頑なな口を開かせる方法 -1-

 エリックには俺の部屋で眠ってもらうことにした。

 俺の判断だ。

 もう限界だと思った。

 一昨日の夜勤明けから酒を飲み、そこで一晩明かしてこの相談所に来ていたんだ。もう何十時間も眠っていないことになる。アルコールも入っている。

 そんな状態で冷静な判断なんて出来るはずもない。


「大丈夫でしょうか?」

「まぁ、盗まれて困るようなものは何もないし、事務所と三階の扉はちゃんと施錠してあるんだろ?」


 三階へ続く階段を上りきると、目の前に頑丈な扉が現れる。

 そこは施錠可能で、ツヅリ以外の何人もその扉をくぐることは出来ない。

 エリックが起き出しても、入り込むことは出来ないだろう。


「いえ、そうではなくて……エリックさんが」

「まぁ……今は休息を取るしかないだろうな」


 あのまま無理をさせれば倒れかねない。

 下手に興奮すれば心臓にも悪いだろうし。

 何より、正常な判断が出来ない興奮状態ではこちらのやることの邪魔になりかねないし、万が一にもシーマさんにばったり会ってしまったら、感情に任せて手を上げそうな危うさがある。


 休息と隔離。

 今のエリックにはそれが必要だ。


「どう、しましょうか? この後」

「そうだな……」


 とりあえず外へ出てきてみたが、まぁ、やるべきことは決まっているか。


「シーマさんに会いに行ってみよう」

「ですが、当相談所に旦那様がお越しになったことが知れれば……」


 アレイさんの件もある。伴侶が離婚相談所を訪れていたなんて知れば、相応にショックを受けることだろう。

 だが。


「今回は大丈夫だ。……というか、早く行ってやるべきだと思う」


 エリックの話が本当なら、丸一日以上家をあけていることになる。

 その間、シーマさんはエリックの安否が分からないままなのだ。きっと不安がっていることだろう。


「むしろ、酔った勢いで駆け込んできたと真実を教えてやった方が親切かもしれない。暴走してはいるが、それくらい真剣に怒っているのだと知れば、閉ざされた口も開くかもしれないし」

「……そう、ですね」


 ここまで拗れた原因の一つは、シーマさんの黙秘だ。

 問い詰められた時にきちんと自分の言い分を話していれば、離婚という話にまではならなかったかもしれない。


「では、向かいましょうか」


 ツヅリが先行し、俺たちは事前書き込みシートに記載された住所を目指して歩いた。





 記載された住所を頼りに来てみれば、そこは市街地の中でも大通りからは程よく離れた、おそらく高級住宅地に分類されるような場所だった。

 大きな庭のついた一戸建てが並び、そのどれもがしっかりとした建物だった。


「やっぱ儲かるんだな、憲兵」

「栄誉あるご職業ですからね。…………あの、アサギさんは……」

「転職するつもりはない」


 不安そうにこちらを見上げてきたツヅリにそう言っておく。

「よかったぁ」と息を漏らすツヅリ。

 何度同じ心配をしているんだ、こいつは。

 それほど人気の職業ということなのだろうが……


 俺には到底務まらないってことを分からせておくか。


「俺が憲兵になったら、就任一週間で魔獣のエサになるだろうよ」

「そんなのダメです!? アサギさんは絶対当相談所をやめないでくださいね!」


 ちょっとした冗談――そんな軽い気持ちで言った言葉なのだが、真に受けてしまったらしいツヅリは衝動的に俺の腕を取り、ぎゅっと胸に抱きかかえた。

 …………埋まってるから!


「じょ、冗談だ! 憲兵になる予定は今も今後も一切ないから安心しろ!」

「……ほっ。なら、いいんですけれど」


 安心したなら腕を離してくれるか!?


「ツヅリ……腕を」

「へ? ……あ、すみません」


 ぱっと腕を離し、「歩きにくいですよね」と笑って言うツヅリ。

 ……そんなとこじゃねぇよ、お前が気にするべきポイントは。


 こいつ、本気で俺のことを男だと認識してないんじゃないのか?

 それとも、誰にでもこんな接し方をするのか?

 エスカラーチェの話では、特別親しくしている男はいないようだが……


「ツヅリ。……これはあくまで職場の仲間として忠告するんだが――」

「職場の仲間ですか!? はぁ……、素敵な響きですねぇ」

「……いや、いいから、話を聞け」

「はい。伺います、職場の仲間のお話を」


 ヘアテールがこれでもかとぴこぴこ揺れている。

 ……この反応から察するに、仲のいい友達も限りなく少なかったんじゃないかと思えるんだが…………まぁ、仲の良し悪しに関係なくだな。


「あまり他人に密着するのはやめておけ。……その、あまり、いい影響を生む行為ではないから」

「いい影響、ですか?」


 いい影響を与えないというか、悪影響を生むというか。

 お前に抱きつかれたら、変な勘違いを起こす男だって出てくるかもしれない。

 ……俺は大丈夫だが。


 この『世界』の男が全員、俺のように恋だの愛だのに幻想を抱かない現実主義者だということはないのだから。

 むしろ、すぐに勘違いして暴走する男の方が多いことだろう。

 エリックだって、シーマさんが目覚めてすぐ感情に任せてプロポーズしたと言っていたし、そういう、衝動的に行動してしまう男の方が多いはずだ。


 なら、危険だということは説明するまでもなく分かるだろう。


「そうですね」


 そうだとも。

 やはり、多少は自覚があるようだ。一安心だ。


「わたし、子供の頃から体温が高いと言われていますし、触れられるとぬるくて不快ですよね?」


 く……っ、まったく理解していない。というか、危険性を認識していない!

 自覚という言葉すら知っているのか不安になるレベルだ。

 危険性の説明が必要なのか? なんて世話の焼ける。


「体温が高いのかどうかは知らんが……」

「高いですよ、ほら」


 そう言って、俺の手を握ってくるツヅリ。



 ――なぜ恋人つなぎ!?



 自身の右手を、向かい合う俺の左手に搦めて握り、ぎゅっと力をこめるツヅリ。

 その手はじんわりと温かかった。


「よくお母様や侍女の方に言われたんです。わたしと手をつないでいると手に汗をかいてしまうと」


 あぁ、そうだな。俺も汗が噴き出してきたよ。

 手にではなく額にだけどな。


「やはり、不快ですか?」

「いや、そんなことはないっ」


 そんなことはないと断ってから、つないだ手を振り払う。

 背を向けて、額に浮かんだ汗をさっと拭う。


 くぅ……指の間にツヅリの体温が残っている。


「人の体温は、精神を落ち着かせる効果があると言われている。誰かが不安を覚えている時には、お前の体温は有効に活用されることだろう。離婚相談所なんて場所には必要不可欠なんじゃないか、そういう特徴は」


 酸素が不足しているとアラートを鳴らしている脳を黙らせるために言葉をこねくり回して吐き出す。

 意味などない。

 小難しいことを言っておけば脳が「はっ!? 働かなければ!」と目を覚ましそうな気がしてそうしているだけだ。


「……アサギさんも、落ち着きますか?」

「あぁ。ご覧の通り、俺は今生涯でもっとも落ち着き払っているところだ」


 嘘だ。

 生涯でこんなに取り乱したことはない。

 くそ、なんだこの動揺は?

 ツヅリの顔を見られない。……馬鹿か、俺は。こんな、手をつないで、舞い上がって……中学生じゃあるまいし…………



「なら――」



 そんな声がして、ふわりと甘い香りが纏わりつくように微かに香った。


「アサギさんが不安な時は、いつでもこうして温もりをお裾分けしますので、遠慮なく言ってくださいね」


 ツヅリが、俺を背中から抱きしめてきた。

 細い腕が俺の腰に回され、弾力のある大きな膨らみが背中に押しつけられる。

 背中の真ん中がことさら温かいのは、ツヅリがそこに顔をつけて呼吸しているから――だろうか。


 あぁ……これは――





 全然落ち着かねぇ!





「ツヅリっ、も、もういい! もう十分だから!」

「はい」


 そう言うと、俺の全身を覆っていた温もりはあっけないくらいにすんなりと離れていった。

 背中を中心に、全身がすーすーする。


「あ、アサギさん。あそこがエリックさんのご自宅のようです」


 こちらの動揺など知る由もなく、目的地を発見して報告してくるツヅリ。

 正直、今はエリックの家などどうでもいい気分なのだが……気持ちを切り替えて業務に戻る。

 そうだ。仕事だ、これは。

 余計なことは頭から追い出して、仕事に専念するとしよう。そうしよう。


「よし、行くか」

「わぁ、すごい気迫ですね。アサギさんがこのお仕事に前向きで、わたし、嬉しいです」


 ……顔を覗き込んで嬉しそうにヘアテールをぴこぴこ揺らすな。気が抜ける。



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