これからは感謝の気持ちを -3-
「あの、僕一度お参りに行ったことがあるんですよ」
「へぇ。どこの
「井の頭公園です」
「あぁ、あそこね。あそこは静かで結構気に入っていた社だよ。モナムーちゃんはあの池の鯉だったんだよ?」
「そうなんですか!?」
井の頭公園の池には、確かに無数の鯉がいたけれど……
「空を泳ぐ鯉はいなかったような気が……?」
「加護を授けたのはこっちに来てからだからね。さすがに、日本では空を泳がせるわけにはいかなかったしね」
もしそんな鯉がいたら、日本中が大騒ぎしていただろう。
いや、世界規模の大パニックになっていたかもね。
「そういえば、前に来た時に『腐るほど他人のお願いを聞き続けてきた』って」
「あぁ、そうだね。何万、何億という人間の願いを聞いてきたよ。特に、恋愛成就の願いが多かったなぁ」
僕も、姉さんの恋愛成就をお願いしに行ったんだっけ。
「けど、私、もともと水の神で、流水の澄んだ音から音楽を司る神として崇められていたんだけどね。日本だと銭洗い弁天って、財宝と富を授ける神様って奉ってくれてるところが多かったかな」
井の頭公園の弁天様も、銭洗い弁天と言われてたな。
「だからね……私、別に恋愛成就の神様じゃないんだよね……」
「そ、れは、そう……です、ね。なんとなく、七福神の紅一点で、美しい女性の神様なので恋愛の御利益ありそうかなぁ~って気がしていましたけれど」
弁天様、管轄外のお願いをいっぱいされていたんだろうか?
されていたんだろうなぁ……すごい疲れた顔してるし。
「それでも私は頑張ったのだよ。中高生の幼気な少女たちがあまりに必死にお願いをしてくるからさ……叶えてあげたいじゃないか。数多いる神の中で他の誰でもない、私に救いの手を求めてきた乙女たちをさ。私も同じ女だ、叶わぬ恋のもどかしさや切なさも理解できないわけではないからね」
とても穏やかな、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる弁天様は、今まで見せてきた溌溂な印象とは違って、とても大人っぽく、とても美しかった。
「けどさ」
その美しかった微笑みが、一瞬のうちに険しく変わる。
「いざ願いが成就したら、どうだい!? 手のひら返したみたいにすっかり無視しちゃってさ! 『え、お願いになんて行ってないですけど?』みたいな顔で知らんぷりさ! 『あなたのおかげで恋が叶いました、ありがとうございます』ってお礼を言いに来る娘なんて皆無だよ! どう思う!? ねぇ!?」
あぁ……確かに、お願いする時はかなり切羽詰まった感じで必死にお願いするのに、いざ叶うとその喜びですっかり浮かれちゃって、足を運んでお礼を言いに行ったりは、しない……かも。
あぁ……僕も、初詣の時にお願いするばかりで、その一年の成果の報告や感謝の気持ちを伝えに行ったことなかったなぁ。
これ、人に置き換えるとかなり失礼な話だよね?
仕事でミスをして上司に泣きついて、上司の助力でなんとか切り抜けた途端「ラッキー!」って浮かれて尽力してくれた上司にお礼すら言いに行かないとか…………絶対今後助けてくれないよね、そんなの!?
うわぁああ、無自覚で神様に酷いことしてたかも!?
してた気がしてきた!?
ごめんなさいぃぃいっ!
「あ、あの……弁天様、日本人を代表して、僕が謝罪を……」
「言われてからする謝罪って、反省じゃなくて後悔だからね! 自分の心苦しさを和らげるための『ごめんなさい』を謝罪だなんて思わないことだね!」
正論過ぎて言い返せない!
そして、申し訳なさ過ぎて謝罪すら出てこない!
「で、でも、若い子たちは感情が先行しがちなものですし、知らなかっただけで、きっと悪気があったわけでは……」
「悪気がなかった? へぇ~、悪気、なかったんだぁ」
あ……
なんだか、ものすごい地雷を踏んじゃった気配。
「泣きそうな顔で足しげく通ってた女の子をさ、健気だなぁって、喜ばせてあげたいなぁって、そんな情からちょっと恋のお手伝いしてあげてさ、めでたく二人がお付き合いすることになったらさ、感謝の言葉を言いに来ないどころかさ………………ウチの社の真ん前の池で見せつけるように手漕ぎボートに乗ってデートしてるとか、え、なに、ケンカ売ってんの? 『きゃー、揺れるぅ、怖ぁ~い』『あっはっはっ、僕が付いているから安心しろYO☆』『いやぁ~ん、すてきぃ~。しゅきぃ~!』……って、沈めっ! 転覆しろ! 上げに上げてやった恋愛運、三倍返しで下げてやったさっ! 何か文句ある!?」
「いえ、すみません……ホント、なんか、すんません……」
井の頭公園で恋人とボートに乗ると破局するって都市伝説の出所を垣間見た気がするっ!
いやぁ、でも、すっごく気持ちは分かるかもー!
「こっちは出会いを求めて婚活するような暇もないんですけど? 大体どこの地域でも一柱で祀られちゃうしさ。見たことあるかい? 『男神女神七柱がシェア
「ないですけども!」
『男女七人がシェアハウスで~』みたいな感じにはいきませんって!
そんな恐れ多い番組、どこの制作会社も作れませんってば!
「礼儀知らずどもの恋など、鯉のエサにしてくれるわー! ねぇ、私、間違ってる!?」
「とんでもございません! お気持ちお察しいたします!」
もうやめてください。
涙で明日が見えなくなりそうですっ!
「はぁ……はぁ……とまぁ、そんなわけでね」
乱れた息を整えて、弁天様は姿勢と衣服を正す。
そう思って見ると、そういう所作の一つ一つがいちいち神々しい。あふれ出る気品。神聖なまでの美しさ。
ついさっきまでベッドの上で手足をバタバタさせて癇癪を起こしていた幼女だとは思えません。
「こちらの世界では、神頼みではない方法で人々の恋愛を成就させてあげようと思ったのさ」
「それで、結婚相談所を?」
「そういうこと。不思議なものでね、全部を私がやってあげるよりも、きっかけだけを与えて相談者本人に努力を強いた方が、結果が出た時にきちんと感謝してもらえるんだよ」
あぁ、それは分かる。
自分自身がある程度の苦労をしないと、他の誰かに与えてもらった親切や恩恵の価値に気が付けないことって結構あるものだ。
分かりやすいのが、一人暮らししてから気付く母親のありがたさ、かな。
それ以外でも、お小遣いをあげて、束縛もしないで、なんでも望みを叶えてあげた結果、彼氏がダメ男になるなんて事例も…………僕の知り合いで一人、いましたしね。
「結果として、こういう形にしてよかったと思っているのだよ」
片膝を立て、そこに肘を置いて頬杖を突く姿は、どこかの聖典に載っていそうな神秘的な姿だった。
とても綺麗で、優しい微笑がこちらに向けられている。
「私は必要以上に頑張る必要がなくなって楽が出来るし、相談者たちは自分の努力で勝ち取った幸せを大切にするし、充実感も桁違いだ。ウチの相談員たちもみんな成長が著しくてね、育てるっていう楽しみを存分に満喫させてもらっているよ。誰にとってもいい結果に結びつくのさ、あの相談所はね」
自分の生み出した場所に、そしてそこに集う者たちに誇りを持っている。
そんな充足感がよく分かる微笑みだ。
「それに、お見合いが破談に終わった時の話もいっぱい聞けるしね! ぷっくく、張り切り過ぎて玉砕する連中の話は何度聞いても面白いもんだよ。ぷぷぷー! あ~そうそう、君の破談話は特に面白かったよ。MVPを進呈しよう」
「それは……どーも」
あっれぇ、おかしいなぁ。
神々しさが掻き消えて、小憎たらしさしか感じなくなったぞ~ぅ?
「ほんと、楽しいよ、この『世界』は」
そう呟いた弁天様は、なんとも無防備で、まるで一人の、どこにでもいるような、ごく普通の女の子に見えた。
「だからさ、君も精一杯楽しみ給えよ。この『世界』を。そして、君の人生を」
大きな瞳が細められ、世界が恋に落ちそうな可愛らしいウィンクをもらった。
信仰するなとか、敬うなとか、これは無理ですよ。
同郷で、馴染みがあって、慈悲深くて、お茶目で、『世界』に来ても世話を焼いてくれるようなそんな女神様を、好きにならないなんて不可能だ。
決して恋ではないけれど、僕は、この人が大好きだ。
「というわけで、私はもう疲れたので寝るよ」
「って!? 僕のベッドで寝ないでくださいよ!?」
世のすべてを放棄するように「ぽーん!」と両手両足を投げ出してベッドの上で大の字になる弁天様。
僕のベッドなんですけども!?
「もう帰るのも面倒だからね。ベッドに入りたくなったら遠慮なく入って来給え」
「いや、それはさすがに……」
でもまぁ、これくらいの年齢の女の子なら、別に一緒に寝ても問題ない……のかな?
ほら、子供だし。……いや、待って。僕よりもはるかに年上なのか。
それならそれで、僕の方が子供ってことで問題なく、なる……?
「もし私が目覚めた時、君が隣で眠っていたら、この家の者が起こしに来る絶妙のタイミングで悲鳴を上げてウソ泣きをしてあげよう」
「入れる気ないじゃないですか、ベッドに!?」
そんなもん、死刑宣告と同義ですよ!?
恐ろしくて入れませんとも!
「いやいや。選択肢は無数にあるのだ。好きに選び給え。では、おやすみ、少年」
選択肢、ないですって……
勝ち誇った顔で僕を一瞥した後、弁天様は本当に僕のベッドで眠ってしまった。
……どうすればいいんでしょうね、これ。
昨日もほとんど眠れてなかったし、今日は一日出歩いて、動物園まで行って、さすがにくたくたなんですが……
「なんて無邪気な寝顔の小悪魔なんだ……」
諦めて床で寝ようかと思っていると、コツコツと窓を叩く音がした。
視線を向けると、窓を覆い尽くすような大きさの魚がこちらを覗き込んでいた。
「うわぁぁああああ!?」
モナムーちゃん!?
急に出てくるのやめて……心臓に悪いから。
「どうしたの?」
窓を開けてあげると、にゅるんと泳ぐように室内に入ってくる。
もしかして、飼い主を探して?
あ、分かった! 連れ帰るために探しに来たんだ!
……と、思った直後に、モナムーちゃんがベッドに横たわり弁天様の隣に寝そべった。
「ただ寂しかっただけ!?」
一緒じゃなきゃ眠れないの~って?
いやいやいや!
「モナムーちゃん。出来たら、連れて帰って、お家で一緒に寝てくれないかな? ほら、ご主人様が若い男の部屋に一晩泊まるとか、よくないんじゃないかなぁ? 倫理的に? ほらほら、弁天様、女神様なわけだしさ、ね?」
僕の懸命な説得をぬぼ~っとした顔で聞いていたモナムーちゃんは、僕の訴えを理解してくれたのか、ふわりとその巨体を浮かび上がらせた。
あぁ、よかった。これできっと連れ帰ってくれる。
と、思ったのも束の間、ふわ~っと空中を泳いだモナムーちゃんが僕の後頭部に齧りついた。
「夜食!?」
この女神様にして、この眷属ありか!?
割と強めにかぷかぷされる。
五分ほどしてようやく解放された時には、もう反論する気力も残ってなかった。
「もう、いいです。好きに寝てください」
体力の限界。
考えるのはすべて明日にしよう。
面倒ごとをすべて棚上げすると決めた時、モナムーちゃんが弁天様を咥えて、するりと窓の外へと出て行った。
あれ? 帰るの?
あ、夜食食べて帰る元気出た感じ?
じゃあ、齧られ損じゃなかったかもね。
窓の外に目を向けると、モナムーちゃんはぺこりと一度頭を下げた……ような気がした。
そして、弁天様を起こさないように配慮しているのか、静かにす~っと空へと昇っていった。
その尾びれが見えなくなるまで見送って、僕は窓を閉めた。
「もう、本当に限界だ……」
いろいろ考えるのは、全部まとめて明日にしよう。
夜も更けた。
体力も尽きた。
僕はようやく訪れた安寧に安堵し、さっさと眠ることに決めた。
ベッドに倒れ込んでまぶたを閉じればすぐに眠れるだろう。
そう思っていたのだが……
「……生臭い…………モナムーちゃんが寝てたとこ……」
若干、沼っぽい夢を見ながら、僕は深い眠りに落ちていった。
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