あなたを幸せにしたいから -3-
再び、ちょこちょこっとトラキチさんのいる方へ近付いて、口に手を当てて耳打ちをする所長。
ただ、手で口元を覆ってはいるのですが、私のいる方向が開いているので割と大きめな声ははっきりと聞き取れました。
「会うだけ会ってみてさ、気に入ったら乗り換えちゃえばいいんだよ。どーせあの鈍感娘はあと数年はあのままだろうしさ。それにほら、アレよりももっといい娘が見つかるかもしれないよ? だって、ねぇ? アレは、顔こそ別嬪だけど、世間とはズレてるし、オシャレは下手だし、上司を敬う心は欠落しているし、炊事洗濯家事親父全部出来ないし、胸なんかぺったーんだしね。……坊やも、ぽぃんぽぃんの方が、好きなんだろぅ? ん~?」
「トラキチさんは慎ましい胸の女性が理想なんです」
なぜでしょう。
自分のことを悪く言われたわけでもないのに、ちょっとムキになってしまいました。
かつての世界で戦のためにと備わっていた膂力を、今初めてフル活用してしまいました。
「痛い痛い痛い! こ、こら、カサネ・エマーソン君! 上司の頭を鷲掴みにして引っぺがすとか、あるまじき行為だよっ! 部下としても、女子としても!」
「よく分からないことを喚かないでください。私はただ、過去のお見合いで得たデータを基に、所長の間違った認識を訂正しただけです」
トラキチさんは慎ましい胸元の女性が理想。
はっきりとこの耳で聞きましたから。
「ところでトラキチさん。『炊事洗濯家事親父』とは一体なんのことでしょう?」
「それは、僕にもちょっと分かりかねますけれど……」
もしかしたらトラキチさんのいた世界の言葉なのかと思ったのですが、違うようです。
「それであの……やっぱり僕、もうお見合いは……」
「そんなことを言わないでさ、やっちゃおうよ、お見合い! YOUやっちゃいなよ!」
「でも、相手の方に……」
「失礼じゃない! それは結果が証明している!」
むふふんと笑って、所長がバッグから資料の束を引っ張り出す。
それをパラリとめくり、読み上げる。
「エリアナ・バートリー。シオヤ・トラキチとのお見合い後、千二百余年に及ぶ片思いを実らせ近々結婚予定」
その報告にトラキチさんは目を丸くします。
「ミューラ・エポクイス。シオヤ・トラキチとのお見合い後、長年抱え込んでいた自分不信と漫然たる不安を払拭し、現在新たな恋に果敢に挑戦中。一部情報によれば、お相手の男性もまんざらではない様子」
「えっ、そうなんですか!?」
その情報に、トラキチさんが驚いたような、ちょっと悔しそうな表情を見せました。
まさか、ミューラさんには未練が?
「……先を、越された」
未練ではなかったようです。
「ティアナ・マッケンジー。シオヤ・トラキチとのお見合い後、冒険者に復帰。未踏ダンジョンの発見、攻略に続き、難攻不落と言われたダンジョンの解放に成功。噂では四人の男から熱烈にアプローチを受けているとか」
「めっちゃモテてる!? モテ期が到来してますね!?」
ティアナさんの活躍は本当に凄まじく、噂を耳にしない日はないほどです。
「クレイ・バーラーニ。シオヤ・トラキチとのお見合い後、当結婚相談所の紹介により来年入籍予定。結婚はおろか人との触れ合いが絶望視されていただけに、この成婚は業界他社でも話題騒然となり彼女が立ち寄ったすべてのデートスポットが縁結びの効果ありとして話題に」
「なんかすごいことになってません!?」
「最近では、彼女は死神としてではなく縁結びの神として扱われているらしいよ」
「まさかの、恋の神様扱い!?」
クレイさんが幸せそうで何よりです。
「という結果が、ウチの相談所をはじめ他社にも広まってね。君に付いたあだ名が『座敷童』なんだよ」
「なぜ座敷童なんでしょう?」
「いや、なんか運気アップさせてくれそうなイメージがあったから、私が名付けた」
「あなた発信ですか!? 座敷童は家を繁栄させる妖怪で、縁結びとは関係ないですよ?」
「いいじゃん、別に。思いついちゃったんだし、今さら訂正できないし。それに、この『世界』の連中は本当の座敷童を知らないしさ」
「結果、僕だけがすごくもやもやする事態になったわけですね」
具合が悪そうにトラキチさんが胸を押さえます。
そういえば、今朝見た所長からの手紙に書かれていましたね。『座敷童を逃がすな』と。
トラキチさんのことだったんですね。
「君の噂は瞬く間に広まってね。君とお見合いをしたいという女性が爆発的に増えたのさ」
「僕とお見合いをしたい女性が?」
「そう! 君とのお見合いを踏み台にしてワンランク上の幸せをゲットしたい女性がね☆」
「複雑ーっ!? 僕の今の状態でお見合いなんてお相手の方に失礼かと思ったけど、お相手の方が寄って集って失礼だった!?」
「女性怖い、女性怖い……」と、念仏のように唱えてご自身を抱きしめるように二の腕をさするトラキチさん。
ようやく、世界がトラキチさんのよさに気が付いたと、そういうわけですね。
「あの、やっぱり、こんな状況でお見合いは……」
「君にもメリットはあるよ」
トラキチさんの言葉を遮り、所長が指を三つ立ててトラキチさんの目の前に突き出しました。
そして、その指のうちの一本を折って、そのメリットを提示します。
「まず、お見合いを続ければそれだけ会う回数が増え、長く一緒にいられる。長く一緒にいれば相手に変化が訪れるかもしれない、今回のような劇的な変化がね」
所長とトラキチさんが、揃ってこちらを見ました。
私もつられて背後を振り返ります。……誰もいません。
「な? 時間は必要だろう?」
「長い戦いになりそうですけどね……」
正面へ向き直ると、トラキチさんは額を押さえて肩を落とし、所長はにやにや笑ってトラキチさんの肩をぽんぽん叩いていました。
今の一瞬で、一体何が?
「二つ目は、たくさんの女性とお見合いをすれば、もしかしたら君の理想を大きく超える素晴らしい女性に出会えるかもしれない。彼女たちも、君を踏み台としてしか見ていないわけじゃない。意気投合して、君がそれを受け入れられるならば、なんの障害もなくスムーズに結婚が出来るはずだよ」
「まぁ、それは……無難なメリットですね」
「無難だが、旨みのある話だろう?」
トラキチさんとのお見合いを望む女性が多くいるということは、それだけトラキチさんに合うお相手を見つけやすいということです。
確かに、これはメリットです。
……ですが、無難とは?
「そして最後に、これを聞けば、君はきっと前向きに検討してくれると思うよ」
もったいぶった笑みを浮かべて、所長が最後のメリットを告げました。
「過去四回のような奇跡を起こし続ければ、君の名は否応なくこの『世界』へ広がり、君が捜し求めている人の耳にまで届くかもしれない」
はっと、トラキチさんが息をのみました。
トラキチさんが捜し求めている人といえば……
「そう。君の家族と再会できる――かも、しれない、よね☆」
所長が大きな瞳を片方だけ瞑り、トラキチさんに渾身のウィンクを飛ばしました。
そうです。
トラキチさんが有名になれば、もしかしたらご家族の耳にまで届くかもしれません。
「トラキチさん」
きっとそうなる、そんな気がして、私はトラキチさんの手を取り、目をまっすぐに見つめて訴えました。
「やりましょう、お見合い! 私がトラキチさんを幸せにしてみせます!」
言い切った。自分の中では非常に満足いく行動だったのですが、トラキチさんはまたちょっとだけ困ったような顔をされました。
けれど、「延長戦……も、悪くないか」と呟いて、ほんの少しだけ困ったようなニュアンスが残る笑みを私に向けました。
「それじゃあ、これからまた、よろしくお願いします」
「はい。二人で幸せを掴みましょうね」
この日、止まりかけていた私の時間が再び動き出しました。
日はすっかり落ちて、空は真っ暗だというのに、目に映る世界が鮮やかに煌いて見えました。
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