これからは感謝の気持ちを -2-

「何してるんですか、所長さん!?」


 さっき動物園の前で別れたところですよね!?

 いつの間に先回りして、どこから家に侵入して、どうやって誰にも気付かれずに僕の寝室まで入ってきたんですか!?

 っていうか、なに物色してるんですか!?


「いやぁ、君のような若い青年のほとばしるパトスを解消し得るお宝が眠っていないかと思ってね」

「なんですかお宝って!?」

「端的に言って、有害図書だ」

「ないですよ!?」

「しかしながら少年、ベッドの下に隠しておくのが紳士の嗜み、いや、責務ではないのかい?」

「義務付けられてませんよ、そんなものは!」


 だいたい、この部屋はほぼ毎日隅々までセリスさんが掃除してくれているんですよ!?

 ……そんなの、隠せるわけないじゃないですか。街で見かけても、買わないように自制していますとも。


「まったく、若者の草食化という話は本当だったようだね。甲斐性のない」

「そんな甲斐性は必要としていません」


「私が若かった頃はねぇ」と、幼女が僕のベッドに座って懇々とお説教を垂れる。

 何しに来たんですか、一体?


「こらこら。そんな面倒くさい人を見るような目で私を見るんじゃない。君の家族が私を怖がるといけないから、誰にもバレないようにこっそり不法侵入してあげたというのに」

「恩を着せるところですか、それ?」

「君に伝え忘れたことがあったのでね、わざわざ足を運んであげたのだよ、この私が直々にね」

「後日でもよかったと思うんですが」

「思い立ったら体が自然と動いてしまう性質でね、私は」


 うわぁ……

 カサネさんたちが苦労しそうな性質ですね、それは。


「明日の朝、相談所へ来給え。改めてカサネ君を君の担当相談員とする契約を結ぶからさ」


 そうしなければ、僕の担当がカサネさんではなくなるらしい。

 それは是が非でも伺わなければ。


「分かりました。では明日お伺いします」

「うむ。忘れずに来るように。あ、お土産は和菓子でも洋菓子でも構わないからね」

「お土産、必要なんですか?」

「相談所のトップに気に入られておくと、今後いろいろと便宜を図ってもらえるかもしれないだろぅ?」


 そのトップって、あなたじゃないですか。

 自分で催促しますかね、そういうの。


 まぁ、いいですけど。


「それでは、僕はそろそろ休みますので、お引き取りください」

「む? そうか、もうそんな時間なのだな」

「はい。帰り道、気を付けてくださいね」


 といっても、之人神であり、師匠たちが委縮するくらいの力を持っているならよほどのことがない限り心配いらないんでしょうけれど。


「君は、私の心配までしてくれるのかい?」

「そりゃあ、実年齢はともかく、見た目は幼い少女ですし、変な気を起こす不届き者がいないとも言い切れませんし」

「君を筆頭に、ね」

「起こしませんよ、変な気なんて」

「つまり純愛だと? やはは、まいったねぇ、こりゃあ。罪な女だな、私は」

「いえ、違いますね。勘違いも甚だしいです」

「よぉし、分かった! 君に送り狼になれるチャンスを進呈しよう」

「辞退しますので、気を付けてお帰りください」

「こんな夜中に、幼気な少女を一人で帰す気なのかい!?」

「こんな夜中に一人で出歩いてここまで来たんですよね? 行きも帰りも大差ないですよ、きっと」

「私とて万能ではないのだよ? ちょっとした油断で奪われてしまったらどうするんだい、私のファーストキスがさ」

「ガムテープでも貼って帰りますか?」

「ほほぅ? つまり、万が一の時はセカンドキスからファイナルキスまで責任を取ってくれると、そう言っているんだね、シオヤ・トラキチ君は?」


 くぉうっ!?

 なんだろう、今名前を呼ばれた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような圧迫感を感じた。

 これが、神威?


「分かりました……」


 この圧迫感には、逆らえない。

 所長さんの機嫌が直るような発言をしなければいけないのだろう。

 ガムテープ越しであろうとも、唇を奪われるようなことがあってはならない。その危険を完全に取り払える方法を提案しなければいけない。

 それが、今の僕に求められていることなのだ。


 なら、これでどうだ?


「ガムテープを三重にしましょう。そうすれば向こうの感触とか分からないと思います!」

「君は……変なところでカサネ君に影響を受けているようだね。私への対応がそっくりだ、発想の時点でね」


 こつんと、僕の額を強めに突いて、ぼすっとベッドに腰を下ろす。

 そして、ごろ~んとだらしなく横になる。


「あ~ぁ。なんかもう帰るのが面倒になってきたなぁ~。泊まっていこうかなぁ」

「いやいやいや! ダメですよ!?」


 師匠たちが泣いちゃいます、あなたが一泊するなんて!


「大丈夫だ。いざという時には、『彼女が僕のドストライクです』とでも言えば、二人の仲を応援してくれるさ」

「その前に叩き出されますよ!? チロルちゃんと同年代の女の子に手なんか出したら!」


 所長さんがドストライクなら、チロルちゃんもストライクゾーンということになる。

 ……師匠に殺されかねませんよ、そんな状況。


「誰があの幼女と同年代だって? 失敬だな、君は」


 コツッ、コツッ、コツッ、コツッと、僕のおでこが乱打される。指で作ったキツネの鼻先で。

 地味に痛いですって!?


「この内からあふれ出る大人の色香が分からないのかい、トラキチ君?」

「はい、さっぱり」

「……君は、報告通りとても素直な人のようだね。腹立たしいほどに」


 枕を僕に投げつけ、頬をぷっくり膨らませる所長さんは、どっからどう見ても幼い少女だった。

 小学校低学年くらいにしか見えない。


「傷付いた。もう寝る!」

「帰ってくださいってば!?」

「そう邪険にしなくてもよいではないか」


 邪険にしてるんじゃなくて、保身に走っているんですよ、僕は、ナウ!


「この『世界』では滅多にお目にかかれない同郷の誼だ、もう少し懐を開いて接してくれてもいいのではないか? ん? シオヤ・トラキチ君」


 同郷の誼……?


「え? 所長さん、地球の方、なんですか?」

「地球どころか、私は日本の神だよ」

「えぇええっ!?」


 まさかのカミングアウト!?

 日本の神様だったんですか!?


「えっと、あの……差し支えがなければ、お名前を伺っても?」

「お、ようやく興味を示してくれたようだね。ふふん、いいだろう。特別に教えてしんぜよう」


 バサッと、衣を翻してベッドの上で胡坐をかき、胸を張って威風堂々と所長さんが名乗りを上げる。


「私は、天照大神が生み出しし霧の中より生まれ出た宗像三女神が一柱、市杵嶋姫命イチキシマヒメ。またの名を――弁財天と申す、古き神だよ、シオヤ・トラキチ君」


 弁財天…………って、あの!?

 えっ!?

 七福神の!?


「弁天様!?」

「そうそう。その弁天様だ」


 よく見るイラストと全然違う!?


「それで、あの、市杵嶋姫命イチキシマヒメっていうのは……?」

「日本書紀では私のことをそう呼んでいたからね。まぁ、諸説あるようだけれど」

「いや、本人が『諸説あり』っていうのは、どうなんですかね?」

「仕方ないだろう? 人間が私のことをどのように語り継いでいるかなんて、いちいち確認できるものじゃないしさ。文献を見ると、いくつかの神がごっちゃになって伝わっているようだしね」


 確かに、この神様とこの神様は実は同じ神様だとか、実はこれは言い伝えとは違う神様だとか、後世になっていろいろ追加修正されていることは多い。


「古事記や日本書紀を読むとね、『あ、これは私のことだ』と思うところと『いや、これ私じゃないよ』と思うところが混在しているんだよね。身に覚えがない逸話も、盛りに盛って脚色されていたりするしね」


 そうなんだ。

 まぁ、人間でも身に覚えがない噂が立つこともあるし、「いや、それ僕じゃないよ」って既成事実が一人歩きすることもある。

 ……神様でもそうなんだ。なんだろう、すごい親近感。


「というわけで、『諸説あり』なわけだよ」

「なるほど。納得しました」

「素直でよろしい」


 けど……弁天様って。

 今、僕の目の前にいるのが弁天様っていうのが、なんとも、信じがたい。


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