神が統合せし『世界』へ -2-
「アサギさん! サトウ・アサギさん!」
名を呼ばれ、意識が途端にはっきりする。
粘度の高い沼の底から一気に引き上げられたかのように、強引に別の空間に引きずり出されたような不快感と酩酊感に動悸がする。
なんだ?
俺は、死んだ……んじゃ、ない、のか?
「早くお二人を止めないと!」
肩を揺すられて、声のする方へ視線を向けると――息をのむような美少女がそこにいた。
作り物めいた神秘的な造形美。ふわっと軽そうな明るいブラウンの髪に包まれたそいつの顔は現実味がないくらいに整っていて、日本にあふれていた創作上の美少女画を彷彿とさせた。
しかし、目の前のそいつは確実にそこに存在し、俺を見つめ、俺の名を呼んでいる。
「……誰だ?」
「へ? ……あっ、もしかして記憶が混在していますか?」
「記憶が、……混在?」
「あぁ、なんてタイミングで……でも、仕方ないですよね。『世界』の統合に巻き込まれた異世界人は、そのほとんどが記憶の混在を起こすと言われていますし」
異、世界?
こいつは何を言っているんだ?
何か、そういうアニメの影響でも受けているのか?
そういえば、着ているものもどこか装飾過多で実用的ではない。いわゆる『コスプレ』ってやつなのだろうか。
髪型は、左右の髪を耳の上で結んで垂らしているツーサイドアップだ。
「とにかく、あとで必ず説明します。アサギさんが必要だと思われることにはすべてお答えします。ですから今は――」
ツーサイドアップの少女が真剣な表情で、自身の前方を指さす。
俺にとっては後方だ。
「お二人のケンカを止めましょう。こんな終わり方は、悲し過ぎます」
少女の言葉に促されるように振り返ると――
怪獣と怪獣が戦っていた。
「んなっ!?」
喉の奥から変な音が出たが言葉にはならなかった。
なんだこれは? どうなってるんだ?
それぞれ身長は3メートルを超えているだろうか。
怪獣というには小柄だが、とても人間が衣装を着ているとは思えないデカさだ。
ロボットかとも思ったが、あまりにリアルな傷口や口から吐き出される炎、そして飛び散る唾液がそれを否定している。
目の前で死闘を繰り広げているのは、紛れもなく本物の怪獣だ。
「なんなんだよ、これ……」
「夫婦喧嘩です」
「はぁ!?」
あまりに理解しがたいワードに、思わず野太い声が出てしまった。
これまで、結婚相談員としてしか他人と関わってこなかった俺が決して出さなかったような素の声だ。
しかしそれも仕方ないだろう。
この怪獣同士の死闘が、夫婦喧嘩だと?
「早く止めないと、お二人は最悪の形で離婚されることに……」
「離婚って……」
こんな強烈な死闘を繰り広げるほど憎み合っているんならさっさと離婚してしまえばいいだろう。
「お二人には幸せな離婚をしていただきたいんです!」
「幸せな離婚……だと?」
こいつはさっきから何を言っているんだ?
そもそも、離婚とか幸せとか、そんなことを言っている状況ではないだろう。
早く逃げなければ巻き添えを食らってこっちまで危険な目に……
「わたし、止めてきます!」
「えっ?」
止める間もなく少女は走り出した。
口から炎を撒き散らしながら暴れ狂う怪獣たちの真ん中を目指して。
瞬間、突っ込んでくるセスナを背にこちらを見つめる塩屋の顔が脳裏に浮かんだ。
んっだよ、ちきしょう。
俺が何も出来ずに突っ立っている間に、人の目の前で勝手に死ぬような真似すんじゃねぇよ。
死んだと思ったから、諦めちまったんだ。
助けられなくても仕方ないって。
けど、どういうわけか俺は生きていて……あいつがどうなったのかは分からないけど……今は、何かをする余地があって……
出来ることがあるのに何も出来ない無力感なんて、こっちはもう金輪際御免なんだよ。
「待て!」
前を走る背中を追いかけて、その細い腕を掴む。
びっくりするくらい華奢で、思っていた以上に体温が高い。
こちらを振り返った少女は、焦りをにじませた表情をしていた。
はぁ……嫌になる。
あんな『オバサン』なんか、どうでもいい人間だと思っていたはずなのに。
『あんたさえいなけりゃよかったのに』
生まれてからずっと言われ続けた言葉が、脳みそにこびりついて剥がれない。
いつまでもじくじくと鈍く疼く。
認められたくて、誰かに必要とされたくて、けどそんな自分の感情を認めたくなくて、知らん顔して必死に生きてきて……一度は終わったと思った人生なのに…………まだ引きずるのか、俺は。
「俺に任せとけ」
こんな、見ず知らずの少女が相手であっても。
背を向けられて、それが遠ざかっていくと……「お前はいらない」って言われている気がするのかよ。
馬鹿だな、俺は。
こんな怪獣の戦いを、俺がどうやって止めるってんだよ。
けどまぁ、任せとけって言っちまった以上はなんとかしないと……さて、どうしたものか。
「あ~……」
こんな怪獣に言葉が通じるとは思えないが。
「ちょっと落ち着いて話を聞いてくれないか? なんで、戦っているんだ?」
「「離婚したくないからだ!」」
怪獣が揃ってこちらを向き、二頭同時に同じことを叫んだ。
言葉、通じた……な。
「離婚したくないから……ケンカをしているのか?」
「あぁ、そうだ! 離婚しないためにオレはこいつを殺す!」
「冗談じゃないよ! アタシがあんたを殺すのさ!」
「「そして、その後で自分も死ぬ!」」
「あぁよし、分かった、ちょっと待ってくれ……状況を整理する」
こいつらが何を言っているのか、まったく理解が出来ない。
出来ないが、話が通じるのであればやりようはあるはずだ。
「憎しみ合って、殺し合ってるわけじゃないのか?」
「さすがにそこまでは思っちゃいねぇよ」
「アタシもさ。ただ、手続きが」
「あぁ、手続きがな」
眉間にシワを寄せてうんうんと頷く怪獣二頭。
「手続きっていうのは、離婚の手続きか?」
「そうだ。財産分与だ、離婚協定だと……くぁああっ、煩わしい!」
「役所に届ける書類だってこんなにあるんだ」
と、どうも妻であるらしい怪獣が親指と人差し指で書類の束の分厚さを訴えてくる。
異世界でも、離婚には諸々の手続きが必要なようだ。それを受理、管理する役場もあるらしい。
……この怪獣が役場に並ぶのか。シュールだな。
「だから殺す! 手続きが面倒くさいから!」
「けれど、人を殺せば罰せられる。だから自分も死ぬ」
「「二人で話し合ってそう決めたんだ!」」
息がぴったりなこの怪獣夫婦は、どうやら自分たちの不始末を第三者に丸投げしたいらしい。
しかし、なんとも短絡的で、なんとも潔い……平たく言えば『馬鹿』だな。
「なら、一つ提案なんだが……、離婚をやめたらどうだ?」
「「へ?」」
怪獣二頭が似たような顔で、同じように目を丸くする。
そして、ぽかんと口を開いたまま互いの顔を見合う。
「いやいやいや! だって、離婚するって息巻いて、いろんなヤツらを巻き込んでよ!」
「そうよ! それなのに、今さらこっちの都合で……それも面倒くさいからなんていい加減な理由でさ、やっぱりやめるなんて言えないじゃないかさ!」
「あぁそうだ! これ以上迷惑はかけられねぇ! オレたちはすっぱり離婚する!」
「けれど離婚は面倒くさいから殺す! そしてアタシも死ぬ!」
「はい、ストップ! 離婚をやめても迷惑じゃないから。拳を下ろしてくれ。火も吐くな」
一言一言、はっきりと言葉を口にする。
いいから聞け。
「結婚をするのも離婚をするのも個人の自由だし、逆に離婚をやめるのも自由なんだ」
周りを巻き込んでしまった場合は、個人の自由の範疇を超えることはあるが、それにしたって基本的なところは変わらない。
「あんたたち二人の人生だ。他人のことを考える前に、もう一度二人で話し合ってみたらどうだ? 結婚生活を続けるのと面倒くさい手続きを全部クリアして離婚するのと、どちらの方が許容できそうかを。なんなら、一度は愛し合って結婚までした相手をその手にかけるって選択肢を入れてもいい。あんたらの人生にとって、あんたら二人にとって、一番いい選択をすればいい。俺はそう思うけど、あんたらはどうだ?」
強くはっきりした語調は、終盤になるほど柔らかく諭すような口調に変化させる。
訴えと諭しを使い分けて、波立つ心を落ち着かせる。
感情だけで先走る短絡的な相談者相手に大変役立った話法だ。
「ま、それで、構わないってんなら……なぁ?」
「そう、ね……あなたたちが、それでいいって言うなら……ねぇ?」
遠慮がちにこちらに視線を向け、怪獣が二頭視線を合わせて照れくさそうに笑みをこぼす。
「あなたたち」というのは、俺とツーサイドアップの少女のことか?
なぜ俺たちがそこで出てくるのかは分からないが、この傍迷惑なケンカが収まるなら背中くらいいくらでも押してやる。
「いいも何も、何度も言っているだろう。あんたらの人生だ」
「そっか……、へへ。なんか、あれだな。悪いな、なんか」
「そうね。こんなに騒ぎを大きくしちゃって。やだ、恥ずかしいわ」
怪獣夫婦はほぼ同時に愛想笑いを浮かべて頭をかいた。
似たもの夫婦だ。同族嫌悪というやつかもしれない。
「もし、面倒な手続きをしてでも離婚したくなったら、またその時考えればいいと思うぞ」
「じゃあ、そん時はよろしくな、兄ちゃん」
「そうね。この次も是非依頼させてもらうわ」
今日くらいは二人で仲良く美味いものでも食えと、怪獣夫婦を送り出す。
これで、ケンカが再発しても俺が迷惑を被ることはないだろう。
なんとか終わったなと振り返ると――
「アサギさんっ!」
ツーサイドアップ少女に飛びつかれた。
細い腕が背中に回されて全力で抱きつかれる。胸に、信じられないくらいの物量が押しつけられる。
「ちょっと待て!」
少女の両肩を持って力任せに引き剥がす。
無邪気な瞳が俺を見てキラキラ輝いている。
……無邪気は時に凶器だな。
「悪いけど、お前の言うところの『記憶の混在』ってので状況がまったく飲み込めていないんだ。まずは状況と現状と気持ちを整理させてくれ」
甘い匂いがしてあっちこっちが柔らかいお前に抱きつかれていてはそれが出来ない。
恋や愛になんの理想も抱いてないとはいえ、何も感じないわけではない。
正直、こういうタイプは苦手だ。
「では、きちんとご説明するためにも一度帰りましょう。わたしたちのホームへ」
……え?
同棲してんの、俺?
俺の『世界』での生活は、そんなこんがらがった思考と共に始まった。
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