あなたを幸せにしたいから -1-
めまいがします。
動悸が激しいです。
なんだか、ふわふわしています。
あっという間に日が落ちて、どんなに惜しんでも終わりの時間はやってきます。
これで終わり。
これで最後。
最後くらいはきちんとご挨拶をしなければと、これまでの感謝を述べるつもりでお話をさせていただいていたところ、突然、小さな箱を差し出されました。
その中には、とても綺麗なシルバーの指輪が入っていて、これを私にくださるというのです。
この気持ちはなんでしょう。
うまく呼吸が出来ません。
嬉しいのか、怖いのか、浮かれていいのか、戸惑っているのか、自分がどうしたいのかすら分かりません。
だから、ただただ、トラキチさんの言うことに従いました。
もう、相談員ではないのだから、受け取ってくださいと。そうおっしゃったから。
なんと言えばいいのでしょう。
『ありがとうございます』
『大切にします』
『これを見て、あなたを思い出します』
何かを伝えるべきなのに、何を伝えればいいのか分かりません。
心臓は加速度的に速くなり、たどたどしい呼吸を待ってはくれず、酸素が足りなくてくらくらします。
とにかく、お礼を。
そのあとは、もう、どうなってもいい。
そう意気込んで、『ありがとうございます』と伝えようとした時、私の呼吸は止まりました。
「カサネさん。ずっと、僕のそばにいてください」
それは、音が消えた後もずっと耳の中に残って、何度も何度も繰り返し私の脳へ語りかけてきました。
余韻が、耳を熱くさせました。
前を向けば、トラキチさんが真っ赤な顔で私を見ていました。
聞き間違いではないようです。
トラキチさんが、トラキチさんの言葉で、トラキチさんの思いを、私に伝えてくださったのだと分かり――思わず、涙がこぼれました。
「カ、カサネさん!?」
慌てたように距離を詰め、両手を宙にさまよわせておろおろと私を覗き込むトラキチさん。
決して触れず、けれど支えたいという思いがひしひしと伝わってきて……心が温かくなります。
きっと、私がトラキチさんの胸に頭を寄せれば、トラキチさんの両腕は私の肩を抱いてくださるでしょう。
けれど、それをされてしまうと、今度こそ私は何も話せなくなってしまいます。
確信できます。
だから、そうなる前に、私は――
「トラキチさん……」
私の言葉で、この思いを――
「私……」
伝えます。
大きく息を吸って。
声が震えないように。
「私も、あなたのそばにいたいです」
そう。
それが私の本心。
ここまで来て、ようやく自分の心と向き合えた気がします。
自分の本心なのに、どうしてここまでまったく見えなかったのか。
そのくせ、一度見えてしまうとなんとも単純明快な構造で……肩の力が抜けそうです。
なんだ。
こんな簡単なことだったんですね。
私がずっと悩み、ずっと怖がっていたことは。
必死に目を逸らし、見ないようにしていたことは。
「ありがとうございます、トラキチさん。今、ようやく、私は私の心を知ることが出来ました。トラキチさんのおかげです」
今ならちゃんと伝えられる。
すべてを伝えられる。
いや、今でなければ伝えられないかもしれません。
何一つ、偽らず、隠すことなく、すべてを伝えましょう。
「トラキチさん」
「はい」
トラキチさんの瞳が、潤んでいます。
そこに、私が映っていました。
トラキチさんの目には、こんな風に見えているのですね、私の顔は。
「私は、トラキチさんにご迷惑をおかけしました。一度だけでなく、何度も」
「そんなことは――」
手を上げて、トラキチさんの言葉を遮ります。
最後まで、言わせてください。
ドキドキし過ぎて、今にも逃げ出してしまいそうなんですから。
「私は、トラキチさんの足枷にしかなっていないのではないかと、思いました。ならば、私は、すぐにでもトラキチさんの前から姿を消すべきではないかと」
苦しそうに、トラキチさんが眉根を寄せます。
ごめんなさい。聞くのもつらいですよね。逆の立場なら、私は耳を塞いで逃げ出していたかもしれません。
けれど、トラキチさんは私の言葉を受け止めてくれます。
まっすぐに私を見て。目を逸らさないで。受け止めてくれます。
「もうここにいるべきではないと思い、退職願を提出しました。トラキチさんの前から、いなくなりさえすれば、私は私を、これ以上嫌いにならずに済むと思いました。……逃げ出そうとしていました」
トラキチさんのためなんかじゃない。結局、自分自身のためでした。
身勝手で、自己中心的で、独善的で、わがままで、利己的な、独りよがりの選択でした。
「けど……けど、ですね…………けれど、それ以上に…………っ」
唇が震えて、喉が詰まって、声が掠れて……涙が、止まらなくなりました。
あふれ出した涙が言葉の邪魔をします。
私が出したいのは涙ではなく声なのに。涙の量に反比例するように言葉が出てこなくなります。
けれど、負けるわけにはいきません。
ここで負けてしまったら、私はもう……
指に力を入れる。
手の中の小箱を握りしめる。
少しだけでいい、勇気をください。
「……それでも、わた……しは…………っ」
堰き止められた喉の、ほんのわずかな隙間から声を絞り出して、言葉を、声を、思いを、届けます。
「私は、あなたのそばにいたいと、ずっと、ずっと思っていました」
そうです。
どんなに自分に言い聞かせても、どんなに言い訳を重ねても、心の奥底ではずっと思っていたのです。
トラキチさんのそばにいたい。
誰よりも近くで、その顔を見つめていたい。
あなたの温もりに、いつまでも包まれていたいと。
「わがままですね……私……っ」
「……こと、ない…………そんな、こと…………ないです」
涙が伝染したのか、トラキチさんも大粒の涙で顔を濡らしていました。
「嬉しいです。カサネさんが、同じ気持ちでいてくれたことが」
ぐっしょり濡れる顔で笑みを作って、その微笑みを私に向けてくれました。
あぁ、なんと贅沢なんでしょう。
こんな日が明日も、明後日も、ずっと続くのなら、私は……
「トラキチさん。一つだけ、お願いを聞いてくれますか?」
ぼろぼろに泣いて、独善的な本性を晒して、格好悪くて、これ以上上塗りが出来ないほど恥をかいたのです。
今さら、恥の一つくらい、増えたところでどうということはありません。
わがままなヤツだと、呆れてください。それで結構です。
ですから、このお願いだけは……叶えてください。
「あなたを幸せにするお手伝いがしたいです。あなたと一緒に、最高の幸せを築き上げたいです」
私が持てるすべてを注いで、あなたの夢を叶えたい。
私のすべてで、あなたを支えたい。
「だから、これからもずっと一緒に、あなたと生きていく資格を、私にください」
あなたの幸せを、誰よりも一番近くで見つめていたい。
一番近くで感じていたい。
だから、私をあなたの――
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