優雅なひとときの荒々しい訪問者 -4-

「エリックがソレに気付いたのは、何かきっかけがあったのか?」

「あぁ、そうだ。つい先日、巷を騒がせたワーウルフの正体が分かったんだ」

「はい。新聞で読みました」


 ツヅリの相槌に、エリックはこくりと頷く。


「俺たちは、ワーウルフの警戒のために夜勤班へ異動になっていたんだ。だから、ワーウルフに害がないと分かった以上、必要以上の警戒をする必要がなくなった」


 決して、そのワーウルフが無害であるとは言い切れないけどな。

 しかし、数十名の憲兵に見回りをさせるほどのことではなくなったのだろう。


「だから、その日俺たちはいつもよりも早い時間に帰宅命令が出たんだ」


 することがなくなったので、余剰人員は早退させたのだろう。


「夜勤班になってからというもの、毎日太陽が昇ってから帰宅していたんだが、その日は夜も深いうちに家に着いたんだ。たぶん、深夜の二時頃だ」


 この「深夜二時」というのは、俺の感覚に合わせた翻訳だと推測される。

 というのも、この『世界』の時間は日本のソレとは大きく異なっている。

 一日は二十四時間ではないし、一時間も六十分ではない。なんなら二時と三時は同じ長さではない。……らしい。

 ならば、一時間は何分で一日は何時間なんだと尋ねてみたのだが、明確な答えは返らなかった。

 時間とはつまりそういうもの――意識せず『世界』のあるがままに委ねれば、自然と脳と体に刻み込まれるのだという。


 もちろん、この『世界』にも時計は存在する。

 だから、それを見れば今が何時なのかは一目瞭然なのだが、元いた世界の感覚を引きずったまま時間を計ろうとすると、脳が誤作動を起こし、想定とはかけ離れた時間に行動してしまうということがままあるようだ。


 言葉はこの『世界』へ統合された時に脳をいじくられたせいで、こちらの感覚に近い言葉へと自動的に変換されている。

 ツヅリ曰く、この『世界』の風土、言語、食事に体と精神を合わせるために神なる存在が勝手にいじくるのだそうだ。

 記憶の混在はその影響で起こるらしい。


 だから、俺の思う「深夜二時」と、ここで言う「深夜二時」は正確には違うはずなのだが、結局は同じもので……考えれば考えるほどますます訳が分からなくなる。

 要は「考えるな、感じろ」ということなのだろうが……

 余計な苦労を背負い込ませてくれた神とやらに愚痴しか出てこないが、それについてはとりあえず置いておこう。

「深夜二時」と言われれば、深く考えずおおよそ自分の考える深夜二時頃の感覚であると思って話を聞けば問題ない。


 つまり、その日エリックは真夜中に帰宅したわけだ。


「シーマのヤツ、もう寝てるかなってそっと家に入ったんだ……家はしんと静まり返ってたよ。……ははっ、当然だよな」


 自嘲するような笑いとは裏腹に、エリックの眉間には深いシワが刻み込まれていた。



「……シーマは、家を抜け出していたんだからっ」



 その声は、激しい怒りに燃えていて、逆にぞっと背筋が寒くなるような響きを持っていた。


「シーマのベッドに、こんなものが落ちていたよ」


 そう言って、腰にぶら下げた小さな布袋から、茶色い毛の束を取り出しテーブルに乗せる。


「これは……?」

「毛だ」


 その毛の束を覗き込むツヅリ。

 俺も見てみるが、どう見ても人毛ではない。


 これは……犬の毛、か?


「シーマは知っていたはずなんだ。俺の生い立ちも、両親の死因も、俺がどれだけ魔獣を憎んでいるかってこともっ!」


 ソファに座ったまま、開いた膝の間に怒声を叩き付けるようにエリックは叫ぶ。

 それを咎めることは、さすがに出来なかった。


「魔獣を……室内に引き入れていた……と、いうことでしょうか?」

「それはないよ、お嬢さん」


 俯いていた顔が持ち上げられると、エリックはほんの一瞬で十歳ほども年を取ってしまったかのようにやつれた顔をしていた。


「魔獣には知能がない。狡賢い捕食の知恵をつけたものはいても、人間とコミュニケーションを取れる魔獣なんていやしない。魔獣を部屋に引き入れたなら、そこにはシーマの骨と夥しい血の痕が残っているはずさ」

「…………」


 ツヅリが短く息をのむ。

 凄惨な現場を想像でもしたのだろうか。


 そっと、背中に手を添えてやる。

 人の体温は、心を落ち着かせる効力がある。


 強張った肩を震わせ、ツヅリがこちらへ視線を向けてくる。

 何も言わず、ただ頷いてみせる。

 それだけで、ツヅリは少し緊張を解き、弱々しいながらも笑みを浮かべてみせた。


「ベッドに魔獣の毛が落ちていたってことは、魔獣がシーマのベッドに潜り込んだってことだ。けれど、シーマの遺体はなかった」


 その状況で考えられるのは、二つ。

 最悪な方を除外するとなると、真っ先に思い浮かべるのは、魔獣に遭遇しシーマさんが逃げ出したという状況だ。


「シーマは魔獣から逃れるために家を飛び出した。そう信じて、俺は夜の街を駆けずり回った。声がかれるまでシーマの名を呼んだ。路地裏はもちろん、外壁の外まで探しに行った。……けれど、見つけることは出来なかった。日が昇って、重い足取りで家へ帰ると……シーマは、家にいたよ」


 力なく項垂れ、すべてを悟り覚悟を決めたような真っ青な顔をして、エリックの帰りを待っていたのだという。


「俺は問い質した! 『昨夜はどこにいた!?』『ここで何をしていた!?』『この毛はなんだ!?』と――けど、シーマが口にした言葉はたった一言だけだった」





『……ごめんなさい』





 それ以上、シーマさんは何も語らなかった。

 エリックは家を飛び出し、朝からやっている酒場へ行き、浴びるように酒を飲んで、丸一日飲み明かして、酔い潰れて、仕事に顔を出さないことを心配した同僚に発見され、朝まで口論して、そして今、ここに居るのだという。


 よく壊れないものだ。体も、心も。


「あの……」


 静まり返った事務所の中で、ツヅリが遠慮がちに声を発する。


「でも、それがイコール浮気の証拠だということには……」

「お嬢さん。魔獣の毛を持ちながら人間とコミュニケーションを取れる人物と言われて、思い当たるヤツはいないか?」

「えっと……、そういった種族の方でしたら……」

「魔獣の毛と獣人の毛は違うさ。俺はプロだ。見間違うことはない。この毛は、一度も手入れされていない獣の毛だ。艶と匂いがまったく違う」


 獣人は、獣の毛に覆われている者も多いが、彼らの毛は艶がよく匂いがなく、そしてふわふわしているのだという。

 なんでも、獣の毛専用のシャンプーやトリートメントがあるらしく、毛の質に合ったものを使うことで獣人たちは最適な毛並みを維持しているらしい。

 一方、街に住んでいない魔獣の毛は、硬く、臭く、ぼさぼさなのだと。


 目の前に提示された毛は、針のように硬く、鋭く、若干臭かった。


「この街にいながら毛並みの手入れが出来ない生活をし、そのくせ殺意なく人と接触する獣人。そんなヤツ……俺には一人しか思い浮かばない」


 俺の頭にも、該当者が一人浮かんでいる。


 不運にも、この『世界』へ連れてこられて人間に戻れなくなった狼男、ワーウルフ。

 憲兵に追われる生活をしていたヤツなら、毛並みの手入れなどしている暇はなかっただろう。

 そしてそいつは、見境なく女性にちょっかいをかけているナンパな男だという話だ。


「よりにもよって、シーマは……っ、俺が、俺たちが必死になって探し回っていたお尋ね者と…………そんな関係に……っ! そいつのせいで、俺が家をあけていた間にっ!」


 エリックは頭を掻きむしり、天を仰ぐように背を仰け反らし、勢いよく両の拳をテーブルに叩き付けた。

 テーブルに無数の亀裂が走った。


「なぁ……頼むよ…………」


 持ち上げられた顔の中心で、爛々と輝く瞳がこちらを見ていた。




「離婚、させてくれよ……あの裏切り者に最大級の制裁を科した後でよぉ」




 俺たちは、なんとも返事できずに、ただその暗く淀んだ瞳を見つめ返していた。






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