頑なな口を開かせる方法 -3-

「すみません、あの今、お茶を……」

「いえ、お構いなく。シーマさんも、早くご主人様のお話を聞きたいのではないですか?」


 ツヅリに言われ、シーマさんはソファへと腰を下ろした。


 俺たちが通されたのは、玄関を入ってすぐのリビングだ。

 広さはそれなり、インテリアも、シーマさんの趣味なのか可愛らしい雰囲気で纏まっている。

 ただ、散らかってこそいないのだが、なんというか、荒れているように見えた。

 たとえるなら、家人がいなくなった廃屋にいるような、そんな寒々しさを感じる。


「あの……ご主人様は、その……ご無事、なんです……よね?」


 不安そうに、シーマさんが尋ねてくる。

 もっとも気がかりなのは、エリックの安否のようだ。


「はい。たっぷりと眠って休息を取れば、心も落ち着かれると思いますよ」

「そうですか……よかった」


 その顔に浮かんだ安堵は、決して偽物ではなかった。

 本心からエリックのことを心配し、無事を知って安心した、そういう表情だった。


「それで……その…………」


 シーマさんは俯き、吐き出しにくい言葉を懸命に声にしようとしている。

 膝に置いた手がぎゅっと握られる。

 拳が、小さく震えている。


「ご主人様は……私と…………離縁を……お望み、なの……ですね?」


 言った瞬間、シーマさんの瞳から大粒の涙がこぼれた。

 握った拳の上に落ちた雫が弾け飛ぶ。


「……はい」


 静かに頷いて、ツヅリは――


「けれど、誤解が解ければ何もかも元通りになると思いますよ」


 ――優しく笑った。


 瞳に涙を浮かべたシーマさんが、微かに頷き、本当に微かに、口元に笑みを浮かべた。

 その弱々しい笑みを見て、ほっと息を吐く。


 ツヅリは、人の心を解きほぐす才能があるのかもしれないな。

 あの笑顔は、俺には引っ張り出せなかったであろうものだ。


 ここまではツヅリの独壇場だ。俺が出る幕はなかった。

 だから、そろそろ俺も仕事をしなけりゃな。

 こんがらがりまくった糸を解きほぐし、もう一度結び直す。


 離婚相談所って立場から考えると、それはどうなのかと思わなくもないが、ウチの所長が言うところの『離婚相談』ってのは、離婚しようと悩んでいる夫婦の救済だ。

 その夫婦が救われさえすれば、その結末が離婚であろうと復縁であろうとどちらでもいい。


 今回の事例を見れば、縁を切るよりも解けかけている縁を結び直してやる方が適当だろう。

 まぁ、俺もそっちの方が得意だからなぁ。

 なにせ俺は、人々が言うところの、『縁結びの達人』らしいからな。


「俺たちは、あなたにとって不利になるような行動はしないと約束します。だからまず、きっかけとなった日のことを聞かせてもらえますか?」


 シーマさんを見据え、俺は圧迫しないように努めて声を発する。

 あくまで味方であるというスタンスで。


「一昨日の夜、あなたはどちらに行かれていたんですか? そして、あなたの寝室に落ちていた獣の毛はどこから?」

「…………」


 なるべく追い詰めないように優しく声を出したつもりだが、シーマさんは口を閉ざし、俯いてしまった。


「話したく、ないですか?」

「…………」


 シーマさんは答えない。

 答えないだろうな、とは思っていたが。予想通りだ。

 そこさえ答えてくれれば、その瞬間にこの問題は解決するというのに。


 もし誤解なら、「もう紛らわしいことはするなよ」で仲直りだ。

 もし本当に浮気なら、真摯に謝罪しその瞬間から償いを始めることも可能だ。


 だが、黙秘をされてしまうと、疑惑だけが深まり、疑念ばかりが積もっていく。

 それこそが、夫婦円満最大の難敵だ。

 疑心暗鬼というのは、夫婦の間にあってはいけない最たるものだ。


「話せない理由があるのでしたら、こちらで勝手に調べさせていただけませんか?」

「……調べる、ですか?」

「えぇ。少しお部屋を見せていただいて、状況証拠を探し、勝手に推論を立てます。それに対し、あなたは『YES』も『NO』も言わなくて結構です。こちらで勝手にやりますので」


 これでOKを出す人間はいない。

 やましいことがあるなら、証拠を押さえられてしまうような家探しは到底受け入れられないだろうし、家探しされてもなんら問題がないというなら、そもそも黙秘する必要がないのだ。

 だから、これは遠回しな脅しだ。

『協力しないのなら、秘密を暴くぞ』という。


 これは詐欺師がよく使う手法の一つだ。

 到底受け入れられない要求を突きつけて、あえて『NO』と言わせる。

 その上で「なら、話してくれませんか?」と要求を下げてやると、「家探しされるくらいなら」と、ぽつりぽつりと話を始めてくれる。

 一言でも話し始めれば、あとはいくらでも引き出せる。

 重い口は、開けるのが一番困難で、それ以降は割と容易なのだ。


 だから、俺は『NO』と言われるつもりで次の言葉を用意していたのだが……


「……分かり、ました」


 意外にも、シーマさんの返事は『YES』だった。


「ただし、一つだけお願いがあります」


 真剣な瞳が、俺を射抜く。


「私の寝屋へ、ご主人様以外の男性を入れるつもりは未来永劫ありません。わたしの部屋の調査は、そちらの女性の方のみでお願いします」


 一歩も引かないぞという、力強い意志がその瞳にはこめられていて、俺には頷く以外の選択肢がなかった。

 すごい気迫だった。


 というか、それだけの強い意志のもと、自分の寝室に男は入れないと断言できる女性は、おそらく浮気などしないだろう。自分の意志を捻じ曲げて男を自室に引き入れたりはしないはずだ。

 だからたぶん、彼女は浮気をしていない。

 ただし、何かを隠している。


 俺には、そう思えて仕方なかった。


「それでは、アサギさん。わたしが調べてきますね」

「あぁ。頼む」


 席を立ち、ツヅリがシーマさんに続いてリビングを出て行く。


「あ、シーマさん」


 姿が見えなくなる前に、一つだけ断りを入れておく。


「エリックの部屋を見せてもらうことは出来ますか? 必要なら、着替えを持っていってやりたいので」

「はい。あまり荒らさないでくださるなら。ご主人様の寝屋は二階の奥の扉になります」


 ぺこりと頭を下げて会釈を交わす。

 ツヅリたちがシーマさんの部屋へ入った音を聞いてから、俺はエリックの部屋へと向かった。


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