朝食のお誘い -3-

「そうだ。ハーブティーをいれてきますね」


 ぽんっと手を叩いて、わたしはすっくと立ち上がります。

 美味しい朝ご飯をいただいたのですから、美味しいハーブティーをおいれしなくては! 腕が鳴ります。


「そのあいだ、新聞でも読んで待っていてください」

「先に読んでいいのか?」

「わたしはもう、一通り目を通しましたから」


 気になる記事は、あとでじっくりと読み直すつもりですが。


「それじゃあ、読ませてもらうな」


 ソファに座り、新聞を広げるアサギさん。

 なんでしょう。とても似合います。

 世相を見極める経済学者のような鋭い眼光。なんだか、とても頭がよさそうに見えます。


 ……わたしも、人前で新聞を読むと頭がよさそうに見えるでしょうか?


 あとで、こっそりとアサギさんの前で読んでみましょうか?

 頭よさそうだなって、思ってくださるでしょうか。うふふ。


「ツヅリ」

「はい」

「ハーブティー、いれるんじゃないのか?」

「そうでした! うっかりしていました」


 楽しい想像に心奪われて、すっかりと失念していました。

 ぱたぱたと給湯室へ駆け込むさなか、背後から「やれやれ」という声が聞こえました。

 うぅ……頭がよさそうに見えるかも大作戦は始める前に頓挫しそうです。

 でも決して、わたしはおっちょこちょいではないのですよ? ほんの少しだけうっかりさんなだけで……

 アサギさんなら、分かってくださると思いますけれど。


「この街の外には、魔獣なんてのが出るのか?」


 お湯を沸かしている途中、給湯室の外からアサギさんの声が飛んできました。


「はい。外壁の外にはたくさんいますよ」


 火を使っているので目を離せません。

 大きな声で給湯室から答えを返します。


 魔獣除けの魔法陣が組み込まれた外壁に守られ、街の中は比較的安全ではありますが、街の外は相当危険です。

 外に出るなら、冒険者や騎士団に護衛を頼まなければ、わたしたちのような一般人ではあっという間に魔獣のエサです。


「外壁の中も安全とは言えませんから、アサギさんも気を付けてくださいね」


 魔獣除けの魔法陣も万能ではありません。

 強力な魔獣が年に数回、壁の内側へと侵入してきては大きなニュースになっています。被害に遭われる方も毎年少なくない人数おられます。痛ましい事件です。


 お湯が沸き、ティーポットに茶葉とお湯を入れ、給湯室を出ます。

 ソファへ戻り、茶葉がしっかりと蒸れるまでの間、少しアサギさんとおしゃべりをします。


「数日前まで、若い女性ばかりを襲うワーウルフが話題になっていましたし、あまり一人で出歩かない方がいいですよ」


 アサギさんは見目が麗しいですから、悪い魔獣に狙われちゃうかもしれません。


「分かった。明日からは俺も新聞屋までついていく」

「へ? いえ、わたしのことではなく、アサギさんに気を付けていただきたいと……」

「ついていくから、一人で行かないように」

「…………」

「分かったな?」

「はい」


 いいのでしょうか?

 毎朝、早起きをしなければいけなくなるのですが……

 アサギさん、朝は強い方なのでしょうか?

 わたしはたまに寝坊してしまうのですが……その時は、起こしてくださるでしょうか?


「それで、その危険なワーウルフは捕まるなり退治されるなりしたのか?」

「いえ。捕まえるのをやめたそうです」

「……物騒だな」


 アサギさんの眉間に深いシワが刻まれました。

 しかし、心配には及びません。その事件には盛大なオチがついたのですから。


「実は、そのワーウルフは異世界から迷い込んできた『狼男』という種族の方で、満月を見ると狼に変身してしまう体質なのだそうです」


 狼男さんのいた世界では、ひと月に一度満月の夜が訪れるそうで、その日以外は人間と変わらない姿なのだとか。

 ですがこの『世界』には月が三つあり、そのうちもっとも大きな月は一年に一度の新月の日を除いてずっと満月なのです。しかも、昼間でも姿を消すことはなく一日中空に美しい満月の輪郭を浮かび上がらせているのです。


「そのせいで人間に戻れなくなってしまった、悲しい男性だったようです」

「……だからって、若い女性を襲っていたのなら相応の対処が必要だろう」

「いえ、襲っていたのではなく、所謂『ナンパ』というものを繰り返していただけなのだそうですよ」


 狼男さんは彼女が欲しかった。

 けれど、見た目がこの世界の魔獣ワーウルフにそっくりだったため、声をかけた女性すべてに「食べられる!?」と勘違いされ、騎士団を派遣されてしまったそうなのです。


「狼男というのは満月の日には不死身になるそうで、この国の精鋭でも退治は出来ず、ついにはこの『世界』最強の龍族の姫様が討伐に向かわれたのですが、そのお姫様がとてもお綺麗な方で、狼男さんは一目で恋に落ち熱烈アプローチをされたそうで――それで、真相が明るみに出たそうなんです」

「それで、その姫君が狼男を引き取ってくれたのか?」

「いえ。なんでもそのお姫様は千数百年に及ぶ片思いを成就させてご婚約されたばかりだそうで、狼男さんは見事にフラれたのだとか」

「……じゃあ、まだ野放しなのか、その狼男は?」

「はい。ですが、女性に危害を加えることはないと分かりましたので、必要以上に恐れることはないと思いますよ」


 見た目で勘違いされていた狼男さんですが、素性が分かれば恋に飢えた普通の男性と変わりありません。

 いつか、素敵な出会いに恵まれるといいですね。


「…………物騒だな」


 先ほどよりも深いシワを眉間に刻み込んで、怖い顔でアサギさんがわたしを見ました。


「ツヅリ、どこかへ出かける時は必ず俺かエスカラーチェに声をかけるように。しばらくは一人で外を出歩くな」

「いえ、わたしは平気で……」

「分かったな?」

「……はい」



 もしかして、アサギさんはものすごぉ~く心配性な方、なのでしょうか?



 その後、茶葉がティーポットの中で広がるのを待ちながら、わたしは難しい顔をして新聞を読むアサギさんをなんとはなく眺め続けました。






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