優雅なひとときの荒々しい訪問者 -1-
この『世界』は、本当に異世界なのだと痛感した。
いや、怪獣夫婦やアイアンゴーレムとカエルの夫婦を見た後なのでもう今さらではあるのだが……
狼男までいるのか、この『世界』には。
おまけに龍族? まさか、ドラゴンなんてものもいるというのか? しかも千数百年に及ぶ片思い?
……スケールが違い過ぎる。
そんな連中を相手に離婚だ再構築だという話をしていかなければいけないのかと思うと、少々気が重い。
「はい、アサギさん。ハーブティーです」
にこにこ顔で、ツヅリがカップを俺の前に置く。
ツヅリのハーブティーがいつでも飲めるというのが、朝食と引き換えに手に入れた権利だ。
まぁ、そんなものがなくても飯くらいいくらでも作ってやるつもりだったのだが。
一人暮らしが長かったせいもあり、一通りの家事は出来る。
中でも料理は得意な方だと自負している。道具と調味料さえ揃っていれば、大抵なんだって作れるだろう。
俺にとっての料理とは、要領よく工程をこなしていく単純な作業だ。
一人前が二人前になろうがそれに変わりはない。『ついで』以外のどのような言葉でも表せない、ありがたがる必要のないことだ。
まぁ、ただ。
美味いと言われたのは、悪くない気分だったが。
『わたし、毎朝アサギさんのお味噌汁が飲みたいです』
……まぁ、アレは余計だったが。
俺が担当した中にも何人かいたんだよなぁ、そういうプロポーズをする男が。
正直、そんな昭和の遺物のようなプロポーズはいかがなものかと思っていたのだが……意外と、心臓への負担が大きかったな。……なるほど。言葉はその字面ではなく、放つ人間によって威力が変わるのか。覚えておこう。
「アサギさん、やはり風邪ではないですか? 少しお顔が赤いですよ?」
「き、気のせいだ」
顔を覗き込まれ、思わず新聞でその視線を遮った。
……顔が近い。距離感を考えろ。
あと、あんまり見るな。
変に熱を帯びる顔の温度を下げるため、新聞に集中する。
ツヅリが言っていたように、この『世界』は龍族が頂点に立ち取り仕切っているようだ。
政治や外交といった記事の中には高確率で龍族の文字が出てくる。
おっ、龍族の姫君の婚約も大きく取り上げられている。
龍族の中でも突出して武力に長けた一族の姫君らしく、この婚約によって政局は大きなうねりに飲み込まれることになるかもしれないと綴られている。
ドラゴンの中でも特に強いドラゴンの結婚……想像が出来ない。
アノ怪獣夫婦みたいな感じなのだろうか。
どうか、いつまでも夫婦仲が良好であれ。
最悪でも、拗れに拗れた離婚話をウチに持ち込まないでくれ。俺の手には負えそうもない。
「なかなか充実した内容だな」
「はい。わたしも、毎日楽しみに読んでいるんですよ」
この『世界』の新聞は、毎朝自分で買いに行くらしい。
新聞配達という概念はないのだろうか。
聞けば結構な値段がするらしく、新聞屋とは高級店の部類に入るらしい。なので、店側が客のところまで運ぶようなことはないのだそうだ。
結構な値段がするなら、貴族や偉いさんが読むんじゃないのかとも思ったのだが、そういった層は漏れなく使用人を抱えているので、買いに行かせるというのが常らしい。
日本とは、常識も何もかも大きく異なるようだ。
「何か気になる記事はありましたか?」
「ん? あぁ、そうだな……」
どこそこで強盗が出ただの、政治と金だの、記事自体は日本でも馴染みがある内容なのだが、そこに出てくる者たちに馴染みがない。
龍族だの、騎兵隊だの、魔術師だの……
「魔法による犯罪なんか、どうやって取り締まるんだ?」
「王立の魔法師団が魔法によって調査をして、事実が認められれば逮捕になります」
日本で魔法が使えれば完全犯罪も容易なんだろうが、魔法が当たり前の『世界』だと、それの対策も出来ているわけか。
「憲兵募集の広告が載っているな」
「そうなんですか? 欠員が出たんでしょうね」
ツヅリ曰く、憲兵は高給取りな上に栄誉のある人気の高い職業なのだそうだ。
年に一度大々的に行われる採用試験には大勢の市民が集まるのだとか。
今回は、なんらかの事情で欠員が出たための緊急募集だろうと、ツヅリが説明してくれた。
「王国騎士団や魔法師団は家柄のよさが必須条件になりますが、憲兵は広く門戸を開いているため健康で腕に自信のある方でしたらどなたでも就くことが出来るんですよ。その分、倍率はすごいようですけれど」
豪商や一部の貴族が個人で組織する自警団とは異なり、国王直属の組織ということもあって憲兵は一目置かれている存在らしい。
「アサギさんも、やっぱり興味がありますか? 応募されたり……?」
「いや、俺には到底務まらない仕事だ」
荒事は専門外だ。
出来る人間に託し、俺は彼らが守ってくれている平和と安寧を甘受するとしよう。
「よかったです。アサギさんがここを出て行くことになったら、わたし、困ってしまいますから」
「…………そんな予定はない」
「安心しました」
……なんて毒のない顔で心臓に負荷をかけてくるヤツなんだ、こいつは。
職業選択の自由はこの『世界』にも存在している。
俺だって、もっと条件のいい仕事が見つかれば、あっさりとここを退職する可能性だってある。
……まぁ、それは今ではないけどな。
「けれど、心配ですね」
「ん?」
テーブルに置いた新聞に目を向け、ツヅリが表情を曇らせる。
「憲兵は人気の職業ですので、よほどの理由がない限り離職者は出ないんです。定年される方もいらっしゃいますから、そういう理由ならいいのですが……」
それ以外の理由で憲兵を辞めるとすれば、憲兵を続けられない理由が出来た時というわけか。
たとえば、大きな怪我をしたとか、大病を患ったとか……命を落としたとか。
「つらい思いをされている方がいないといいのですが……」
そんなことに心を痛めるのか、こいつは。
まったくの他人事だろうに。
まぁ、そういうヤツだからこそ、俺みたいな男を拾ってくれたのかもしれないけどな。
「いい理由かもしれないぞ」
「え?」
「それこそ、龍族の姫君に見初められて逆玉の輿の大出世をした、とかな」
不安そうな色をしていたツヅリの瞳が一度揺らめき、そしてぱぁっと輝きを増していく。
「そうですね。そういう理由だって十分にあり得ますよね」
それから、ツヅリは思いつく限りのポジティブな理由を挙げていく。
「それはねーよ」ってとんでもない理由も紛れていたが、「分かりませんよ。可能性はゼロではありません」なんて楽しげに笑うツヅリを見れば、常識なんてどうだっていいような気すらした。
どこかの誰かが憲兵を辞めた理由なんか、俺たちには分からない。
分からないなら、どんな理由を想像したって構わないはずだ。もしかしたら本当に逆玉かもしれない。「実はあなた様は隣国の王子だったのです。今すぐ国へ戻り国王になってください」なんてとんでもない理由かもしれない。
ツヅリ的に言うならば、どんな突拍子もない理由だって可能性はゼロじゃない。
すぐそばにいる関係者にだって、本当のところは分からない。
口にした理由と、腹の底で思っている理由は必ずしも一致するとは限らない。
本心なんて、本人にしか分からないのだから。
だから、勝手に決めつけて、不必要に感情を乱す必要なんてない。
どうせ勝手に決めつけるなら、楽しく笑える方がいい。
特に、こいつみたいに感じやすいヤツなら、なおさらな。
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