言葉にしなければ伝わらない -3-
「ちなみに、奥様のことは何と呼ばれているんですか?」
「え……あ、いや…………まぁ…………」
なんてことはない質問にも、ルチアーノさんの口は重くすんなりとは開いてくれない。
想像していたように多弁な性格ではないようだ。
すれ違いの原因は、ここにあるのかもしれない。
「名前で呼んであげると喜んでくれると思いますよ。名前を呼んでもらうと、家事や世話をしてくれる『伴侶』が欲しかったのではなく、『あなた』が欲しかったのだと、そんな風に思えるそうですから」
それは、俺が成婚させたカップルの女性が言っていたことだ。
「おい」とか「お前」と呼ばれるのは、なんとも寂しいと言っていた。
「……そういうもの、なのか」
「そういうものみたいですよ」
仕事人間で不器用な男には、ちょっと難しいかもしれないが、理解しようとする努力くらいはしてもらいたい。
『なんでも自分の思い通りにしてもらおう』と考えてしまう夫婦の離婚率は極めて高い。
俺が成婚させた九百九十九組のカップルのうち、何割がそういう最後を迎えたか……
「ちなみに、奥様のどこが一番お好きなんですか?」
「なっ!? …………そ、そんなこと、ひ、人前で言えるか」
踏み込む前の小手調べなんだが……職人気質で口下手なルチアーノさんは固く口を閉ざしてしまった。
まぁ、こじ開けるけれども。
「好きなところがなければ、嫌いなところでもいいんですが……」
「ないわけじゃない! むしろ、嫌いなところがない!」
くわっと目を見開いて、ルチアーノさんは断言する。
そして、その直後に顔を赤く染め、視線を逸らす。
「いや、まぁあの、なんだ…………料理が、うまいんだ。あと、笑顔が……似合う」
なんてことはない。
旦那の方もアレイさんにベタ惚れだったのだ。
じゃあ、なぜ離婚を考えるほどにアレイさんが悩んでしまったのか。
そこを追求するために、少しだけ、踏み込む。
「その笑顔、最近見られていますか?」
「…………いや」
上気していた頬が熱を失い、ルチアーノさんの眉間にシワが寄る。……眉毛はないのだけれども。
「最近は…………俺が、不甲斐ないばっかりに……」
やはり、家庭の雰囲気は悪くなっているようだ。
しかも、それを自分のせいだと思っている。お互いに。
さて、不甲斐ないとはどういうことなのか。
「何か心当たりでもあるんですか?」
「ん…………まぁ」
話したくなさそうな雰囲気を感じたが、じっと見つめ続けたことで、ルチアーノさんは重い口を開いてくれた。
「俺ぁ本当に幸せ者なんだ。あんな別嬪な嫁さんをもらって、よくしてもらって、本当に、本当に幸せなんだ」
幸せだと語るルチアーノさんの顔は今にも泣き出しそうで、言葉とは相反する悲愴感を感じさせた。
ツヅリが、そっと俺の袖を掴んできた。
見守ることしか出来なくて、不安なのだろう。だが、耐えろ。今はまだ、俺たちが口を挟む時じゃない。
「けれど、俺ぁあいつになんにも返してやれてねぇ。あいつが喜ぶこと、何一つとして出来ちゃいねぇ。……結婚指輪すら、買ってやれなかった」
かんざし職人というのがどの程度の収入を得ているのかは分からないが、貧しいのかもしれない。指輪を買ってあげられないというのは、きっとすごく心苦しいのだろう。惨めな気分になるのかもしれない。
金銭的な負い目は、他人がどうこう言って考えが変わるものではないからな。
「あいつの指に合う指輪が、見つけられなかった」
「サイズの問題で!?」
金銭的なものじゃなかった!
確かに、あのサイズの指輪ってそうそうないかもしれないな。少なくとも俺は見たことがない。
「愛する妻にオシャレすらさせてやれねぇで……俺ぁ……自分が情けなくてよぉ……」
「それで、ルチさん。ずっと工房にこもってんだぜ」
肩を落とすルチアーノさんに代わって、ナイスミドルが口を開く。
ルチアーノさんを庇うように、彼の努力を教えてくれる。
「妻に似合う最高のかんざしを作ってみせるってさ。もう、二ヶ月くらいになるか……仕事が終わってから一人で工房に残って、試行錯誤してよ。な?」
「あ……まぁ、な」
その言葉に、俺はツヅリと視線を交わした。
ルチアーノさんの帰宅が遅くなったのは、それが原因なのだ。
アレイさんは避けられていると感じていたようだが。やはりお互いの気持ちがまったく伝わっていない。
「それで、ついに今日、完成したんだ。そうだ、あんたら見てくれるか? 女の目から見て、妻が喜びそうかどうか、聞かせちゃあくれないか?」
いそいそと、ルチアーノさんは鞄から大きなかんざしを取り出す。
……正直、ショートソードかと思ったが、かんざしらしい。
「素敵です。すごく綺麗な装飾ですね」
「確かに見事ですね。単純な技術以上の美しさを感じます」
ツヅリとエスカラーチェ、二人の女性から絶賛をもらい、ルチアーノさんは初めてほっとした表情を見せた。
「けど、あなたの奥様はアイアンゴーレム族、ですよね?」
髪の毛なんか、アレイさんには生えていなかった。
どうやってかんざしなど着けるつもりなのかと俺が問うと、ルチアーノさんは鞄から一枚の鉄板を取り出した。
そこに、ショートソードほどもあるかんざしを近付ける。
――ガキンッ!
硬質な音がして、かんざしが鉄板に張りついた。
「磁石を入れてみた」
「それは果たしてかんざしなのか……?」
「強力な磁石が必要だったが、そうすると今度は取り外す時にかんざしの方が壊れてしまって、それで試行錯誤するうちに二ヶ月もかかっちまったんだ」
「苦労したのは分かるが、それは果たしてかんざし……いや、なんでもいいんだけどさ」
本人が納得しているならもう何も言わないが……
いいのか、自分の嫁の頭に磁石が張りついている状態で? いいのか、そうか。
「俺ぁ、かんざしを作るしか能がねぇ男だ。気の利いたことなんか一つも言えねぇ。あいつを喜ばせてやることも、たぶん出来ねぇ。けど、どうしても、あいつには、世界で一番綺麗なかんざしを身に着けていてほしかった。俺の生涯をかけた最高のかんざしを」
その思いの強さは痛いほど分かって、びしびし伝わってきて、でもだからこそ、もどかしく思えた。
「ルチアーノさん。若造が偉そうなことを言うようで恐縮ですが」
そう前置きをして、俺はルチアーノさんに告げる。
この夫婦を取り巻く不幸の根源を。
「最高の贈り物とか、特別な物とか、そういうのを大切にしたい気持ちは分かります。ですが、結婚をしたら、その日からあなたたちは毎日夫婦なんです。たまに来る記念日だけを祝う関係ではないんです。なんでもない日も、調子がよくない日も、最悪な気分の日も、ずっと変わらず夫婦なんです」
小さな体で大きな目をぱちくりさせるルチアーノさんにはっきりと忠告しておく。
「言葉は口にしなければ伝わりません。特別な日のために毎日を蔑ろにしてしまったら、その時間だけあなた方夫婦の心は離れ離れになってしまうんです。そばにいても、どんなに想い合っていても、言葉にして伝えてあげなきゃ不安にもなりますし、傷付くことだってあるんです」
「そう……なの、か?」
何もしなければ傷付けることはない。なんてことはない。
何もしないことが相手を傷付けるなんてことは、数え上げたらきりがない。
「最高の贈り物をしようというあなたの気持ちは素晴らしいと思います。けれど、特別な日に想いを伝えるのではなく、毎日想いを伝えて、特別な日には特別な想いを伝えるようにしてあげてください。そうすれば、奥様は今の十倍、いや、百倍はあなたに笑顔を見せてくれると思いますよ」
「毎日想いを……」
かんざしをぎゅっと握り、ルチアーノさんは寂しそうな声を漏らす。
「そんな資格、俺にはないと思っていた。オシャレすらさせてやれない甲斐性なしにゃ、自分の想いを告げる資格すらないんだと……」
「そんなことありませんよ」
ツヅリが、たまらずといった雰囲気で口を開く。
ずっと堪えていたのであろう感情を、まっすぐにルチアーノさんにぶつける。
「人を愛することにも愛されることにも、資格なんかいりません。あふれてくる思いをそのまま素直に伝えてあげてください。そうすればきっと、あなたとあなたの大切な人は今よりもっと笑顔になれるはずですから」
ツヅリの言葉を受けて、ぐっとまぶたを閉じるルチアーノさん。
そして、微かに震える唇で、恐る恐る言葉を発する。
「いい、のかぃ……思っていることを、素直に伝えて……こんな、甲斐性なしが、あんな出来た嫁さんに、偉そうに、自分の想いを……」
「構いませんよ。きっと、アレイさんもそれを待っていますよ」
そこでアレイさんの気持ちを確信持って代弁しちまうと、俺たちがアレイさんと面識があるとバレかねないんだが…………まったく、やっぱりツヅリに嘘なんか無理なんだろうな。
幸い、ルチアーノさんは不審には思っていないようだけれど。
「……けど、どうやって言葉にすればいいのか……俺ぁ、不器用だからよぉ」
「じゃあ、練習してみましょうか」
ルチアーノさんの顔を見つめ、俺はまたしても営業用の笑みを浮かべる
そういうのは任せておけ。相談員の得意分野だからな。
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