言葉にしなければ伝わらない -1-

 少々錆びた鉄階段を上がっていく。


「室内からも上がれるんですが、すみません、三階は立ち入り禁止にしていますので……」

「構わねぇよ」


 このビルの三階はツヅリのプライベートフロアだ。外階段でもなんら問題ない。

 三階から屋上へ出る扉は内側から施錠されており、その情報屋も三階へは入れないらしい。そりゃそうだ。当然だ。

 どこの馬の骨とも知れない情報屋なんかが自由に出入りできるのはおかしい。あってはならない。

 そいつがツヅリの彼氏でもない限りは……


「……ちなみに、そいつとお前は、どういう関係なんだ?」

「関係、ですか?」

「まぁ、言いたくなければ聞かないけれど」

「いえ、そのようなことは。ただ、関係と言われますと…………大家と店子、でしょうか?」


 ただ、屋上を貸しているだけ。

 そのような関係らしい。


「ですが、いろいろ助けてくださっているので、お友達……と、わたしが勝手に言っていいのかは分かりませんが、親しくさせていただいているとは思います」


 なんとも微妙な関係らしい。

 そうこう言ううちに、俺たちは外階段を上りきり屋上へ到達した。


「おぉ……」


 ビルの屋上と言うから、雨ざらしで薄汚れたコンクリートの床や壁を想像したのだが、そこは一面が緑で覆われた美しい場所だった。

 あちらこちらで花が咲き乱れ、一角には畑らしきものがあり、数種類の野菜が見事に実っていた。

 手入れの行き届いた庭園のような風景に、しばし見入ってしまった。


「見事だな」

「ですよね。わたしも、よくお邪魔させていただいているんです。温かくなる頃には綺麗なバラが咲くんですよ」


 屋上の奥、おそらく三階の内階段へ繋がるのであろう扉の前にはバラのアーチが設けられており、あそこに花が咲けば、それは美しいのだろうことは容易に想像が出来た。


 ここに住んでいるのは、情報屋じゃなくて庭師か植物学者なんじゃないか?


「この時間なら、おそらくご在宅でしょうから、早速訪ねてみましょう」


 言いながら、ツヅリが庭園を抜けてそこに建つ一軒家に近付いていく。

 一軒家というか、プレハブ小屋のような小さな建物だが。

 その小屋は二階建てで、二階は一階の約三分の二程度の大きさで、つまり割と広いバルコニーがあるらしい。


「ごめんくださ~い」


 ツヅリが呼び鈴を鳴らすと、すりガラスが嵌め込まれた引き戸に情報屋の影が映る。

 一体どんなヤツが住んでいるのか……


 ガラス戸がゆっくりとスライドしていき、そいつが姿を現す。


「おや、大家さん。ごきげんよう」


 中から出てきたのは、すらりとした女性。

 彼女が身に纏っているのは、ボディラインがはっきりと表れるような、どことなくフラメンコの衣装に近しい印象のドレスで、薄手で体にフィットしているのに袖と裾だけがふわりと広がっている。

 足首までを覆うスカートはヒザ付近からゆったりと膨らみを見せているため、ウェストから太もものしなやかなラインがより強調されている。

 少々目のやり場に困るような衣装だ。


 だが、それ以上に目を引くのは――


「おや、あなたもご一緒でしたか、サトウなにがしさん」


 こちらを向いた、仮面。


 彼女は、無表情の仮面をつけていた。

 真っ白な仮面に、鮮やかな緋色の文様が描かれている。

 目を縁どる赤は無表情な仮面を妙に色っぽく見せ、見る角度によって複雑にその表情を変えさせた。


「仮面……?」

「何を今さら……あぁ、そうですか。記憶の混在が起こったのですね」


 その口ぶりからするに、俺は彼女に会ったことがあるらしい。

 すっかり記憶から抜け落ちているが、そのことを責めるつもりはないようだ。


「アサギさん。彼女はエスカラーチェさんです」

「すでに会ったことはあるようだが、お察しの通り記憶に残っていないんだ。すまないが、初めましてとあいさつをさせてくれ」

「おや、あなたはそんなに礼儀正しい方だったのですね? 私は思い違いをしていたようです」


 くすくすと、妖艶に肩を震わせてエスカラーチェは笑う。

 以前の俺は、どんな人間だと思われていたのだろうか。


「女性の胸の膨らみにしか興味のない変質者かと思っていました」

「どんな人間だと思われてたんだ、俺は!?」

「平たく言えば、むっつりスケベかと」

「酷い誤解だ!」


 何を仕出かしたんだ、以前の俺!?

 ……そりゃまぁ、こんな体のラインがモロに出る衣装で目の前に現れられりゃ、自然と視線が向かうこともあったかもしれ、な………………膨らみ?


「膨らみが見当たらないのだが?」

「そうそう、以前もそうやって不躾に人の膨らみを凝視されていたんですよ、このむっつりスケベ」


 なるほど。

 要するに、以前もこんな風に睨み合いながら罵り合っていたわけか。

 なんとなく理解したよ。

 お前のことは、たぶんなんとなく気に入らないってことをな。


「あの、お二人とも、それくらいで……」


 俺たちの間に割って入り、「まぁまぁ」と場を収めようとするツヅリ。

 おそらく、以前もこんな感じだったのだろう。


「それで、本日はどのようなご用向きで?」


 ツヅリに言われたからか、エスカラーチェはこちらに向けていた剣呑な雰囲気をぱっと消し、澄ました声で言う。

 うっすらと分かってきた。こいつはツヅリと俺の扱いに大きな差がある人間なんだな。

 ツヅリは好きだが、俺は気に入らない。いや、ツヅリが好きだからこそ俺のことが気に入らない。そんなタイプなのだろう。

「サトウ某さん」とか、当てつけのように言ってたしな。きっとそうだ。


 学生の頃にこういうタイプの女によく絡まれていたから分かる。「私の友達にちょっかいかけないでよね」とわざわざ絡んでくるタイプだ。こっちはその『友達』とやらにちょっかいをかけた記憶などないのだが。


 こういうタイプとは、上辺だけの薄い関係でいる方がいい。

 仕事で必要だから助力を乞う。邪険にする必要もへりくだる必要もない。

 あくまで対等に。あくまで事務的に。


「実は、情報が欲しいんだが」

「私は、上からナナジュウ……」

「そんな情報は欲してない!」


 誰がお前のスリーサイズなどを知りたがるか!

 俺にむっつりスケベのレッテルを貼るな。違うから!


「まさかとは思いましたが、大家さんの情報を欲するとは……ド変態」

「勝手な決めつけで罵るな」

「仕方ありません、これも仕事です。上からキュウジュウ……」

「だから違うと言っている!」


 何を口走ろうとしているんだ!?

 で、お前も少しは焦ったらどうだ、ツヅリ?

 スリーサイズを暴露されそうになったんだぞ? …………気付いてないのか? 警戒心がなさ過ぎるだろう。……目を離すのが不安になる生き物だな、まったく。


 ……………………『キュウジュウ……』?

 ……いや、今はそんなことはどうでもいい。忘れよう。

 …………そうか、キュウジュウ以上か。


「……むっつり」

「うるさい!」


 やましい部分を指摘され、思わず声が大きくなった。

 ……この仮面女、苦手だ。業務上の付き合いも難しいかもしれない。


「ツヅリ、説明を」

「はい」


 苦手意識が先行したため、ツヅリに説明を丸投げする。

 ツヅリが相手なら、エスカラーチェもまともに対応するだろう。


「――なるほど。それで、相談者であるアレイ女史の配偶者の情報が欲しいというわけですね」

「はい。……分かりますか?」

「無論です。そうですね、明日、場所を設けましょう。食事をしながらの方が人は口が軽やかになるという研究結果が出ていますので、『トカゲのしっぽ亭』で会食をしながら、職人たちの話を聞けばいいでしょう」

「ありがとうございます。では、お願いしてもいいですか?」

「はい。お任せください」


 微笑むツヅリに、エスカラーチェは膝を曲げて恭しく礼をした。

 姿勢のよさや所作を見るに、どこかでしっかりと礼儀とマナーを学んだお嬢様のように思える。


 そんなことを思っていると、無表情の仮面がこちらを向いた。白い仮面の上を、黒い髪が滑る。いや、黒じゃないな。

 肩口で短く切り揃えられた髪は、黒に見えていたがよく見れば濃紺に近い色合いだった。


「なかなか面白い案であると思います。微力ながら、助力いたしましょう」

「え? ……あぁ、よろしく頼む」


 褒められたのだと気付くのにちょっと時間がかかった。

 呆けているうちに、エスカラーチェは踵を返して自宅へと戻っていった。


「では、わたしたちも戻りましょうか」


 ツヅリに言われて、俺は屋上を後にした。

 空はうっすらと赤く染まり、買い物はやはり後日になるだろうなと思った。






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