?」


 しょーもないことを言うエスカラーチェに睨みを利かせていると、ツヅリのヘアテールが「びくっ!」と震えて「うにうにっ」と波打って、後方へ「ふぃっ」と逃げていった。

 どういう心情の表れなんだ、それは?


「あ、あの、わたしっ、先に上がってハーブティーをいれてきますね!」


 なぜか慌てた様子で駆け出し、階段を上がっていくツヅリ。

 が、三段ほど上がったところで立ち止まり、こちらを振り返って。


「すぐ、上がってきてくださいね」


 そんなことを言った。


 なんだか、今日は様子がおかしいな、あいつは。


「大家さんがあぁおっしゃっているので、早く二階へ上がりましょう」

「だな。外にいても寒いだけだし」


 上着を羽織ろうかと思ったが……エスカラーチェがずっとこっちを睨んでいるのでそれも出来ない。

 ……匂いなんか嗅いだりしねぇってのに。


「……男性は、縦縞セーターを着た巨乳美少女が上着を脱ぐ瞬間に、生まれてきた意味を見出す生き物だと聞き及んでいます」

「その情報源、あんま信用しない方がいいと思うぞ」


 特殊な性癖が見え隠れしていやがる。そこからの情報は眉唾ものだ。


「……むっつりプリン」

「プッチンプリンみたいに言うな」


 ないよなプッチンプリン? え、あるのか? 今度探してみるか。


「今回、私は必要ないですか?」


 階段を上がりながら、エスカラーチェが問いかけてくる。

 こいつから申し出てくれるなんて珍しいな。


「実は盛大に空振りをしてしまってな。泣きつきに行こうとしていたところだ」


 正直に話すと、エスカラーチェは足を止め、数秒静止した後で「……ふふ」っと、小さく笑った。


「憎らしい男ですね、あなたは。すっかりと意地悪する気を削がれてしまいましたよ」


 言い捨てて、さっさと階段を上がっていく。

 甘えられて嬉しかったらしい。

 つか、意地悪するつもりだったのかよ……あいつのツヅリに対する思いも相当屈折してるよな、実際。


 冷たい風が吹き、抱えた上着を抱きしめて、俺は急ぎ足で階段を上がった。






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