縁、解く。異世界離婚相談所~現世で999組を成婚させた末、異種族夫婦の離婚問題に取り組みます~
宮地拓海
プロローグ
神が統合せし『世界』へ -1-
東京都某所。
小雨にみぞれが混じるような、そんな寒いある日。
俺は勤務先である結婚相談所の事務所の椅子に座り、向かいに座る相談者、塩屋の顔を見つめていた。
一体何を言われるのかと戦々恐々とした表情。しかしその一方では、興味深そうな視線を俺の眉間へと注いでいる。俺のしかめっ面が珍しいとでも言いたげに。
「今回も、ダメですか?」
「えぇ……ちょっと」
時刻は十八時。
十四時からセッティングした見合いを終え、店を出ると同時に塩屋から「今回の人は無理です」と伝えられ、ぶち切れそうになる感情をなんとか我慢して、「ちょっと話しましょう」と塩屋を車に押し込んで、この事務所が入居している雑居ビルへと連れてきたのだ。
事務所に入って、暖房をつけて、塩屋にお茶を入れてやって、今日お見合いをした相手のデータが印刷されたプロフィールシートをプリントアウトして、塩屋の向かいに座るまで、俺は一言も言葉を発することはなかった。
そして、開口一番に出てきた言葉が、さっきのアレだった。
「悪くない相手だと思いましたけどね。というより、こんなに条件のいい女性は他にいないと思いますが」
一応、敬語を崩さないよう心がけて塩屋に語りかける。
今回の相手は、正直切り札のような人物だった。栄養士の免許を持ち料理の腕はプロ級。裁縫も得意で家庭的。見た目も十人中十人が「いい」と言うであろう女性。もちろん性格にこれといった欠点は見当たらず、むしろ今どき珍しいくらいの謙虚さと人当たりのよさを備えている。
妙なこだわりのために何度も何度もうまくいきかけた見合いを蹴り続けた気難しいこいつでも、あの女性であれば文句なくOKするだろうと、俺は確信していた。
ただ一つネックだったのが……
「やっぱりアレですか? 彼女の両親との同居がネックでしたか?」
両親との同居が可能であること。それが、その切り札女性が提示した唯一の条件だった。
ただ一つにして、最大級の爆弾。
塩屋もおそらくそこが気に入らなかったのだろう……
「僕は、大家族に憧れがありますから、同居は望むところ、と言いますかむしろこちらからお願いしたいくらいで」
「じゃあ、どうしてですか!?」
思わずテーブルを殴っていた。
最大級の不安要素をクリアして、なぜ断るのか。俺には理解できなかった。
この塩屋虎吉という男。
見た目はパッとしないまでも、さほど悪くはない。性格に難があるわけでもなければ、ギャンブル依存や女性関係でのトラブルも皆無。酒もタバコも、その他金のかかる趣味も一切やらない。無難と言われればそれまでだが、この業界的には十分に優良な存在なのだ。
だが、こいつは今回、今日、ついさっき、お見合い失敗百連続を記録しやがった。百連敗だ。
俺がこいつの担当になる以前に、こいつはすでに九十連敗していた。
「百連敗は避けたいですよねぇ」なんて、笑って自己紹介していたこいつを、俺は舐めていた。俺の手にかかれば、次の一回で成婚できると思っていた。
なにせ俺は、九百九十九組のカップルを、連続で、たったの一回も失敗することなく成婚させてきたのだから。
それで、『縁結びの達人』なんて二つ名で呼ばれるようにもなった。ちっとも嬉しくはなかったけれど。
とにかく、俺が関わったカップルは一組の例外もなく成婚していたのだ。
入社して初めて失敗したのが、この塩屋虎吉の見合いだった。
多少の屈辱と精神的ショックを受けつつもそれから気を取り直し、作戦を練って、あの手この手でアプローチを変えて、なんとか成婚にこぎ着けようともがき続けて……ついに百連敗。
俺もこいつの連敗記録に巻き込まれて、十連敗だ。
成績がすべてのこの業界で、十連敗なんて汚名を着せられたのでは……俺はきっともう、結婚相談員としてやっていけないだろう。たとえ会社を変えたとしても。
……ま。別に未練なんかありゃしないが。
「……失敬」
いろいろと考えて、少し冷静さを取り戻した。
怒ったところで仕方ない。
テーブルを殴ったせいで歪んでしまった女性のプロフィールシートをまっすぐに直す。
その書類の隅には、『担当者:佐藤
かつては、この文字を見るだけで相談者の顔がほころんだ俺の名前。今はくすんで見える。
「塩屋さん」
気持ちを切り替えて声をかけるが、塩屋はボーッとしていて返事をしない。
再度、語調を強めて名を呼ぶ。
「塩屋虎吉さん」
「は、はい」
そもそも、こいつは結婚しようという気があるのだろうか。
結婚する気もないのに登録して、「金払ってんだから何してもいいだろう」と、奔走する俺を見て笑い、俺の名を汚してほくそ笑む……そんなヤツなんじゃ……
「塩屋さんはどうしても結婚がしたいんですよね?」
「……はい」
……なんて。そんなわけはない。
これでも俺は、人を見る目だけはある。と、自負している。
こいつは、そんな底意地の悪い男ではない。
策略や計略や謀略とは縁遠い、もっと単純な……そう、こいつはもっと単純なバカなのだ。
だから、バカにも分かるように言葉を尽くして教えてやらなければいけない。
「あなたはまだお若い。まぁ、同じ歳なので自分で言うのも口幅ったいですが、まだまだ結婚のチャンスはたくさんある。それでも、今すぐに、どうしても結婚したい、あなたはそう言った」
「…………はい」
「その熱意に応えようと、こちらも塩屋さんの条件に当てはまる女性を探しては見合いの席をセッティングしています。悪条件の女性を押しつけるような真似はしていませんよね?」
「………………はい」
俺は、全然、まったく結婚したいなんて思ったことはない。結婚に真剣に向き合う人間を何人と見てきた今も、その思いに変わりはない。
けれど、俺のそんな個人的な考えに価値はない。
結婚相談員として、プロとして、今俺がすべきことは、目の前にいる相談者の――なんとしても結婚したいという頑なな意志を見せるこの塩屋の――その気持ちに寄り添い、確かな道を指し示し、そして導いてやることだ。
『縁結びの達人』なんてものに、なんの効力も保証もない。誰かが面白がって付けた単なるあだ名だ。
そんなしょうもないものに最後の頼みとばかりに縋りつくなんてどうかしている。
けれど、だからこそ応えてやるのだ。
現実を見ろと、誠心誠意、お前が行くべき道はここしかないと、諭すように問いかける。
「で、もう一度伺いたいんですが…………今回の女性も、ダメでしたか?」
「……………………はい」
思わずため息が漏れた。
もうダメだ。まったく理解が及ばない。お手上げだ。
「正直に教えてもらえませんか? 今回の女性の、どこがダメだったのか」
所詮結婚など一瞬の幸せを得るための手段でしかない。
そんなものに対し、この男は一体何をそこまでこだわっているのか。
答えを待ち、じっと見つめていると、塩屋は恐る恐るといった感じで語り始めた。
「彼女……今日、ちょっと………………鼻声、でしたよね?」
「え? ……あぁ、まぁ」
気にも留めなかったが、そうだったかなと、少しだけ記憶をたぐり寄せる。
「今日は寒かったですからね。それで鼻声に……」
「そうなんです! 今日、寒かったですよね!?」
急にデカい声を出され、思わず後ろに仰け反った。椅子が派手な音を立てる。
だが、それ以上に、塩屋のエンジンが爆音を立てて稼働し始めた。
「鼻声ということは、風邪を引いている、もしくは風邪気味だということですよね?」
「ま、まぁ……そう、かもしれませんね」
「風邪もしくは風邪気味なのに、彼女は今日、お見合いに来ましたよね!?」
「約束を守る、常識的な女性だということなんじゃ……」
「でも今日、すっごく寒いですよね!? 見てください、窓の外! みぞれ! いや、もうあれ雪ですよ!」
指を差され、窓の外へと視線を向ける。
確かに、みぞれというには粒のはっきりとした水っぽい雪が降っている。
「こんな寒い日に外出しちゃダメじゃないですか! だって彼女、風邪もしくは風邪気味なんですよ!? 悪化したらどうするんですか!? いや、絶対悪化しますよ! 体調管理下手くそですか!? 意識低い系女子ですか!?」
「いや、そんな……ちょっと外出したくらいで……」
「佐藤さん。ちょっと窓開けていいですか?」
「えっ!?」
この寒い日に、バカなのか? と、呆気に取られているうちに窓を開けられた。一切の躊躇いもなく。
身を切るような冷たい風が吹き込んできて、折角温まりかけていた部屋の空気が一瞬で冷え切る。
「ほら! こんなに寒いんですよ? 彼女、きっと家に帰るまでに風邪を拗らせます! 悪化します! なのに『私、栄養には詳しいので』なんて油断してるからきっともっと悪化させてしまうんです! 肺炎コースですよ、これは!」
「し、塩屋さん。いいから落ち着いて。で、窓閉めましょう」
とにかく寒い。
にもかかわらず、塩屋はどんどん熱くなっていく。
「肺炎は恐ろしい病気なんです。適切な処置をしなければ命を落とすことだってあるんです。佐藤さんも、正直ちょっと舐めてるでしょう、肺炎! でもね、肺炎の死者数は年間で十数万人に上るんですよ! 舐めてると死ぬんです! 彼女もきっと死にます!」
「いやそれは……」
「鼻声にもかかわらず、こんな寒い日に外出する人はもれなく死にますよね!?」
「ちょっと、塩屋さn……」
「人は生きているからこそ幸せになれるんです! 『いつまでも心で生き続ける』とか、そういうんじゃないんです! 僕は、ずっと一緒に生きていける人と、温かくて幸せな家庭を築きたいんです! 絶対に死なない、無敵の人と!」
「…………」
あまりにぐいぐい詰めてくる塩屋の勢いに、俺の思考は止まって……
「ねぇ、佐藤さん! 絶対死なない女の人とか、どこかにいませんか!?」
「…………いるわけねぇだろ」
取り繕うことを、放棄した。
「へ……?」
塩屋が間の抜けた声を漏らす。
もう、知らん。俺の実績も、こいつの結婚も、もう全部どうでもいい。
急激に馬鹿馬鹿しくなって、もう何もかも終わればいいと思った、――まさにその瞬間。俺はソレを目撃した。
開け放った窓の外。
一機のセスナがこちらに向かって突っ込んでくる。
悪天候のせいで完全に制御を失っているらしいそいつは、確実にこの事務所に突っ込んできて、俺たちを巻き込む事故を起こすだろう。
窓の外を確認した塩屋もそれに気が付いたようで、呆けた様子で顔をこちらに向けた。
まさか、俺が望んだからそうなった、なんてことはないんだろうが……一言くらい謝っておいてやるかな。
なんか悪いな。巻き込んだみたいになって。
あと、成婚させてやれなくて。
「悪かったな」と、そう言いたかったのだが、俺には時間が足りな過ぎた。
セスナが爆音を轟かせて俺たちの上に落ちてきたのだ。
見たくもない走馬燈が始まり、つまらない記憶が蘇る――
ガキの頃、一人で暮らしていた部屋。
母親だと名乗る、顔を知っているだけのオバサン。
顔すらもう思い出せない、血縁上だけの父親。
何もない家、何もない時間――
ほんと……
結婚なんか、する意味ねぇだろ…………
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