頑なな口を開かせる方法 -2-

 嬉しそうにヘアテールを揺らすツヅリから視線を逸らし、近隣の家と比べれば多少小さめな、それでも十分な広さがある一戸建てが建つ敷地に俺たちは入っていく。

 綺麗に整えられた芝生の上に石のタイルが等間隔で設置されている。

 家を買って間もないのか、とても綺麗で少々味気ないが、よく管理されているように見えた。


「あれ? たしか、お子さんはいらっしゃらないはずですよね?」


 庭の片隅を見ながら、ツヅリがそんなことを言う。

 子供がいないことはエリック本人に確認済みだ。

 というか、結婚して四年、そのような行為には及んでいないと言っていたからいるはずがない。


 ツヅリの見つめる先に目をやれば、そこにはテニスボールサイズのボールが転がっていた。

 土に汚れ、傷だらけで、この真新しい家には似つかわしくない汚れ具合で、「どっかから飛んできたんじゃないか?」と、そう思えた。


「近所に悪ガキでもいるんじゃないか?」

「では、きちんと持ち主の手に返ればいいですね」


 まぁ、この高級住宅地に住んでいる家の子供なら、あんな小汚いボールくらいすぐ買い直してもらえるだろう。

 贅沢な。


 嘆息し、意識を業務へ戻す。


「実は、アサギさん。わたし、ボールを投げるのが得意なんです。すごく速い球が投げられるんですよ」


 嘘だな。


「飛距離は40センチくらいか?」

「むぅっ、そんなに運動音痴じゃありませんよ」


 嘘だな。


「今度、投げてあげますね」

「いや、いらん」


 俺は犬じゃないんでな。

 ボールを投げられて喜ぶ習性は持ち合わせてないんだ。


 つか、業務に意識を戻させてくれよ。


「呼び鈴を鳴らすぞ」

「はい」


 この『世界』の呼び鈴は、ドアの近くについていることが多い。

 金属のドアノッカーだったり、ベルだったりする。

 この家は剣と盾を模したドアノッカーだ。


 剣型のノブを持ち上げ、盾型の金属プレートへ打ち付けると、「カンッカンッ!」と硬質な音が響いた。

 すぐに、室内から反応があった。

 誰かが駆け寄ってくる音が聞こえ、勢いよくドアが開け放たれる。


「ご主人様っ!?」


 飛び出してきたのは、金髪を少し淡くしたようなクリーム色の長髪を振り乱した、色白で細身の女性だった。

 少々儚げな印象を受ける女性で、エリックが衝動的にプロポーズしてしまったのも頷けるほどの美人だった。


 彼女――シーマさんは、ドアの前に立っているのが想像の人物ではなかったことに面食らった様子で、俺たちを通り越して辺りを見回した後、幾分がっかりして俺の方へと視線を向けた。


 悪かったな、エリックがいなくて。


「シーマさん、ですね?」

「は、はい……あなたたちは……」


 少し怯えた様子でそう言ったシーマさんは、「すんっ」と鼻を鳴らし、そして――「がばっ!」と、俺に覆いかぶさってきた。


 はぁっ!?

 なんだ!?

 一体どうした!?


「あなた、ご主人様に会いましたね!? どこですか!? 今、ご主人様はどちらにおいでなのですか!?」


 今にも噛みつかんばかりの勢いでシーマさんが詰め寄ってくる。

 怖い怖い怖いっ!

 勢いがすご過ぎて、ちょっと怖い!


「あのっ、エリックさんは、現在当相談所の一室でお休みになっています。睡眠を取られていなかった上に、かなりアルコールを摂取されていたようですので」


 俺に掴みかかろうとするシーマさんの腕に触れ、ツヅリがそう語りかける。

 その言葉を聞いて、シーマさんは肩の力を抜き、「……そうですか」と呟いて、俺から距離を取った。


「……申し訳ありませんでした。ご主人様を、保護してくださったのですね。それなのに、私ったら……申し訳ありませんでした。本当に……申し訳……」


 深々と頭を下げ、必要以上に謝ってくる。

 ツヅリがそれを宥めている間に、俺は乱れた呼吸を整える。

 ついでに、状況の整理も行う。


 彼女はシーマさん。

 エリックの伴侶で、先ほどの様子からエリックのことをとても心配していたことが窺える。

 エリックのことは「ご主人様」と呼んでいるらしい。……どういう関係だ。せいぜい「旦那様」くらいだろうに。まぁ、好きに呼び合えばいいけれども。


「それであの……あなたたちは、一体……?」


 シーマさんの問いに、俺とツヅリは一度目配せをする。

 俺の口から言おうかと思ったのだが、ツヅリは自分が伝えると合図してきた。なので、所長に任せることにする。


「わたしたちは、離婚相談所『エターナルラブ』の者です」

「り、こん……」


 すとん――


 と、シーマさんはその場にへたり込んでしまった。

 糸の切れた操り人形のように、力なく蹲り、そして嗚咽を漏らして泣き始めた。


「落ち着いてください。まだ何も決まったわけではありませんから」


 慰めるツヅリの声に、シーマさんは両手で耳を塞ぎ、この世のすべてを拒絶するように体を丸めて塞ぎ込んでしまった。

 締めつけられた喉の奥から、搾り出された悲鳴が漏れ出してくる。


 聞くだけで胸が痛くなるような慟哭。

 これを鎮めるのは不可能か……


 最悪、エリックの安否を伝えるだけでもと思ってここまで来たのだが……これは、こっちの思惑をさらに下回る最悪の状況だな。

 一度引き返して、時間をあけた方が賢明か――と、俺がそんなことを考えていると、ツヅリが蹲るシーマさんを抱きしめた。

 地べたに座り、寄り添うように身を預け、決して大きくはない体を精一杯広げて、泣きじゃくるシーマさんを包み込む。


「大丈夫です。まだ、何も終わっていません。むしろ、これから始めるんです。その悲しみをなくすための行動を。今から始めるんですよ、あなたが。そのお手伝いを、わたしたちにさせてください」


 押しつけるではなく、従わせるではなく、野の花を優しく撫でる微風のような声でツヅリは語りかける。

 世界のすべてを拒絶するように声を上げるシーマさんに。その心に、じわりと浸透していくように。

 刺激せず。

 否定せず。

 偽らず。

 ただ、寛容な心をもって。


「話を、聞かせてくださいませんか?」

「…………はい」


 泣き声を上げることしか出来なかったシーマさんが、弱々しくも明確に返事をくれた。

 あぁ、これで進む。

 停滞して、手遅れになってしまう前に物事を進めることが出来る。


 よくやったな、ツヅリ。

 お手柄だ。


「外では落ち着いてお話できませんよね? お部屋へお邪魔しても構いませんか? なんでしたら、どこか食事が出来る場所へ移動しても構いませんが」

「……いえ。大丈夫です。中へ、どうぞ…………少し、散らかっていますけど」


 ふらふらと立ち上がり、頬を伝う涙を拭って、シーマさんは家の中へと入っていく。

 それに続こうと玄関へ向かうと、俺を待っていたツヅリが体を寄せてきて、少しだけ背伸びをして耳元で囁いた。


「アサギさんの言った通りですね。わたしの体温、人を落ち着かせる効果があったみたいです」


 ツヅリの体温が移ったのか、俺の耳がじんわりと熱を帯びた。

 すっと離れていったツヅリの顔が、俺の正面に来てにこりと笑う。


 ……こいつ、わざとやってないだろうな?


 少し肌寒さを増した風が、じんじんと熱を帯びる耳を撫でて吹き抜ける。

 邪気のない顔が「行きましょう」と室内へと誘う。


「……あぁ」


 それだけ呟いて、揺れるヘアテールの後に続いた。

 くそぅ、人の気も知らずにぴこぴこ揺れやがって。


 高い体温が心を落ち着けるなんて大間違いだ。

 俺は今、それを確信した。持論の誤りは修正するべきだ。

 だが……出来るはずがない。その誤りを立証など、出来やしないのだから。


 ……言えるか、こんなこと。


 持論の誤りに気付きながらも見なかったフリを決め込んで、俺はエリックとシーマさんの家へと足を踏み入れた。






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