言葉にしなければ伝わらない -4-
口下手で思いをうまく伝えられない人のための練習法がある。
気持ちを言葉にするのが苦手だという人は、緊張で言葉が喉に引っかかってしまうのだ。
だから、イメージトレーニングをして、言葉を吐き出す練習をすると効果がある。
経験することで、緊張というものは幾分和らぐものだからな。
「目を閉じて、思い出してみてください」
催眠術にかけるようなゆっくりとした口調で、ルチアーノさんの脳裏に映像がはっきり映るように誘導していく。
「あなたは家に帰ってくる。ドアを開けると、アレイさんが出迎えてくれる。さぁ、話しかけてあげてください」
「……今、帰った」
まぶたを閉じたまま、ルチアーノさんが恐る恐る声を発する。
そうだ。その調子で思ったことを言葉にしていくんだ。
「食卓には美味しそうなご飯が並んでいる。いつもアレイさんはどこに座っていますか? それもしっかり思い出してください。思い出したら、食事に手を付けましょう。いつものように……二人で食事をして…………さぁ、心に浮かんだことを言葉にしてみてください。失敗してもいいんです。なんでもいいから、言葉をアレイさんに届けてあげてください」
ひく、ひくっと、数度喉が動いて、ルチアーノさんは声を発する。
「美味しいよ……いつも、いつも、美味い食事をありがとう、アレイ」
「そう。その調子です。どうですか? アレイさん、嬉しそうな顔をしていませんか?」
「……している。笑っている……」
奥さんの笑顔を思い浮かべられるなら、まだ間に合う。十分やり直せるはずだ。
本当に冷え切った関係なら、想像の中でも微笑みかけてはくれなくなるものだから。
「さぁ、もっと気持ちを伝えて。思っていることを全部言葉にしてしまいましょう」
「アレイ。いつも感謝している。こんな俺といてくれること。よくしてくれること。申し訳なくなることもある。けど、やっぱり、感謝の方が大きい」
最初、ぎこちなかった言葉が、徐々に滑らかに口から出てくるようになる。
「俺ぁ幸せだよ、お前みたいな嫁がいて。本当に大切なんだ、アレイ、お前のことが」
ツヅリを見れば、嬉しそうに笑っていた。
この場にいる誰も、何も言わず、ルチアーノさんを見守っている。
「アレイの作ってくれる料理が好きだ。話しかけてくれるアレイの声が好きだ。アレイの笑顔が好きだ。光を反射する美しい鉄の肌が好きだ。失敗して恥ずかしそうにはにかむ顔が好きだ。アレイのする失敗だって、俺ぁ大好きだ」
実に惜しい。
録音機器でもあれば、このすべてをアレイさんに聞かせてやれるのに。
この言葉がアレイさんに伝われば、もう二度と離婚しようなんて考えは出てこないだろう。
「今日の服も、その、可愛いな。よく似合っているぞ」
気持ちの言語化に慣れてきたのか、ルチアーノさんはどんどんと感情を昂らせていく。
「けど、そのミニスカートはちょっと、アレじゃないか、なぁ? その、み、見えちゃいそうじゃないか、おパンツが、さ?」
……雲行きが怪しくなってきたぞ?
「アレイさんのおっしゃっていた、その、『攻めた服』というのも、きちんと見ていらしたんですね」
「……みたいだな」
何を思い出しているのか、ルチアーノさんのテンションが徐々に上がっていく。
「いや、俺ぁ嬉しいよ? 嬉しいけどけどさぁ、まだ夕飯前だし……えぇっ、そんな際どい服もあるのか!? うっひゃー、裸にエプロンってぇぇええ!」
……暴露してやんなよ、嫁の痴態を。同僚の前で。
「んはぁぁああ、太ももっ! 太ももチラリズムっ! いいっ! 良過ぎる! くわぁぁあああ! ぺろぺろしたい! ぺろりんちょしたいぃぃいいいい! よぉし、いただきまぁー……っ!」
「はい、そこまでっ!」
ルチアーノの顔面を鷲掴みにして強制的に黙らせる。
俺の隣でツヅリが真っ赤な顔をして俯いている。
ルチアーノの同僚もみんな気まずそうな顔でそっぽを向いている。
エスカラーチェだけが澄ました顔で佇んでいる。……あぁ、アレ仮面だっけ?
「もう十分だから。そんな感じで、『家で』自分の気持ちを全部言葉にしてこい。『家で』だ、いいな? 『家で』だぞ!?」
口を押さえられているルチアーノはこくこくと首肯を繰り返す。
ん? 敬語? さん付け?
必要ないだろう、このむっつり大暴走ガエルには。
ルチアーノの顔を解放し、ルチアーノの唾液と汗でぬめった手のひらをしっかりと拭きながら、まだ頬の赤みが抜けないツヅリをフロアの隅へと連れて行く。
今回の総括だ。
「結果として、二人は離婚する必要はないと結論付けてよさそうだな」
「そうですね。お二人は、その……誰も踏み入る余地がないほどに相思相愛ですものね」
妙なことを想像したのか、ヘアテールがぱたぱたと忙しなくはためいている。
「あ……でも」
舞い踊っていたヘアテールが、突如たらりと垂れ下がる。
「アレイさんがおっしゃっていた暴力というのは、なんだったのでしょうか?」
そうだ。
アレイさんは確かにDVを受けていたと言っていた。
けれど、見た限りあのルチアーノがそんなことをするとは思えない。
アレイさんの思い違いか?
いやいや、暴力は思い違いでは済まされない。実際に手を上げられているのだから。勘違いだなんてあり得ない。
じゃあ、どういうことだ……?
「みなさ~ん、お待たせなの~! 焼きたてのベーグルなの~!」
その時、たくさんのベーグルが載ったトレイを持ってカナが厨房から出てきた。
「一人一つずつあるから、順番に取ってなの~!」
と、ルチアーノの前を通り過ぎようとした時――
バチンッ!
すごい音がして、カナが「ひゃう!?」と悲鳴を上げた。
「どうした!?」
カナに近付くと、見開いた大きな目を白黒させていた。
なんだ?
今、何があった?
「あ、あの、ね……その、ツノガエル族のお客さんが……」
「俺が、なんだ?」
カナに指さされたルチアーノは事態が把握できていない様子で、きょとんとしている。
カナの持っているトレイに視線を落とす。一、二、三……ベーグルが六個しかない。
俺たちの分を除いて、七人の職人に一つずつベーグルを焼いてもらったはずだから、一つなくなっている。
……これは、もしかして。
「カナ。もう一つもらうぞ」
「は、はい。どうぞなの」
トレイからベーグルを一つ取り、そしてルチアーノの目の前へさっと差し出す。
次の瞬間。
バチンッ!
俺の手からベーグルが消えた。
真ん前から見ていたから、今度ははっきり分かった。
「ルチアーノさん?」
「なんふぁ……もぐもぐ……俺が……もぐ……なんだって……」
「ベーグル食ってる自覚、あるか?」
「ベーグル? そんなもん、俺ぁ食っちゃ………………もぐもぐ…………なんか口の中にある!?」
そうだ。そういえばそうだった。
たしか、ツノガエルは目の前に動く物体が近付くと無意識で捕食してしまう習性があったはずだ。
それで、毒や鉄なんかにも間違って食いついて、胃袋ごと吐き出す映像を見たことがある。
……ってことは。
「ツヅリ。アレイさんはDVに対してなんて言っていた?」
「えっと、たしか……『主人の前に回り込んだら、バチンと殴られた』と……」
「いや、違う。もっとよく思い出すんだ」
「よく、ですか? う~ん………………」
腕組みをし、ヘアテールを揺らして、ツヅリは真剣に考える。
そして、「あっ!」と声を上げた。
「『殴って』とはおっしゃってませんね。『バチンと……』とおっしゃっていました」
そう!
俺たちは前後の情報とその擬音のせいで勝手に思い込んでしまったんだ。『殴られた』のだと。
けれど、それは正確ではなかった。
きっと、食事中に目の前に回り込んだアレイさんに対し、ルチアーノは本能的に捕食を行ったのだ。
カエルの捕食、そう、長い舌を勢いよく伸ばしてエサにぶつける捕食方法で!
しかし、体格差を考えれば舌の力でアレイさんを口元へ運ぶことは不可能。結果、舌をぶつけるだけになってしまう。
それを、アレイさんは暴力だと思ってしまったんだ…………
つまり。
「種族間の理解不足、ってわけだな」
「えっと……では、どのようにご報告すればいいのでしょうか?」
調査をしたのだから、その結果を報告する必要がある。
その調査結果を見れば、アレイさんの不安もなくなり離婚危機は解消されるだろう。
だから、きちんと暴力に関することも勘違いだと教えてやらなければいけない。
あれは暴力なんかじゃない。
そう、あれは――
「アレは疎んでいるんじゃなくて、『お前を食べちゃうぞ』って愛のアピールだった――とでも書いておけばいい」
太ももをぺろぺろしたいとか言っていたし、まんざら嘘でもないだろう。
こうして、口下手とマイナス思考の相乗効果で離婚の危機に瀕していた一組の夫婦は無事離婚を回避し、以前にも増してラブラブ夫婦になったのだった。
報告を聞いてにこにこしていたツヅリには悪いが、俺は声を大にして言いたい。
もっとお互いを理解してから結婚しやがれ! ――と。
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