ぼちぼちなわたしたち -1-
アサギさんの正式雇用が決まってから、早いものでもう二週間が経ちました。
最初の案件であるアレイさんとルチアーノさんの相談を見事解決してみせたアサギさんは、やはり離婚相談員の素質があると思います。
わたしの目に狂いはありませんでした。
ちょっとだけ自慢したい気分です。
えへん!
「何かいいことでもあったのか?」
「どうして分かるんですか?」
窓際の席からこちらを見ていたアサギさんが、わたしの心を読んだようにそんなことを言い、わたしは少しびっくりしてしまいました。
一体、なぜ分かったのでしょうか?
「……ホント、無自覚なんだな、それ」
少し呆れたような声で言って、アサギさんはため息を吐きました。
何が無自覚だというのでしょう? 分かりません。
「ところでアサギさん。ここでの生活には慣れましたか?」
「あぁ、まぁ、ぼちぼちな」
ぼちぼち?
ぼちぼちとはどういう意味でしょうか?
「最高ではないにせよ、悪くはないって感じだ。それなりに満足のいく状態だって解釈でいい」
尋ねもしないのに、まさに今疑問に思っていたことの答えが飛んできました。
また心が読まれてしまいました。
もしかして、アサギさんって、人の心が読めるのでしょうか?
いわゆるエスパーという……そう考えると辻褄が合います。
……なるほど、そういうことだったんですね。
「アサギさんは、ひょっとして――」
「違う」
「まだ何も言っていませんよ?」
「絶対違う」
「否定するにしても、聞いてからにしてください」
「聞くまでもなく違う」
「アサギさん、実はエスパーだったんですね?」
「違う」
終始、自信に満ちた口調が変化しませんでした。
まるで、わたしが何を言うのかが分かっていたかのように……
やっぱり、エスパーなのではないでしょうか?
本当はエスパーなのに、その正体はヒミツにしなければいけないとか、そういうことかもしれません。
なるほど。
だからこそ、あそこまで頑なに否定されたんですね。
納得です。
「分かりました、アサギさん。絶対誰にも言いません」
「いや、だから違うっつってんだろ。聞けよ、人の話を」
大丈夫です。
アサギさんほど他人の心が読めるわけではありませんが、わたしだって空気くらいは読めるのです。
大丈夫です大丈夫です。心配無用です。
ちゃんと、「そーゆーこと」にしておきますね。
「あ、そうです。空気が読めるといえば、アサギさん」
「……どこから出てきた、『空気が読める』?」
「アサギさんがアレイさんに敬語を使わなかったワケ、あれには驚かされました」
精神的に弱っている女性は、親身になってくれる男性に心が揺らいでしまうことがあると説明され、また、そのような事例が過去に何度もあったと聞かされ、わたしはおのれの至らなさに愕然としました。
わたしは浅慮にも、丁寧に接すればどのような場面でも問題ない、などと思い上がっていたのです。
もし、アサギさんに教えていただかなければ、いつかわたしは、わたしのせいで離婚を決定付けてしまっていたかもしれません。
離婚協議中の夫が、相談員とはいえよその女に心揺れているなんて、奥様からすれば耐えられないことでしょう。
そんなこと、考えもしませんでした。
他人に寄り添うことが出来ていなかったわたしは、もしかしたら自分の善意を強引に押しつけていただけなのかもしれません。
押しつけられる愛情や親切など、迷惑以外の何物でもありませんのにね。
「わたし、アサギさんに出会えてよかったです」
「ん……まぁ、ただの知識、ただの経験だ」
どんな時でも偉ぶらない謙虚な姿勢が、アサギさんの魅力の一つだと、わたしは思います。
きっと、アサギさんはモテたのでしょうね。
優しいですし、それにお顔も整っていますし。本当に整ったお顔をされていますね。美と芸術の神がこぞって依怙贔屓したかのような造形美です。見れば見るほど綺麗なお顔です。
「アサギさんって、美形ですよね」
「ごふっ! ど、どうした急に……!?」
少し咽て、アサギさんが眉間にシワを寄せました。
もしかして、「おだてて何かを要求するつもりか?」とでも思われたのでしょうか? そんなつもりはありません。わたしはただ純粋に思ったことを口にしたまでです。
「違うんです、アサギさん。わたしは、初めて会った時から綺麗なお顔だなと思っていたんですよ? 普段は少し冷たい感じもしますが、笑うと瞳が優しくなって、素敵な笑顔だと思います。きっと、女性なら誰でもアサギさんに見つめられるとドキドキしてしまうのではないでしょうか?」
「ちょっ、待て待て待て! なんだ、いきなり!? なんの話をしているんだ」
「アサギさんはおモテになられたんだろうなぁ、と思いまして」
「別に……そうたいしたものではない」
まさか、自覚がないなんて!?
無自覚? 先ほどわたしに無自覚がどうのとおっしゃっていましたが、アサギさんこそが無自覚だったのですね。
無自覚モテです。
「モテないはずがありませんよ。お顔立ちが綺麗で、気が利いて、他人に寄り添う考え方が出来て、仕事面でも頼りになるんですから。アサギさんほどの優良物件、そうそういませんよ?」
「……っ!? い、いいから落ち着け! 座れ! 本当に、一体なんなんだ。求めてもいない賞賛は居心地が悪い。やめてくれ」
……はっ!?
わたしはまた、自分の善意を押しつけてしまっていました。
人は褒められれば喜ぶ――なんて、そうとは限らないというのに。
……ダメですね、わたしは。成長が見られません。
「すみません。以後気を付けます」
「あぁ……そうしてくれ」
少し赤らんだ顔を風で冷まそうとするように、アサギさんは窓を開けて外を眺め始めました。
もし、逆の立場だったらと考えてみます。
『ツヅリ。お前は可愛いな。すごく可愛い。笑顔が可愛い。ヘアーテールも可愛い。あぁ、可愛い。超可愛い』
…………照れますね。
アサギさんは、つい先ほどこのような辱めを受けていたのですか。
なんということをしてしまったのでしょうか、わたしは。
まずは謝罪をするべきでしょうか……
「美形って言ってすみません」
……そんな謝罪があるでしょうか?
褒め過ぎた分、ちょっと貶してみるのはどうでしょうか?
そうすれば、うまくバランスが取れそうな気がします。
しかし、困ったことに、アサギさんの欠点が見つかりません。なにか、貶せる部分はないでしょうか? アサギさんのためにも、なにか……なにか…………むむむ…………
「……アサギさん。申し訳ありませんが、見つかりませんでした」
「何がだ?」
「でも、後日改めてちゃんと貶しますから!」
「だから、なんの話だよ!?」
不甲斐ないです、わたし。
「ったく……ん?」
窓の外へ身を乗り出して、アサギさんが相談所前の道を見下ろします。
相談所の前には運河が流れており、大きな帆船がゆっくりと往来しています。
運河と相談所のビルの間、港から街の中心部へ続く道は、荷車や馬車が何台もすれ違えるように広く、そして頑丈に作られています。
そんなレンガの道を、見知った男性が一人、ものすごい勢いで走っていました。
「ルチアーノさん?」
「まさか、離婚の相談じゃないだろうな?」
果たして、アサギさんの予想は当たってしまいました。
ルチアーノさんは、当相談所へ入ってくるなり、担いでいた大きな荷物をテーブルに置くと、荒々しげに言い放ちました。
「俺ぁ離婚する! アレイのヤツ、とんでもねぇ遊び人だったんだ!」
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