朝食のお誘い -2-

 それからほどなくして、可愛らしい見た目の朝ご飯が運ばれてきました。


「アサギさん。なんだかとっても可愛いですね」

「そうか? 普通だと思うんだが……」


 アサギさんが普通だとおっしゃる朝ご飯ですが、わたしの目にはとても可愛らしく映っています。

 これがアサギさんの『普通』なら、アサギさんはとても可愛らしい方だということになります。


「アサギさんは、いつもこのようなお食事を?」

「あぁ、まぁ……適当にな」

「ふふ。とっても可愛いです」

「……飯が、だよな?」


 うふふ。


「なんというお料理なんですか?」

「料理ってほどのもんでもないんだが……」


 そう言って、テーブルに並んだお料理の数々を紹介してくださいました。


「これがおにぎりで、こっちが味噌汁。これは玉子焼きだ」


「本当は焼き魚でも欲しいところなんだが」と、不服そうにアサギさんはおっしゃいますが、もうこれだけで十分立派な朝食だと思います。

 わたしの目にはスペシャルなフルコースに見えます。

 おにぎりは白くてまぁるくて三角で、とても可愛らしいフォルムをしています。

 お味噌汁というスープは初めて見ましたが、玉子焼きという料理は見たことがあります。オムレツです。


「どのようにいただくのがマナーでしょうか?」


 見たところ、ナイフもフォークもありません。

 チョップスティックスが一膳置かれているだけです。


「あ、箸は使えないか」

「いえ、大丈夫です」


 多様な文化に合わせられるよう、一通りの教育は受けています。

 ただ、あまり使用しないのでそこまでうまくはありませんが。


「オムレツは食べられそうですが、スープは難しそうです」

「味噌汁は、椀を持ち上げてそのまま飲んでくれ」

「それがマナーなのですか?」

「マナーというか……まぁ、普通の飲み方だ」


 なるほど。

 アサギさんの世界ではそうなのですね。

 では、アサギさんにご馳走していただく料理ですので、アサギさんの流儀に合わせましょう。


「わぁ……。すごく美味しいです」


 複雑な香りの中に、ほのかに魚介の旨味を感じるスープは、少し濃い味付けですが美味しく感じました。なんだかほっとする味です。


「では、次はオムレツを」


 わたしは、好きなものは最後にとっておくタイプです。

 可愛らしいおにぎりは最後のお楽しみです。


「オムレツじゃなくて玉子焼きな」

「何か違いがあるのですか?」

「どっちも溶き卵を焼いたものではあるんだが……あ、そうだ。俺の好みで、少し甘い味付けになってるぞ」

「甘いのですか?」


 甘いオムレツは初めてです。

 チョップスティックスを使って一口サイズに切り、口に運びます。


「……あまぁ~いです」


 まるでケーキのような甘さと口どけで、すごくわたし好みの味付けです。

 こんなオムレツは初めてです。

 なるほど、これが玉子焼きなのですね。オムレツとは別物です。


「醤油を入れて塩辛くすることも出来るが」

「甘い方がいいです。美味しいです、これ」


 二口、三口と、チョップスティックスが止まりません。

 よかったです。ナイフとフォークだったらなら、きっともうすでになくなってしまっていたことでしょう。

 チョップスティックスは、食べ過ぎを若干抑制してくれるいい道具ですね。


「おにぎりもチョップスティックスで?」

「いや、これは箸を使わずに手掴みで食ってくれ」

「素手で、ですか?」

「あぁ、ベーグルみたいにな」

「なるほど。ベーグルのように」


 一瞬、ライスを手で掴むことに躊躇してしまいましたが、ベーグルのようにと言われれば躊躇いもなくなりました。

 手掴みで食べるものなんて、たくさんありますからね。


 手で掴むと、しっとりとした温かさが指先にじんわりと広がっていきます。

 巻かれたノリが、いい香りです。

 丸みを帯びた三角の先端に齧りつくと、ヘアテールが思わずピコピコ動き出してしまいました。


「美味しいです」

「それはよかった。梅干し、大丈夫か?」

「この酸っぱい果肉ですか? はい、とても美味しいです」


 ほんのりと甘みのある酸っぱい果肉は、梅干しというそうです。

 正確には、梅のはちみつ漬けだと、アサギさんが説明してくださいました。


「馴染みのある食材が揃っていて、助かるよ」

「アサギさんと同じ世界の方も、何人かいらっしゃるんでしょうね」

「先人に感謝だな」

「では、わたしも感謝しておきます。こんな美味しいものに出会えましたので」


 味の感想を言っているうちに、あっという間に食事は終わりました。

 アサギさんはこれくらいの量で足りるのでしょうか?

 男性は、もっとたくさん召し上がるイメージがあったのですが。


「もしかして、わたしに分け与えたせいで量が減ってしまいましたか?」

「いや。もともと、朝はあんまり食べないんだ」


 お腹がいっぱいになると思考と体の動きが鈍る気がするそうで、アサギさんはいつもお腹六分目くらいに抑えているそうです。

 だからあんなにスリムなんですね。腰なんて、まるで女性のように細いですから。


「あ、そうです」


 大切なことを忘れていました。


「アサギさん。今朝の朝食なのですが、料金はどうしましょう?」


 これは正式なお誘いではないと、アサギさんはおっしゃいました。

 男性から食事に誘われた際、お食事の料金を女性が出すことは男性の名誉を傷付けかねないため厳禁と教わりました。

 ですが、今回はそういった特別なお誘いではありませんでした。

 でしたら、普段のランチのように食事代は折半するべきではないのでしょうか?

 一方的に施しを受けることは躊躇われますし。


「金なんかいいよ。ただのついでだから」

「そういうわけには……」

「じゃあ、ハーブティーを頼む」


 ハーブティーくらい、いくらでもおいれしますが……


「ツヅリの解釈だと、仕事と関係ないところでお前が俺にハーブティーをいれる必要はないことになるよな?」

「いえ、ハーブティーくらいでしたらいくらでも……」

「俺にとっての朝食も同じようなもんだ。朝食くらいいくらでも作る。手間じゃない」


 いえ、ものすごく手間だと思うのですが……

 実際、わたしは朝食を作るのが苦手で……というか、億劫で、パンかベーグルで済ませることが多いです。買い忘れた時は朝食を抜いたりします。


「俺の料理は、お前がハーブティーをいれるのと同じくらいの労力であり、同じくらいの価値なんだ」


 果たしてそうなのでしょうか?

 わたしは、ハーブティーをいれるのが好きなので一切苦はないのですが……

 もしかして、アサギさんもわたしと同じ、なんでしょうか?


 わたしは、どなたかにハーブティーを飲んでいただいて『美味しい』と思っていただけるのがとても嬉しいです。

 もし、アサギさんのお料理がそれと同じだというのなら、わたしがアサギさんのお料理を食べて『美味しい』と思うことで、アサギさんは喜んでくださるのでしょうか。


「あの。とても美味しかったです。アサギさんの手料理」

「…………そうか。………………おそまつさま」


 一瞬驚いたような顔をされた後、そっと視線を外されました。

 心なしか、ちょっとだけ嬉しそう…………だった、かも?

 回り込んで、アサギさんのお顔を拝見します。

 ……顔を逸らされました。

 回り込みます。

 ……今度は反対に逸らされました。

 回り込み……


「あんまり見るな」


 怒られてしまいました。


 でも、やっぱり少しだけ嬉しそうに見えました。

 なら、お言葉に甘えてもいいのでしょうか。

 また、アサギさんの作るお料理をいただいても、いいのでしょうか?


「アサギさんは、わたしと一緒にご飯を食べると、嬉しいですか?」

「ごほごほっごほっ!」


 アサギさんが咽ました。

 やはり風邪なのではないでしょうか?


「アサギさん、お医者様を……」

「大丈夫だ」


 大丈夫だそうです。


「あ~……なんだ。ツヅリ、お前……」


 小さく喉を鳴らし、アサギさんがわたしを見ます。


「たまに、朝飯抜いてるだろ?」


 なぜそのことを!?

 まさか、お腹が鳴っていたりしましたか? だとしたら、ものすごく恥ずかしいです。


「それは、その……やむにやまれぬ事情がありまして……」


 嘘です。

 買い忘れです。

 あと、億劫だからです。


「嘘だな」


 見透かされています!?

 さすがアサギさん。エスパー疑惑は伊達ではありません。


「腹が減って、昼時までずっとしおれている時があるからな」


 しおれて?

 一体何がでしょう? わたしが、でしょうか?

 え、わたし、たまにしおれているのですか? 自覚がありませんけれど?


「だからまぁ、食いたくない時以外は、あぁ……その、まぁ……一緒に、飯を食おう」


 それはとても素敵なお誘いでした。

 そんなご厚意に甘えていいのでしょうか。

 アサギさんへの負担が大き過ぎないでしょうか。


 そんなお誘いを受けて、心底喜ばしいと思っているわたしは浅ましくはないでしょうか。


 ですが、アサギさんのお料理はわたしのハーブティーと同じだとおっしゃいました。

 わたしは、毎日でもアサギさんにハーブティーを飲んでいただきたいと思っています。

 ということは、毎日朝食をご一緒することでアサギさんは喜んでくださるかもしれません。そういうことなのかもしれません。

 もしそうなのだとしたら、これは双方にとってよいこと、ですよね。

 もしそうなのだとしたら、それは、なんて素晴らしいことなのでしょうか。


 アサギさんの言葉を信じるなら、そして『アサギさんの迷惑になるのではないか』というわたしの勝手な思い込みを度外視するのであれば、わたしはアサギさんと一緒にご飯を食べたいです。


 そうです。

 それが、わたしの素直は気持ちです。

 今は、自分の素直な気持ちに正直になってみましょう。


「アサギさん」


 それに、きっとアサギさんなら、いつもの優しげな素知らぬ顔で受け入れてくださるでしょうから。


「わたし、毎朝アサギさんのお味噌汁が飲みたいです」

「ごふっ!」


 咽ました。

 アサギさん、ひょっとして、気管が弱い方なのでしょうか?

 心配です。


「……他意は、ないよな?」

「他意?」

「いや、なんでもない……。気にしないでくれ」


 こほこほと、軽い咳を繰り返すアサギさん。

 気になります。心配です。

 一度お医者様に診ていただくことをお勧めしたいです。


「たいしたものは作れないが、リクエストがあれば言ってくれ」

「アサギさんのお勧めが食べたいです」


 リクエストと言われましても、わたしにとっての朝食はパン以外に思いつきません。

 アサギさんにお任せする方が、きっと素敵な朝食になるでしょう。


「明日から、朝起きるのが楽しみになりますね」


 うきうきとした気持ちで一日が始まる。

 それはなんと素晴らしいことなのでしょう。

 アサギさんのさり気ない気遣いで、わたしの日常はとても素晴らしいものに変わりそうです。


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