一章
離婚相談所の業務内容 -1-
【求人用履歴書】
名:アサギ
性:サトウ
年齢:二十五歳
性別:男
住所:不定
志望動機:特になし
「こちらが、アサギさんが提出してくださった履歴書です」
「酷いな……」
ご自分で書かれた履歴書を見て眉根を寄せるアサギさん。
わたしたちは今、事務所に戻ってきて来客用のテーブルを挟んで向かい合って座り、美味しいハーブティーを飲んでいます。
事務所を見た時にアサギさんが「なんだ……ホームって、職場か……」と安堵の息を漏らしていましたが、すべての拠点となる場所をホームと呼ぶのは不思議なことなのでしょうか?
「これでよく採用しようと思ったな」
「お話をして、アサギさんの人となりは十分理解できましたから」
アサギさんは、つい先日この神が創りし『世界』へやって来たばかりだとおっしゃっていました。
それまで住んでいた異世界では多くの人と関わるお仕事をされていたそうで、わたしの仕事にも理解を示してくださいました。
「それに、実を言うとまだ本採用ではなかったんです。先ほどのご夫婦の案件を一緒に受け持って、その仕事ぶりを見て判断してほしい――と、アサギさん自身が提案されて、一週間ほど一緒にあのご夫婦の相談に乗っていたんですよ」
この相談所の従業員はわたし一人です。
これまでは思い通りにいかず、満足いく結果に終わらなかったことも多々ありました。いえ、ほとんどがそうだったかもしれません。
わたし一人では限界があるのではないか。
そもそも、わたしには無理なのではないか。
一所懸命なんていう言葉で保身をしても、結局わたしがやっていることはいたずらに誰かを傷付けているだけなのではないか。
そう思ってしまうことも少なくありませんでした。
この事務所も、畳んでしまおうかと思っていたのです。
そんな時現れたのが、アサギさんでした。
「今回の調停はお見事でした。お二人とも、柔らかな笑顔で帰っていかれましたね」
あれこそが、わたしが求めていた結末でした。
わたしがこれまで一人で思い悩み、散々苦労して、それでもうまく出来なかったことを、アサギさんはいとも容易く成し遂げてしまわれたのです。
ご自身がおっしゃったように。
「覚えてないかもしれませんけど、アサギさんは最初にこうおっしゃったんです。『俺はそういうのが得意だから』と」
「とんだ自信家だな。自覚がないだけに、自惚れが寒々しいよ」
「いえ、そんなことはありませんよ」
だって、アサギさんがそう言ってくださったのは、わたしが悲観的になって、この事務所を畳もうと思っていることを話した後でしたから。
自分には向いていない、もう辞めるのだと。
だから、あなたを雇うことは出来ないのだと、そう言った後でしたから。
「とても頼もしかったですよ」
わたしの未練が表情に出ていたのかもしれません。
あれはきっと、わたしを救うために……わたしにもう一度だけチャンスを与えるために言ってくださった言葉だと思いますから。
わたしには、そう思えました。
「…………そうか」
小さく呟いて、豪快にカップを掴んで口を付けるアサギさん。
あ、そんな飲み方をしたら……
「熱っ」
アサギさんは唇を押さえ、こちらをちらっと見て、そして不機嫌そうに視線を逸らしました。
神様が総出で磨き上げたのではないかと思えるほどに整ったお顔立ちのアサギさんですが、時折こうやって不器用な一面を見せ、その後は決まったように不機嫌な顔で恥ずかしさを隠そうとされます。
わたしはそのギャップがとても愛らしいと思っているのでした。
「アサギさんは、可愛いですね」
「はぁっ!?」
大きく目を見開いて、何かを言おうと口が微かに開閉しましたが結局何も言わず、アサギさんは視線を顏ごと逸らしました。
「……そんなわけないだろう」
ソファの手すりで頬杖を突いてそっぽを向くアサギさん。耳の先がほんのりと色づいています。
アサギさんはあまり褒められることに慣れていないのかと思うと、なんだか心がムズムズとしてきました。無性に可愛く思えて――わたしがもっともっと褒めてあげなくてはと、使命感が湧いてくるようでした。
それがなんだか楽しくて、思わずヘアテールが揺れ動きました。
「ん?」
その途端、アサギさんがわたしの髪を見つめます。
左右の耳の上で結んだ髪の束、ヘアテールを見つめています。
たしか、初めてお会いした日にも同じように見つめていましたね。アサギさんは揺れるヘアテールがお好きなのでしょうか?
少し多めに動かしてみます。
ぱたぱたぱた……
ふふ。
アサギさんの視線がヘアテールにつられて上下しています。
乳幼児の前でやると、今のアサギさんと同じような反応をされます。ふふ。アサギさん、やっぱり可愛いです。
「……耳?」
「髪ですよ」
「前髪とかも、動くのか?」
「くすくす。前髪を意識して動かせる人なんているんですか?」
「いや、じゃあそのツインテールは……いや、ツーサイドアップだからツインテールじゃないのか…………んぁああ!」
もどかしそうに頭を抱える仕草は、以前とまったく同じです。面白いほどに前回の時と同じ反応をなさいます。
アサギさんはとても素直な方なのでしょうね。そういうところも好感が持てます。
「わたしはこれを『ヘアテール』と呼んでます」
「ヘアテール……太刀魚?」
「たちうお?」
「いや、なんでもない」
たしか、以前は「ラージヘッド」と呟かれたのですが……一体なんのことなのでしょう?
「それで、質問をしてもいいか?」
「はい。なんでも」
遠慮がちに挙手をして、アサギさんがわたしへと向き直りました。
「ここは、何をする会社なんだ?」
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