一世一代の…… -6-
「今日のこと、たぶん一生忘れません」
せめて、最後くらいは笑顔で。
「なら、いつの日か、トラキチさんは語ってくださいますか? 今日の日の思い出を、お姉様のお話をする時のように、楽しげな顔で」
今日という日を思い出す時、僕はどんな気分でいるのだろう。
楽しかったと、満たされた気持ちで思い出せるのだろうか。
それとも、まるで縋りつくように、寂しい気持ちで思い出すのだろうか。
笑って話せるようになるのは、まだずっと先になりそうだ。
「私は、きっと自慢します。この先出会う人すべてに。見るものすべてが、信じられないくらいに煌いていたのだと、自慢して歩きます」
カサネさんの言葉に、喉が詰まる。
「だから、トラキチさんも、ご自分の人生を誇り高く生きてください」
これまで出会った方たちに、あなたがそう教えたように――と、カサネさんが笑みを深める。
「自分の心に素直になる強さを持ってください」
本当に好きな人がいるのに素直になれず、恋を拗らせていたエリアナさんに、僕が言ったことだ。
もっと素直になってくださいと。
「未来の幸せのために今を犠牲にしないでください」
百年後の穏やかな時間のために、今あるすべてを我慢しようと自分を殺していたミューラさんに、僕は言った。
未来のために我慢するのをやめて、幸せな一日を積み重ねていきましょうと。
「胸を張って自分の人生を誇ってください」
傷付くことを恐れ、本当にやりたいことを諦めようとしていたティアナさんに言った。
これまでの自分とこれからの自分を誇りに思ってくださいと。
「周りをしっかりと見て、あなたを大切に思っている人を決して見失わないでください」
自分を責め続け俯いて生きていたクレイさんに、僕は本心から望み、そして伝えた。
俯かずちゃんと前を向いて生きてくださいと。
「トラキチさんが幸せだと笑って暮らせる未来のために」
僕は、これまで出会った人たちに望んでいたのだ。
逃げないで。
俯かないで。
諦めないで。
自分を嫌いにならないで。
そして、どうか、幸せになってください――と。
「これが、私がトラキチさんに言える、最後の言葉です」
僕を見ていてくれた。
ずっとそばにいてくれた。
そのことが、こんなにも嬉しい。
人に言うばっかりで、自分はちっとも出来ていない。
そんな指摘をしてくれる存在の大きさ、温かさを、嫌ってほど実感して、泣きそうになる。
これからもずっと、あなたがそばにいてくれたら……
喉元まで出かかって、ぐっと飲み込む。
言葉にしてしまえば楽になるだろう。
けれど、それはきっと、あなたに姉の代わりを押しつけることになる。
どこまで行っても、僕は姉や家族が最優先で、いなくなってしまったからこそ……もう二度と会えないからこそ、思い出はますます美化されて、特別になって、覆せなくて……
あなたに言葉をもらったのに、僕にはそれが実行できそうになくて……
僕はきっと、この先ずっと思い出の中の家族の幻想を胸に抱いて――
「いつか、お姉様やご家族の方に再会できたら、私の話をしてくださいね」
……え?
突然投げかけられたその言葉に、僕の思考は一瞬止まる。
……再会?
いや、僕の家族は事故でもう……
「ずっと考えていたんです。ずっと引っかかっていたんです」
戸惑う僕をよそに、カサネさんは言葉を重ねる。
「あまりに突然で、あまりに理不尽な別れ。その直後から記憶が曖昧になる時間が続いたこと。それらは、まるで一つのことを示唆しているような気がしていまして」
ドクンと、心臓が跳ねる。
……え、いや、まさか…………そんなことって……
「確証はないのですが――」
カサネさんの唇が、僕の思い描く通りの形に動く。
「トラキチさんのご家族は、この『世界』に統合されたのではありませんか?」
突然で理不尽な別れ。
僕は、ビルにセスナが突っ込んでくるなんて、ちょっとあり得ないような事故に巻き込まれてこの『世界』へやって来た。
記憶が曖昧になる時間が続く。
それはまるで、この『世界』に来た直後に起こった記憶の混在にそっくりではないか。
事故直後の記憶がすっぽりと抜け落ちている感覚は、ここでカサネさんに記憶の混在について聞かされた時と酷似している。
つまり……
確証はないとはいえ……
可能性はゼロではなくて……
僕の家族は、この『世界』のどこかで生きて……いる?
僕の姉は、やっと手に入れた幸せを、この世界のどこかで謳歌している……かも、しれない?
そう思うと同時に鼓動が強さを増し、ドクッドクッと振動が心に響いてくる。
耳を塞いで閉じこもろうとしていた心が、きょとんとした間抜けな顔を覗かせて、全身から力が抜けていく。
姉が得られるはずだった幸せを僕が――
家族の分まで、僕が最高の幸せを手に入れなきゃ――
完全な、絶対に壊れない幸せでなければ――
そんな、凝り固まった使命感が、ハーブティーに溶ける角砂糖のようにもろくぼろぼろと崩れていた。
崩れ去った後には、あっけないくらいにさっぱりとした気持ちだけが残った。
なんてことだ。
こんなに簡単なことだったんだ。
僕が今まで、ずっと、ずっとこだわってきたことは、こんな簡単なことで、あっさり救われるようなものだったんだ。
「カサネさん」
カサネさん。
あなたは、本当に。
「カサネさんは、最高です」
そのせいで、いや、おかげで、認めざるを得ないじゃないですか。
「僕、あなたがいないとダメです」
家族のことを取っ払って、勝手に背負い込んだ責任とか、勝手に思い込んだ使命とか、そんなものを全部なくしてしまえば、なんてことはない――
僕の心の中は、あなたでいっぱいでした。
「カサネさんがそばにいてくれないと、僕はきっと幸せになれません」
認めてしまったら、なんて楽なんだろう。
なんて心が軽いんだろう。
困らせるかもしれない。
迷わせるかもしれない。
迷惑かもしれない。
それでも、僕は……
「イヤです。今日、ここで、カサネさんとサヨナラなんて、イヤです」
こんな風になるなんて、想像もしていなかった。
今朝になるまで、ひたすら現実から目を背け続けていた。
何かに打ち込んでいないと泣いてしまいそうだったから。あんなに温かい親方たち家族に囲まれているのに、孤独に押し潰されてしまいそうだったから。
だから作った。
誰にあげるわけでもないけれど、なんて言い訳を必死に自分自身に言い聞かせて、黙々と、一心不乱に作り上げた。
今の僕に出来る最高のものを、精一杯の想いをこめて。
「カサネさん」
懐から、小さな箱を取り出して、カサネさんへと差し出す。
戸惑いながらも受け取ってくれたカサネさんに、開けてくださいと伝える。
小さな箱に入っているのは、小さなシルバーの指輪。
左手の薬指――に、合わせる勇気がなくてもう一回り小さくした、小指に嵌めるピンキーリング。
「受け取ってくれますか?」
「いえ、でも……私は、あの、相談員は、個人的な贈り物は……」
「今は相談員さんじゃないでしょ?」
「…………そう、でしたね」
きゅっと小箱を握り、カサネさんが「……くはぁ」っと息を吸う。
胸を押さえ、ぎゅっと小箱を握り込んで、小さく一度、こくりと頷いた。
よかった。
受け取ってもらえた。
なら、あとはもう、伝えるだけだ。
僕の、すごくわがままで、けれど絶対に譲れない、たった一つの願いを。
「カサネさん。ずっと、僕のそばにいてください」
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